第39話『美少女が一人になったら……』
氷織が丁寧に分かりやすく教えてくれたおかげで、俺はクロールを25m泳げるようになった。
今回、氷織が教えてくれたコツを忘れないように、定期的に部屋のベッドで動きの確認をするようにしよう。今後、プールや海に遊びに行ったらクロールの復習をしたいな。そういったことを考えていたら、急に疲れが。
「はあっ、はあっ……」
ちょっと呼吸し辛い。きっと、氷織の指導の下でクロールの練習をしたり、最後に25m泳いだりしたからだろう。一度にこんなにたくさん泳いだのは初めてだったし。でも、気持ちのいい疲れだ。
「氷織。サマーベッドに行って休憩したいな。ちょっと疲れた」
「いいですよ。私も50m泳ぎましたし、明斗さんにお手本として何度もクロールを泳いだのでちょっと疲れが。お手洗いに行ってきますので、明斗さんは先にサマーベッドの方へ行っていてください。確保してもらえると嬉しいです」
「分かった。2人分確保しておくよ」
「はいっ、お願いします」
氷織と一旦別れて、俺は一人でサマーベッドのある方へ向かう。
結構な数の人がサマーベッドで休んでいるな。談笑している人や寝ている人、ドリンクを飲んでいる人など様々だ。ただ、ベッドの数がたくさんあるので、空いているベッドはいくつもある。
周りを見ると、テーブルを動かしてサマーベッドをくっつけ、寝そべりながら談笑しているカップルやグループが複数見受けられる。俺もそれに倣って、2つのサマーベッドをくっつけて、そのうちの片方に仰向けになる。
「おぉ、気持ちいい」
こういう感覚になれるのは……きっと、たくさん練習して、クロールを25m泳げるようになったからだろう。
サマーベッドが気持ちいいし疲れもあるから、段々と眠くなってきたな。ただ、氷織が来るまでは起きておきたい。
「そういえば、氷織……お手洗いにしては遅い気がする」
学校でも授業の合間の休憩時間や、昼休みに氷織はお手洗いに行くけど、こんなに時間がかかることはなかった気がする。ここに来るのは1年ぶりだし、お手洗いを探しているのだろうか。それとも、サマーベッドにいる俺を探しているのか。
「だけど、サマーベッドはこんなにたくさんあって目立つからなぁ」
その可能性は低いか。
あとは……一人になっているからナンパされているとか。その可能性は高そうだ。氷織は超が付くほどの美少女だし、スタイルも抜群。そんな女性が黒いビキニ姿でいるんだ。
「探しに行くか」
俺はサマーベッドから降りて、氷織を探しに行くことに。とりあえず、女性用のお手洗いを近くに行ってみよう。
ただ、ここに来るのは今日が初めてなので、女性用のお手洗いの場所がよく分からない。どこかお手洗いへの案内がないか探してみると……壁にお手洗いの方向を示す案内板があった。
それから、所々に設置されている案内板に従って移動すると、男性用と女性用のお手洗いの入口が見えた。更衣室近くの出入口も見える。そして、お手洗いの近くに――。
「ねえねえ、キミ一人? オレ達と一緒に遊ばね? オレ達とならきっと楽しいと思うよ?」
「こいつの言う通りだって。フードコートとか更衣室近くの自販機で奢ってあげるよ?」
氷織が2人の男達にナンパされていた。やっぱり、こういう展開になっていたか。
金髪の男は赤い水着、黒髪の男は黄色い水着を穿いていて派手な印象だ。金髪の方は首や腕にアクセサリーをいくつも付けていてチャラい。2人はニヤニヤして氷織のことを見ている。
おそらく、一人でいる氷織がお手洗いに入る前あるいは出たところで、あの男達はナンパ目的で声を掛けたのだろう。あと、今の言葉を聞く限り、あの男達は氷織が恋人と一緒に来ているのを知らないと思われる。
「私、恋人の男性とプールデート中なので」
氷織は落ち着いた声色でそう言う。多少口角が上がっているように見えるくらいで、氷織は無表情だ。その姿を見ると、笑顔を見せてくれるようになる前の氷織を思い出す。特にお試しで付き合う以前の彼女を。
