第28話『お客として。』

「姉貴。バイト頑張って」

「頑張ってください、明実さん。失礼します」

「うんっ! 2人が来てくれて嬉しかったよ。ご来店ありがとうございました! この後もデート楽しんでね!」


 明るい笑顔を見せる姉貴と手を振り合い、俺と氷織はG and Lを後にする。

 気に入ったワンピースを買えたからだろうか。氷織は上機嫌な様子だ。俺が持っているG and Lの紙袋をチラチラ見ている。可愛い。


「明実さんがバイトしているところを見られましたし、素敵なワンピースを買えたのでとても満足です」

「良かったね」


 その素敵なワンピースを着た素敵な氷織を見られたので俺も満足です。あの姿を明後日にたくさん見られると思うと、今からワクワクしてくる。


「明実さんはバイトのときも明るくて話しやすい方ですね。お客さんからの人気が高そうです」

「そうだな。俺達に会う直前も、女子のグループに笑顔で接客していたし。学生のお客さんからは頼れるお姉さんに思われていそうだ」

「そんな感じがしましたね。実の弟さんが言うと説得力が違いますね」

「勉強で姉貴に訊くことが何度もあったからなぁ。まあ、頼れる姉かな」

「いいですね。小さい頃、優しいお姉さんがいたら……って憧れていた時期がありました」

「そうなんだ」


 氷織は3つ下の妹がいる長女だからな。自分もお姉さんに甘えたいとか考えたのかもしれない。

 ちなみに、俺と結婚をすれば姉貴が義理の姉になりますよ。お店での様子を見る限り、いい姉妹になれると思う。ただ、それを言ったら氷織にどんな反応をされるか不安だ。胸に留めておこう。

 エスカレーターの近くまで行くと、氷織は立ち止まり、


「明斗さん、次はどこに行きましょうか?」


 と、俺に問いかけてきた。


「氷織の行ってみたいところに行きたいな」

「私の行きたいところですか?」

「ああ」


 一緒にアニメイクに行けたし、俺オススメのパスタ屋さんでお昼ご飯を食べられたからな。次は氷織の行ってみたいところへ行きたい。


「では、ゾソールに行きませんか?」

「ゾ、ゾソール?」


 予想もしていない場所だったので、変な声が出てしまった。


「はい。これまで、ゾソールでは店員の明斗さんから接客されました。なので、お客さんとして一緒に行ってみたくて」

「確かに、今までゾソールでは店員として氷織に接していたな」

「ええ。それに、コーヒーや紅茶を飲みながら、本やアニメのことなどをたくさんお話ししたいと思いまして」

「なるほどね。分かった。じゃあ、ゾソールへ行こうか」

「はいっ」


 俺達はゾソール萩窪北口店へ向かうことに。

 エスカレーターで1階まで降り、駅の北口方面に繋がる出入口から外に出る。

 北口の方を歩くのは、今朝、氷織との待ち合わせ場所から猫カフェに向かって歩くとき以来。そのときと比べて、人が多くて賑わっている。日差しと人々の笑顔から、強くも心地いい温もりを感じる。もちろん、手を繋いでいる氷織からも。

 周囲を見渡していると、俺に逆ナンしたセクシーお姉さんが3、40代くらいと思われる男性と楽しそうに歩いているのを見つけた。どうやら、逆ナンに成功したようだ。それとも昨今話題のパパ活か。2人で楽しそうにしているし、触れないでおこう。


「明斗さんって、ゾソールにお客さんとして来ることはありますか?」

「たまに、学校やバイト帰りにコーヒーや紅茶を買うことはあるよ。ただ、店内でゆっくりすることはあまりないかな。高校生以降だと……1年の頃に友達と2、3回くらい。2年になってからは初めてだね」

「そうなんですね。初めて……ですか」


 微笑みながらそう言う氷織がとても可愛らしい。

 萩窪駅から近いこともあり、それからすぐにソゾール萩窪北口店に到着した。

 お店の中に入ると、お昼過ぎの時間帯だからか少し落ち着いた雰囲気。テーブル席やカウンター席に多くのお客さんが座っているのが見える。パッと見、女性が多いな。ただ、テーブル席に空席があるので、氷織とゆっくりできるな。


「おっ、紙透君に青山さんじゃないか」


 カウンターには筑紫先輩の姿が。俺と目が合うと、先輩は爽やかな笑顔を浮かべて小さく手を振る。先輩、今日はシフトが入っていたんだ。


「お疲れ様です、筑紫先輩」

「こんにちは、筑紫さん」

「2人ともこんにちは。そして、いらっしゃいませ。今日は確か萩窪駅周辺でデートをしているんだよね?」

「はい。とても楽しい時間を過ごしています。氷織の希望で、俺と一緒にお客としてここに来たんです」

「明斗さんと一度も来たことがなかったので。あとは、本やアニメとかの話をゆっくりしたいと思いまして」

「そうだったんだ。うちに来てくれて嬉しいね」


 筑紫先輩の笑みは言葉通りの嬉しそうなものに変わり、白い歯を見せる。そんな先輩の笑みを他のお客さんが見たのか、「きゃあっ!」と黄色い声が。女性が多いのは筑紫先輩がカウンターに立っているからかもしれない。

 俺はアイスコーヒーのMサイズにショコラムース、氷織はアイスティーのMサイズにベイクドチーズケーキを注文。俺がここのバイト店員なので割引価格に。これには氷織は嬉しそうにしていた。


