プロローグ
プロローグ
夕闇の中、篝火が城中の庭とそこに居並ぶ兵達を照らしていた。
城の館には、宴席の用意がされていた様だが、館の外は血臭と幾人かの死体が転がっている。
奇襲と城内に潜入させていた間者たちによって、迅速に城を落としたが、死体の中には明らかに武装した兵の数が多い。奇襲の前から戦支度をしていたことが見受けられる。
本日は宴であったはずなのに、城中の兵たちが戦支度をしていたのは、おかしいと思うはずだが、攻め落とした側の者たちは、宴であって宴ではないことを知っていた様子であった。
攻め落とした軍勢の中で、最も立派な甲冑を纏った男が、護衛に囲まれながら館の庭に置かれた床几に座している。攻め手の軍の総大将であろう。
その総大将の元へ甲冑を身に着けた武将が現れ、片膝を着くと報告を述べる。
「大納言様、久々利悪五郎めを捕らえました」
「甚六、大義であった。よくぞ悪五郎めを捕らえた。悪五郎のやつも自害せぬとは、意外であったのぅ」
大納言と呼ばれた総大将と思われる貴人は、報告した甚六と呼ばれる武将を労う。そして、報告された内容に対して意外であると、少し困惑していた。
「大納言様、悪五郎めは往生際が悪く、申し開きしたいと申しておりまする。如何なさいますか?」
「悪五郎め、申し開きも何もあったものでは無いと言うに、往生際の悪い奴だ。あやつが、わし宴に招いて殺そうとしていた証など、忍ばせていた間者たちが集めておる。まぁ、良い。悪五郎めが、どの様な申し開きをするつもりなのか聞いてやろうでは無いか。悪五郎をここに連れて参れ」
大納言は、甚六に捕らえた悪五郎を引き出すよう命じた。
大納言と呼ばれている貴人は、斎藤大納言正義と言う武将である。美濃国を国盗りした乱世の梟雄「斎藤道三」の養子だ。
甚六と呼ばれている武将は、弓の名手と名高き大島甚六光義である。
暫くすると、大島甚六とともに兵に両脇を抱えられながら、縛られた男が連れて来られた。
城の庭に引き出され、跪かされた男は、斎藤正義の配下である久々利城主の久々利悪五郎頼興だ。
悪五郎は、斎藤大納言の前に引き出されると、大納言を睨みつけ、怒鳴り散らす。
「大納言様!宴席に招いたのに、いきなり奇襲を仕掛け、城を攻めるとは、どういう御積りか!?」
正義は溜息を吐き、呆れ果てた様子で応える。
「悪五郎よ、酒宴に招き、わしを謀り殺そうとしたことは、分かっておるのだぞ?」
悪五郎は少し怯んだが、再度正義を睨みつけ、怒鳴り散らす。
「そんなものは偽りだ!そもそも証はあるのか!?」
「証か……。証ならあるぞ。この者を存じておろう?」
正義は呆れつつも、側に控えていた武者に声をかける。その武者は館の方へ走ると、1人の人物を連れて戻った。その人物は、幾つかの書状を正義へと差し出す。
その人物が姿を見せると、悪五郎は驚き、顔が青褪めることとなった。何故ならば、その男が自身に長らく仕える家臣だったからだ。
「養父上が、其方にわしを殺すよう指示した書状ぞ。其方のことは始めから信じてはおらんかった。そのため、間者を入れ、家臣たちの中にも内通する者を増やしておいたのよ」
書状と内通していた家臣を見た悪五郎は汗をかきながらも、観念したのか開き直ったように語り始める。
「ふっ……、既にお見通しであったか…。間者を入れられ、家臣の中に内通した者まで現れるとは…。其の通りよ。殿の命で、貴様を始末するつもりであった」
語り出す悪五郎を正義は手で制し告げる。
「それ以上は何も語らずとも良い。甚六、悪五郎の首を刎ねよ」
正義は、甚六に悪五郎の首を刎ねるよう命じた。悪五郎は最期に悪あがきか、大声で叫ぶ。
「大納言、貴様は大きくなりすぎた!その血筋と才覚を殿は恐れられたのよ!」
それが、久々利悪五郎頼興の最期の言葉であった。
悪五郎が最期に放った言葉の中にあった斎藤道三の恐れる血筋と才覚。そのどちらか無ければ、斎藤道三は正義を殺そうとしなかっただろう。特に、道三の持ち合わせていなかった血筋は、美濃を手中に収めたものの統治が上手く進んでいない道三にとって潜在的脅威であった。美濃国人たちがいつ何時、正義を神輿として担ぎ上げ、道三に取って代えるか分からなかったからである。
斎藤大納言正義は、名門中の名門である摂家近衞家の生まれであった。天皇に次ぐ貴種の家の出である。その血筋は大きな力となる恐れがあった。
正義は悪五郎の最期を見届けると、身体の力が抜けた様に床几に腰掛ける。
「これで、私の死は遠ざかったか……」
この日、久々利悪五郎頼興は死んだ。
本来であれば、正義が死ぬはずであったのだ。しかし、斎藤正義は死ななかった。
何故なら、斎藤正義が久々利頼興に殺されるのが分かっていたから。
この時から、斎藤正義は歴史を大きく塗り替えて行くこととなる。
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