「本当なのか? 断るための嘘なんじゃねえのか?」
「オレ達は騙されねえぞ!」
「私が恋人と一緒に来ているのは事実ですよ。先ほどの男性達とは違って、言葉だけでは信じてもらえなさそうですね。連れてきましょうか? 素敵な男性ですよ」
「本当にいるような感じで言って、実は逃げるつもりなんだろ!」
金髪の男は目尻にしわを寄せ、声を荒げてそう言うと、氷織に向かって右手を伸ばそうとする。そんな金髪男の右腕を俺がしっかり握る。
「明斗さん……!」
普段よりも高い声色で俺の名前を言うと、氷織はぱあっと明るい笑顔を浮かべ、俺のことを見てくる。
「お手洗いにしては帰りが遅かったから探しに来たんだ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
俺は空いている左手で氷織のことを抱き寄せる。その際に「きゃっ」という氷織の可愛らしい声が聞こえた。
「この銀髪の女の子、俺の大事な恋人なので。この子とプールデート中なんですよ。強引な態度でナンパしないでくれますか? あと、あなた方に指一本触れさせない」
「くそっ、本当に恋人いたのかよ……」
「ええ。彼女の言うことが本当だって分かったでしょう? それなのに、嘘つき呼ばわりして、恫喝して。彼女に言うべきことがあるんじゃないですか? それを言わないと、この手は離しません」
そう言い、金髪男の右腕の握る力を強くする。そのことで金髪男はもちろんのこと、隣にいる黒髪男の目つきがより鋭くなっていく。
ただ、俺も負けまいと目を細めて2人の男達を見る。それが良かったのか、男達の顔から怒りの表情が抜けていくのが分かった。
「う、嘘をついていると言ってすみませんでした。恋人、本当にいたんすね……」
俺達にしか聞こえないような小さくて力のない声で金髪男は謝罪する。黒髪男も同様に「ごめんなさい……」と謝罪の言葉を口にした。
「……素敵な恋人がいると分かってもらえて良かったです。なので、二度と声を掛けないでください」
「もし、一人でいるときを狙って、彼女に何かしたら許しませんよ」
「しません! 絶対にしません!」
「プールデート楽しんでください!」
「……どうも」
俺が金髪男の手を離すと、2人は俺達の元から走り去っていった。何とか一件落着かな。ほっとした。
「立ち去ってくれて良かったです」
そう言うと、氷織は俺のことを見上げてくる。そんな氷織の目はとても輝いていて。嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「お手洗いから出たとき、3人組の男性にナンパされまして。彼氏とデート中で、サマーベッドで待っていると言ったら、すぐに立ち去ってくれました。そうしたら、その直後に先ほどの男性達にナンパされまして」
「そういうことだったんだ」
思い返してみると、氷織もナンパしてきた2人組の男達も、あの2人よりも前に誰かが氷織にナンパした人がいたと思わせる発言をしていたな。あの2人以外にもナンパされていたとは。さすがは氷織。
「ナンパされることは今日が初めてじゃないので平気でしたが、さすがに『逃げるつもりだろ』と大声で言われたときはちょっと怖かったです。ですから、明斗さんが探しに来てくれていて助かりました。本当にありがとうございます」
「いえいえ。いいタイミングで来られて良かったよ。……あっ、今までずっと抱き寄せたままだったね。あと、あのときは突然抱き寄せちゃってごめん」
そう言って、俺は左腕での氷織の抱擁を解く。
でも、氷織は俺から離れることはせず、むしろ俺に近づく。両手を俺の胸元にそっと触れて、可愛らしい笑顔で俺を見上げる。
「突然抱き寄せられたときはちょっとビックリしましたけど、凄くキュンとなって。明斗さんの左腕に包まれる感覚が凄く心地よくて。大好きな明斗さんの匂いも感じられますし。そんな中で、私のことを大事な恋人だと言ってくれて、ナンパを追い払ってくれて。そんな明斗さんがとてもかっこいいですから、もうキュンキュンしっぱなしです。キュンという言葉が無限に続くくらいに」
