第12話 猫の秘密
「えっ、ねこ?」
ニャルは、ずっと謎だった自分の天職そのものである言葉を聞いて心から驚いた。
もし、ミャンとナウが『猫』という魔獣だとすると、メイリンの予想が当たっていたことになる。
イレーヌが『猫』についての説明を続ける。
「ああ、そうだよ。猫人族って種族がいるだろ? その最初のなん文字かと同じなのさ。
だけど、ホント長生きはするもんだよ。夢にまで見た『猫』をやっと目にすることができるなんてね」
「おい、ちょっと待ちなよ、ばあさん。あんた、なんでこれが『猫』ってやつだなんてわかるんだよ? 今まで見たこともないんだろう?」
せっかくいい気分に浸っていたイレーヌに、テトルが水をさす。
「とことんうるさい小僧だねえ、あんたは。外野のくせに、少しは静かにしてな。
次、邪魔したら、その口から永遠に言葉が出ないようにするからね」
イレーヌからにらまれたテトルは、相手が小さな老婦人だというのに、なぜか震えあがった。
張りつめた場をなごませたのは、のんびりしたニャウの声だった。
「おばあさん、でもその理由、私も知りたいです」
「そうかい? ニャウちゃんの頼みじゃ断れないねえ。
あたしがその動物の素性を知っていたのは、王都のある場所で、『迷い人』が残したと言われてる古文書を読んだことがあるからだよ」
「マヨイビト? なんですか、それ?」
「ああ、そこから説明しなきゃならないんだね。
まあ、この街から出たこともないんじゃあ、知らないのも無理ないけどね。
ニャウちゃんは、『ポータル』って知ってるかい?」
「いえ、知りません」
「この世界はね、『ポータル』って呼ばれる扉のようなもので他の世界と繋がってるのさ。それで繋がっているいくつかの世界は『ポータルズ世界群』って言ってね。普通は『異世界』とは呼ばないんだよ。
ところが、まれにその世界群の外からやってくる人がいてね。彼らが元住んでいた世界のことを『異世界』って呼んでるのさ。迷い人ってのは、この『異世界』からやってきた人のことさ」
「へえ、『ポータルズ世界群』に『異世界』ですか。どちらも初めて聞きました。あっ、もしかして、『黒髪の英雄』のお話に出てくる主人公もその『異世界』から来たんですか?
髪の色も瞳の色も黒いっていう英雄のお話。私、大好きなんです。あのお話って本当にあったことなんですか?」
「ああ、全部が全部本当ってわけじゃないだろうが、『異世界』から来た人たちがいるってのは間違いないよ。あたしもそのうちの一人に会ったことがあるんだ」
「えっ、黒髪の英雄に会ったんですか!?」
「ああ、黒髪のやつには会ったよ。ただそいつは別に物語に描かれた英雄ってわけじゃなかったけどね」
「へえ……」
「じゃあ、話を戻すよ。とにかく王都には、『迷い人』が残した古文書があって、それには魔獣や植物の絵が描かれてるんだよ。それも異世界のね」
「すごい……」
「その中であたしが一番知りたかったのが、あんたの膝にいる『猫』ってやつさ。その書物によるとね。なんでも『猫』ってのには癒しの力があるらしいんだ」
「へえ……」
「ちょいとその猫に触らせてもらってもいいかい? こっちも後で秘蔵の魔道具を見せてあげるからさ」
「魔道具ですか……ええと、ご遠慮します。でも、優しくしてくれるならこの子たちに触ってもいいですよ」
どうやらニャウは魔道具になど全く興味がないようだ。ただ、イリーナが猫に触れることは快く許した。
「ふう~、本物の猫に触れるとなると、柄にもなく緊張するねえ。
じゃ、じゃあ、ちょいと失礼するよ」
席を立ったイレーヌは、ニャウのそばまでくると、膝立ちの姿勢となった。二匹の小動物に顔を近づけると、ぶつぶつ独り言を口にしながら、いろんな角度から眺めている。
そして、震える手をゆっくり伸ばすと、ミャンの頭にふれた。
「ふおおお、ふわっふわだあ!」
満面の笑みを浮かべた老婦人は、まるで少女のようなはしゃぎ声をあげた。
イレーヌが気持ちよいところを撫でているのだろう、ミャンは目を細め喉を鳴らしている。
