第11話 薬草店のおばあさん
依頼を受けた薬草店まで戻ってくる頃には、ニャウの
彼女本来の耳もすっかり元通りだ。
店の前で落ちつかない様子でうろうろしていたナディが、ニャウとテトルを目にしたとたん駆けよってきた。
「ああっ、クラッピィちゃん! どこ行ってたの?! すっごく、すっごく心配したんだからあ!」
目に涙を浮かべたナディが、ニャウに抱かれたトカゲを受けとろうとする。
「グルルルル!」
しかし、赤茶色の鱗を持つトカゲは、ニャウにしがみつき離れようとしなかった。
彼女に命を救われたと気づいているのかもしれない。
「クラッピィちゃん、お願いだからこっちに来てちょうだい」
半分泣きながら、トカゲに抱きつこうとするナディ。
見かねたテトルが口を出した。
「とにかく、店へ入ったほうがいいな。街のみんながこっちを見てるし」
周囲を見まわしたナディは、街の人たちからジロジロみられているに気づくと、慌ててニャウから離れた。
店に入ると見慣れた景色に安心したのか、トカゲはゆっくりした動作で床へ降りた。
テトルはナディがトカゲとべたべたするのをしばらく眺めていたが、このままでは暗くなるまでに帰れそうにないと思い、やっとのことで話しかけた。
「これで依頼達成ってことでいいかな。ほら、この依頼書にサインしてくれるか?」
「クラッピィ、クラッピィ、クラッピィちゃ~ん。えっ? はいはい、サインですね。ちょいちょいと。はい、できましたよ」
「急かせてすまないな。じゃ、俺たちはこれで帰るよ」
「えっ、もうですか? あ、そうだ! ウチのおばあちゃんから、あなたたちが戻ってきたら声をかけてくれって頼まれていたんですよ。ちょっとだけ待っててくださいね。
さあ、クラッピィちゃん、お腹ぺこぺこでしょ。大好きな魔石もいっぱいあるから、お部屋でご飯しようね」
トカゲを抱えあげた少女は、ニャウとテトルが呼びとめる間もなく、カウンターの奥へと消えてしまった。
「あー、行っちゃったね。どうしよう。これ以上遅くなったら、きっとシスターに叱られちゃうよ」
「なんなら、お前だけ先に孤児院へ帰ってもいいぞ、ニャウ」
手持ち無沙汰になったニャウが、店の中を見まわす。
今になって気づいたが、この店は商品が置かれるはずの棚がない。注文を受けてから品物を手渡すやり方なのかもしれない。
そんな時、カウンター奥に吊るしてある草木染の布がふわりとひるがえると、一人の老婦人が現れた。
ニャウよりさらに小柄な彼女は、痩せてはいるがぴんと背筋が伸びており、ちょっと孤児院のシスターを思わせた。すっかり白くなった髪を頭の上でまとめた老婦人は、地味だが細かい刺繍がほどこされた薄緑色のローブを羽織っていた。
彼女は、しっかりした足取りでニャウとテトルを店の隅に置かれた小さなテーブルへ案内する。
「ほほほ、まあとにかく座っとくれ。あたしも失礼して、どっこいしょっと。
あんたたち、孫がかわいがってるトカゲを見つけてくれたそうだね。あの子、これまで見たこともないほど喜んでいたよ。ありがとうね」
柔らかな表情でそこまで話した老婦人は、表情を改めた。
「あたしは、この薬草店の主人イレーヌってもんだ。聞くところによると、ギルドに出しておいた薬草採取の依頼も、あんたたちががんばってくれたそうじゃないか。早い仕事で、こっちはずいぶんと助かったよ。
二人とも、このばあやに名前を教えておくれ」
「ボ……俺はテトルです。いや、テトルだ」
「初めまして、ニャウです」
「ああ、あんたがニャウちゃんかい。冒険者ギルドのメイリンから話は聞いてるよ。やけに珍しい天職だそうじゃないか」
「ええっと、メイリンさんったら、そんなことまで教えちゃったんですか?」
「ああ、心配しなくても他へは洩らさないからね。あたしもその辺の仁義はわきまえてるよ。
それより、とっておきのお茶があるんだ。さ、遠慮せず飲んどくれ」
イレーヌが小枝のように痩せた手を振ると、いつの間にかテーブルの上にはソーサーの上に載せられた三つの白いカップがあった。
湯気の立ちのぼるカップからは、なんともいえぬ芳香が漂ってくる。
嗅覚がするどくなったニャウは、一度も体験したことがないほどよい香りに衝撃を受けた。
花と蜂蜜の匂いがまざったような香りは甘く、どこまでもかぐわしい。
「なんていい香り……」
「だろう? こういっちゃなんだが、この茶はかなり珍しいもんだよ。南の島にある小さな茶園で作られてるんだ。王族でも、飲んだことがある者はそうそういないだろうね」
「へえ、そうなんですか」
ニャウはお茶が持つ不思議な魅力で完全にくつろいでしまった。
ただ、どちらかというとお茶が苦手で、出されたものにまだ口をつけていないテトルは違ったようだ。
あまり礼儀正しいとはいえない口調で、イレーヌに話しかけた。
「ばあさん、すまないが俺たち時間がないんだよ。もう帰ってもいいかな?」
「ちょいと待ちな。やれやれ、若いもんはせっかちでいけない。
ニャウちゃんだっけ、あんた天職で小さな生きものを呼びだせるらしいね」
「メイリンさんが手紙に書いてたんですね? ええ、呼びだせますよ」
「ここでもできるかい?」
「……ええ、事情があって新しい子は呼べませんが、今いる子なら呼べますよ」
「そうかい! そりゃいい! じゃあ、ちょいとそれを見せてはもらえないかい?」
「おい、婆さん、なんでニャウが見ず知らずのあんたの言うことを聞かなきゃいけないんだよ。ちょっとずうずうしいんじゃないか?」
「若いの、あんた懐が小っさいねえ。そんなんじゃ、一人前の冒険者になんかなれっこないよ」
「な、なんだと、この――」
テトルが老婦人に喰ってかかろうとしたが、ニャウが彼の前へ腕を伸ばしてそれを止めた。
「おばあちゃん、もしかして私が呼びだすものがなにか知ってるんですか?」
「あんたまで急かすんじゃないよ。メイリンからは、おおよその
イレーヌは子どものように目を輝かせ、ニャウを見つめている。
それに背中を押されるように、ニャウが呼びかけた。
「それじゃあ……ミャン、ナウ、ここに来て!」
次の瞬間、座っている彼女の膝に白く光る二つの玉が並んで浮かんだ。
その光は形を変えていき、やがてすうっと消えると二匹の小動物となっていた。
白い小動物は、ニャウの膝に座ると彼女の革鎧をしきりに嗅いでいる。トカゲが残した匂いが気になるらしい。
黒い方は、自分の小さな足を抱えるようにして丸くなった。
「おう! こりゃ凄いもんだねえ!」
老夫人は、興奮で顔を赤くしている。
「どうですか? この生きものなんですが――」
「そりゃ『猫』だね」
イリーナは、言葉に確信を込めてそう口にした。
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