「ははっ、そっか。そう言ってくれると、恋人として嬉しいな」
「私も嬉しいです。明斗さんが恋人で良かったって思っています。明斗さんにずっと触れていたいくらいに好きです……」
いつにない甘い声でそう言うと、氷織はキスして、頭を俺の胸にスリスリさせてくる。周りにたくさん人がいるからちょっと恥ずかしいけど、頭をスリスリする氷織を可愛いと思う気持ちが勝る。なので、氷織の気が済むまでスリスリさせてあげることに。
ずっと触れていたいくらいに好き……か。氷織からそんな言葉を聞けるなんて嬉しい。俺も同じ気持ちだから。頭をスリスリする氷織の背中に左手をそっと回した。
「……明斗さんの匂いと温もりを堪能できました」
少しした後、氷織は再び俺を見上げ、そう言ってくる。そんな氷織の笑顔は、さっき見上げてきたとき以上に可愛くて。
「それは良かった。せっかく入り口近くまで来ているし、更衣室に財布を取りに行って、自販機かフードコートで飲み物を買わないか? それで、サマーベッドでくつろぎながら飲もうよ」
「いいですね! そうしましょう」
「あと、クロールを教えてくれたお礼に、氷織の分を奢らせてほしい。ささやかなお礼だけど」
「ありがとうございます! では、入り口近くにある自販機に行きましょう。そちらの方が飲み物の種類が多いですから」
「大きな自販機だもんね。じゃあ、そうしよう」
「はいっ」
その後、屋内プールへの出入口近くにあるカップ式の自販機で、俺はコーラを買い、氷織にアイスココアを買ってあげた。自販機の横にフタとストローがあったので、購入後にそれをカップに取り付ける。
俺達は屋内プールに戻って、サマーベッドのエリアへ。
運良く、氷織を探しに行くまで俺が仰向けになっていたサマーベッドは空いていた。ちゃんと2つくっつけられた状態で。
俺達はサマーベッドにくつろぎ、さっそく買ったドリンクを飲む。
「うん、コーラ甘くて美味しいな」
「アイスココアとても美味しいです! プールで泳いで、明斗さんに買ってもらったからかもしれませんね」
「それは良かった」
「ただ、明斗さんが炭酸を買うなんて珍しいですね。いつもはコーヒーか紅茶、日本茶を飲むことが多いのに」
「炭酸も好きだけど、それ以上にコーヒーや紅茶が大好きなんだ。炭酸もカロリーのないものを飲むことが多いけど、今日はたくさん泳いだから甘いコーラがいいかなって」
「なるほどです」
俺はもう一口コーラを飲む。たくさん泳いで体に疲労が溜まっているから、コーラの甘味がたまらない。
その後、氷織の希望でお互いのドリンクを一口交換する。アイスココアも甘味があって結構美味しい。
ある程度ドリンクを飲んだ後、俺も氷織もサマーベッドの上で横になる。別々のサマーベッドだけど、体を極力を近づけて。俺は仰向けで顔だけを氷織の方を向くけど、氷織は全身を俺の方に向けている。水着姿なのもあって、氷織の姿はとても艶めかしい。
「明斗さん。左腕を抱きしめてもいいですか?」
「いいよ」
俺が左腕を氷織に差し出すと、氷織は俺の左腕をそっと抱きしめてきた。その瞬間に、氷織は柔和な笑顔を見せてくれる。
「とてもいい感じです。明斗さんはどうですか?」
「俺もいい感じだよ」
「良かったです」
氷織の笑顔が嬉しそうなものに変わる。
今の氷織は水着姿だし、スベスベとした肌はもちろんのこと、胸も直接当たっていて。だから、俺の左腕は氷織の体の柔らかさに包まれていると言っても過言ではない。時間が経つにつれて、柔らかさだけでなく温もりも伝わるようになって。甘くていい匂いもするし。かなりドキドキするけど、不思議と心地良さも感じられる。
それからしばらくの間、サマーベッドでくつろぎながら氷織と談笑するのであった。
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