第29話 闘いへの準備(二)
ゴブリン集落の朝は早い。
ゴブリンたちは、夜明けとともに一日の活動を始めるのだ。
魔獣の襲来に備える今は、暗いうちから働いている者もいた。
そんなゴブリンたちが、ピタリと動きを止めた。
ばりばりばり!
ごごごごーん!
集落の背後にある森から、地を裂くような轟音が聞こえてきたからだ。
まだ寝ぼけまなこのブリンたちも、聞きなれない音に緊張を隠せなかった。
「なんだ、あの音は!」
「魔獣が攻めてきたの!?」
「まだ約束の日ではないはずだぞ!」
大騒ぎになった。
小屋から跳びだしたゴブリンたちは、
その時、今しがた音が聞こえてきた森から、疲れきった様子の少女が二人現れた。それは、ふらつくニャウを抱えたタウネだった。
二人とも頭から砂ぼこりをかぶったうえ、木の葉やちぎれた草らしきものが体中についている。
「みなさん、朝早くからお騒がせしましたー!」
広場にやってきたタウネは、さっそくゴブリンたちに頭を下げた。
「お客人、さっきの音はあなたがたのせいかな?」
村長のジルがみんなを代表してニャウたちに話しかける。
しかし、彼女たちにとって、それは「ぎゃうぎゃう」としか聞こえなかった。
ニャウは気力を振りしぼってミャンを呼びよせる。
彼女の胸に子猫がおさまるのを見てから、タウネが口を開いた。
「みなさん、朝早くから騒がせちゃってごめんなさい」
「お客人、さっきの音は、あなた方のせいかな?」
「……ええ、そんなところです。ちょっと戦闘訓練していたら、あんなことになっちゃって……ホントごめんなさい」
「ただの訓練でしたか。幸い、みなが目覚めた後でしたから構いませんが、次にやるなら前もって知らせてくれますかな?」
「はい、そうします。ごめんなさい」
平身低頭のタウネとニャウを見て、ジル爺がうなずくと、ゴブリンたちは広場から自分の小屋へ戻っていく。
ラナの小屋からよろよろと出てきたバックスは、大きなあくびをしている。
「ふわあ、びっくりした。なんか、すごくでかい音がしなかったか? もう魔獣が来たのか?」
厳つい顔は眠そうだが、その表情には不安が隠しきれなかった。
「ごめんね、バックス。ちょっとニャウと訓練してたんだ」
「訓練ってなあ、タウネ。あんな音がする訓練ってなんだよ」
「今は秘密だよね、ニャウ」
「そ、そうかな? うん、そうだね」
「なにおどおどしてんだよ。あれやったのニャウなのか?」
「う、うん、私だけど私じゃない」
「どういうことだよ、いったい。まあいいや、そのうち教えてくれるんだろ?」
「う、うん、きっと教えるから」
「じゃ、おいらも朝練しようかな」
バックスは小屋に戻り、大盾を背にかついで出てきた。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
練習に適当な場所を探そうと、森に入ったバックスは驚くべき光景を目にすることになった。
「なんだ、こりゃ!」
かなりの距離にわたって森の木々がなぎ倒されており、地面にもえぐられたような跡があちこちにあった。それはまるで天つく巨人がその手で地面をひっかいたかのようだった。
「なんてこった! これをニャウがやったってのかよ?!」
森の惨状を前に、バックス少年はしばし立ちすくむのだった。
◇
魔獣に備え、ゴブリンたちは働きざかりの男女はもちろん、お年寄りから子どもまで忙しく働いていた。
陸地と半島を繋ぐ砂州に、丸太で柵を造っている。
万が一に備え、避難用の
柵と筏には森から切りだした木材を使おうとしていたところ、あの朝の一件で大量の倒木が生じたため、それを利用して予定より早く設営、作成が進められた。
当初、二列にするはずだった砂州の柵は、そのおかげで五列にもなった。
魔獣の群れが襲ってきても、しばらくは持ちこたえられそうだ。
この三日ほど働きづめだったゴブリンたちは、柵の設営が終わるとみんな疲れて倒れてしまった。
彼らが身を粉にして働いたおかげで、魔獣が襲ってくるだろう期日に二日を残して柵が完成したことになる。
◇
ロタが東の森で出会った怪人が魔獣襲撃を予告した日まで、あと一日と迫った。
この日の夕方は、いつもと違い、集落の住民全員が広間に集まり宴会となった。
いつもなら、ゴブリンの大人たちが集まる会合に、子どもは顔を出さないそうだが、この日は見張り役の戦士たちをのぞき、全員が宴に参加した。
広場中央で焚かれたかがり火を囲み、各家族ごと輪になって座る。
ジル爺が乾杯の音頭をとった。
「遥か昔、竜を倒した我らが英雄ケルランがこの地に降りたった。以来、誇り高き我が一族は、ここで平和に暮らしてきた。人族との小競りあいなどもあったが、戦士たちが勇敢に戦い、敵を退けてきのじゃ。
しかし、ここにきて、この地を狙わんとする者が現れおった。魔獣の群れを率い、明日襲ってくるという。偉大なケルランの末裔であり、誇り高きゴブリンの一族よ! 今こそ我らの里を守るため立ちあがるのじゃ!」
ゴブリンたちは立ちあがり、ズンズンと足を踏み地を鳴らす。
独特のリズムでくり返されるそれは、人族であるニャウたちさえ、魂の奥底から揺さぶられるようだった。
最初の緊張がとけると、にぎやかな宴が始まった。
大人たちは各家族が座るところを巡り、食事やお喋りを楽しんでいる。
小さな子の中には、すでに寝てしまった者もいるが、起きている者はニャウたちのところに集まっている。
みんな子猫に興味があるのだ。
「ふわあ、やわらかーい」
「ぷにぷにおててがきもちいーの」
「ふわふわだー」
子猫に触れたゴブリンの子どもは、みんな笑顔になっている。
その横では、仁王立ちしたバックスの体によじ登る子どもたちがいる。頭に一人、背中に一人、お腹に一人、両腕に一人ずつ、そして両足にも一人ずつ子どもを乗せたバックスが動くと、子どもたちが歓声を上げ喜んだ。
「ははは、バックスのやつ孤児院と同じ目にあってる」
その様子をタウネが目を細めて見ている。
テトルは、なぜかゴブリンの女性にとり囲まれてしまった。
「お兄さん、嫁はおるんかいね?」
「どうじゃろ、ウチもまだ捨てたもんじゃないと思うんじゃが……」
「あんた、腕によう肉がついとるなあ」
そんな感じでつめ寄られているが、テトルが青い顔で引いているのは、相手がゴブリンというだけでなく、人間ならどう見ても七十は過ぎているだろう、おばあ様方だからだ。
ニャウは胸に白猫のミャンを抱え、そんなみんなやゴブリンたちのことを眺めていた。
(絶対に守るんだ! このゴブリンさんたちを、魔獣になんて殺させるもんか!)
少女の胸には、限りなく熱いものが、ふつふつと沸きあがってくるのだった。
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