「ゴロゴロゴロ」
それを聞いたイレーヌが、満足気にうなずく。
「古文書に書いてあった通りだよ! ホントにゴロゴロって、雷様のような音がしてるねえ」
彼女は、はっと何か気づいた顔をすると、ミャンの前足にそっと手を伸ばした。
「ほわわわわー、これがニクキュウかい! あの本に書いてた通り、ピンク色でプニプニだねえ。う~ん、こりゃたまらない。百年は寿命が延びるよ。こりゃ確かに癒しの力を感じるよ」
白猫ミャンを撫でまわしたあと、老婦人は満足するまで黒猫ナウも撫でていた。
「あっ、そうだよ。大事なこと伝えるの忘れてたよ。
この『猫』だけどね。どうやら好物は魚らしいよ。害獣である『鼠』とかいう小動物を退治してくれるってことで、その世界じゃ役に立つって思われてたみたいだね。
味の濃いものはよくないそうだ。食べられないものも多いから気をつけてあげな。それから、寒いのが苦手って書いてあったっけね。
それとあまり触りすぎないこと。体が小さいから、かまいすぎると負担になるらしいよ」
「そんなこと言ったって、ばあさん、あんたさっきから散々そいつらに触ってたじゃないか」
不満一杯の顔でそう言うテトル。もしかすると、彼も子猫に触れたかったのかもしれない。
「またまたあんたかい! ほんとにうるさい小僧だねえ。
いいかい、あたしゃ古文書で『猫』のことを知ってから、この時を五十年間ずっと夢見てきたんだ。わかるかい? 五十年だよ! 小僧っ子ごときが生意気に口出しするんじゃないよ!」
老婦人からぴしゃりと釘を刺されたテトルは、かわいそうなほどシュンとしてしまった。
どうやらイレーヌは、彼にとっての天敵らしい。
◇
イレーヌが子猫たちに夢中になっているうち、外はすっかり暗くなってしまった。
ニャウは薬草店で一晩泊めてもらうことになった。
そうなると、誰かがそのことを孤児院まで伝えなければならない。
テトルが孤児院への連絡役に指名されたのは、自然な流れだった。
苦労したペット探しで気力も体力も限界の彼は、疲れた足を引きずるように薬草店を後にした。
一方、ニャウはといえば、店舗一階の奥にある居間で思いのほか豪華な食事をふるまってもらったり、リーシャが趣味で集めた魔道具の数々を見せられたりした後、裏庭に建てられた風呂小屋で入浴までご馳走になった。
この世界では、体を清めるといっても井戸端で水を浴びたり、たらいに汲んだ水を浴びるのがせいぜいだ。
王都まで行けば公衆浴場もあるのだが、よほどの富豪か王侯貴族でなければ個人の浴室は持たない。
ニャウにとって、このお風呂体験は、生涯忘れられぬものとなった。
いつか一人前の冒険者になって風呂つきの家を手に入れる。
この日、少女の胸には、ささやかながら想いこがれる夢が生まれた。
さて、二階にある客室をあてがわれたニャウが、そろそろ寝ようかと思案していると、扉が叩かれる音がした。
「はい、どうぞ」
部屋に入ってきたのは、だぼっとした寝間着姿のナディだった。
胸に大きなトカゲ、レッサーサラマンダーのクラッピィを抱いている。
「ニャウちゃん、大好きなあなたが
ナディは、そばかすだらけの顔を恥ずかし気に染めている。
「それと、私も子猫ちゃんに触っていい? おばあちゃんからは、あまり触らないようにって言われてるんだけど。お願い、ちょっとだけだから」
「うん、いいよ。トカゲちゃんもおいで。今日は一緒にお休みしようね」
幸いなことに、この部屋のベッドは、大人二人が寝ても大丈夫なほど大きなものである。
少女二人とトカゲ、それと子猫二匹くらいなら十分な広さがある。
翌朝、眩しい朝日で目を覚ましたニャウとナディは、彼女たちの横で寝ているイレーヌを目にして驚くことになった。
丸くなったミャンとナウを抱いて、安らかな微笑みを浮かべた老婦人の寝顔は、まるで天使のように清らかだった。
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