「2人ともごゆっくり」

「はい。先輩、バイト頑張ってください」

「頑張ってくださいね」

「ありがとう」


 俺と氷織は空いている2人用のテーブル席へ。

 バッグや荷物を椅子の下に置き、俺は氷織と向かい合う形で椅子に座る。こうして席に座るのは今年初めてだし、氷織と一緒に来るのも初めて。だからか、普段バイトしているお店でも新鮮に感じる。

 氷織は自分の注文したものをスマホで撮影している。俺も、今日の記念にスマホで自分の注文したものを撮影した。こうして写真で見ると、凄く高いものを注文したように思える。氷織とのデートっていうバイアスがかかっているからかな。


「では、さっそくいただきましょうか」

「そうだね。いただきます」

「いただきます」


 俺はアイスコーヒーを一口飲み、フォークで一口サイズに切り分けたショコラムースを食べる。甘味と苦味のバランスが絶妙でとても美味しい。


「ベイクドチーズケーキとても美味しいです」


 お気に召したようで、氷織は可愛らしい笑みを浮かべる。スイーツの力は凄い。


「良かった。あと、嬉しい気持ちもある。これって職業病なのかな」

「そうかもしれませんね。以前、恭子さんがバイトしているタピオカドリンク店のドリンクを飲んだとき、私が美味しいと言ったら恭子さんが嬉しがっていましたから」

「そうなんだ」


 飲食店店員あるあるなのかもしれない。

 あと、いつか氷織と一緒に火村さんがバイトしているタピオカドリンク店でタピオカドリンクを飲みたいな。どんなドリンクを売っているのか気になる。


「俺が注文したショコラムースも美味しいよ」

「良かったですね。もしよければ一口交換しませんか? ムースに興味があります」

「喜んで」

「ありがとうございます。……ど、同時に食べさせ合いますか?」


 氷織がそんな提案をしてくる。

 氷織と同時に食べさせ合った経験は一度もない。普通に食べさせることとあまり変わらない気もするけど、未体験なので興味がある。氷織も同じような感情を抱き、俺にそんな提案をしたのかな。


「分かった。同時にやってみようか」

「分かりました」


 口直しにアイスコーヒーを飲む。

 俺は一口サイズに切り分けたショコラムースをフォークで刺し、氷織の口元へ持っていく。その直後に、氷織も一口サイズのベイクドチーズケーキを俺の口元に持ってきてくれる。チーズケーキの甘い匂いがほんのり香る。

 あと、周りのお客さんから視線が集まっている。気にしないようにしよう。


「氷織。あーん」

「明斗さんもあーんです」


 そして、同時にお互いのスイーツを相手に食べさせた。

 ベイクドチーズケーキが口に入った瞬間、甘い香りが口の中に広がっていく。今までに何度も食べたことあるけど、こんなに甘いものだったっけ。

 氷織を見てみると、頬を赤くしているが、微笑みながらモグモグしている。ショコラムースも口に合ったようだ。


「ショコラムースも美味しいですね。とっても」

「チーズケーキもとても美味しいよ。一口くれてありがとう」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます」


 そう言って氷織はちょこんと頭を下げた。

 それから、今日アニメイクで買った本のこと、写真を見ながら猫カフェでのこと、これまで一緒にアニメで『みやび様は告られたい。』や『秋目知人帳』の話をしていく。

 話題が好きなことだからか、氷織は常に微笑んでおり、たまに声に出して上品に笑うことも。そんな時間が楽しくて、愛おしく思えた。


「2時間以上話していたんですね」

「そうだね」


 気づいた頃には時刻は午後5時近くになっていた。

 ゾソールを出ると、空はまだ明るいけど、空気が涼しくなっていた。俺達は今朝、待ち合わせをした場所に向かって歩き出す。


「色々なことを話しましたし、飲み物もおかわりしましたし。楽しい時間ってあっという間に過ぎていくんですね」

「ああ。話も結構盛り上がったし、本当にあっという間だね。あと、お客さんとしてあんなにいたのは初めてかも」

「そうですか。バイト先にお客さんとして来るのはどんな感じでしたか?」

「今までは何とも言えない感じがしたけど、今日は凄くゆっくりできたよ。それは、一緒に来た相手が氷織だったからだと思う」

「……そうですか。嬉しいです」


 俺の目を見ながらそう言うと、氷織の口角は今日一番に上がった。

 2、3分ほど歩くと、今朝の待ち合わせ場所が見えてきた。その瞬間に寂しさや切なさが沸き上がってくる。それだけ今日のデートが、氷織と一緒にいた時間が楽しかったのだろう。氷織の手を握る力が自然と強くなった。


「このあたりで大丈夫ですよ、明斗さん」

「ああ」


 今朝の待ち合わせ場所に到着し、俺達は立ち止まる。氷織の手を離し、氷織が買ったワンピースが入っている紙の手提げを彼女に渡した。


「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」


 ほんのりと笑顔を見せながらお礼を言い、氷織は軽く頭を下げる。


「こちらこそありがとう。氷織のおかげで凄くいい一日になったよ」

「私もです。明斗さんは明日は一日バイトなんですよね。頑張ってください」

「ありがとう。氷織は明日法事だから……会うのは明後日になるのかな」

「そうですね。明日は朝に家を出発して、帰ってくるのも日が暮れる頃ですから。その間に明斗さんにメッセージしたいと思います」

「分かった。そのメッセージと明後日の遊園地を楽しみにバイトを頑張るよ」

「私も明後日が楽しみです。今日のデートを通じてより楽しみになりました」

「俺もだよ。じゃあ、また明後日に」

「はい。また明後日です」


 氷織は俺に手を振り、自宅に向かって歩き出す。俺の家でのお家デートのときと同じく、氷織の後ろ姿が見えなくなるまで、俺はその場で立ち尽くすのであった。

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