第16話『氷織の家』

 5月1日、土曜日。

 今日から5月がスタート。そして、ゴールデンウィーク本番の5連休もスタートする。

 連休中はお家デートにバイト、みんなで遊園地と予定が盛りだくさんだ。楽しい5連休にしたい。そのためにも、昨日の夜と今日の午前中で課題は全て終わらせた。


「あったかいな……」


 家を出ると、強い日差しが降り注ぐ。5月になっただけあって、少し陽に当たるだけで温もりに包まれていく。なので、着ているワイシャツの袖を肘近くまで捲る。

 今日は氷織の家でお家デートだ。氷織とはいつもの高架下で、正午頃に待ち合わせをすることになっている。


「よし、行くか」


 待ち合わせ場所に向かって家を出発する。

 いつも、通学時に自転車で走る道。だけど、今は歩いているから、いつもとはちょっと違った景色に見える。この道を歩いて通学するときは雨か雪の日が多いし。

 家を出発してから15分ほど歩き、待ち合わせ場所の高架下が見えてきた。正午まであと10分近くあるけど、氷織はもう来ているのだろうか。少し早足で高架下へ向かった。


「……いた」


 高架下には、デニムパンツに七分袖のVネック縦セーター姿の氷織が立っていた。そんな服装なのもあって、氷織の体のラインがはっきりと出ていて、スタイルの良さが際立つ。縦セーターの色がアイボリー色なので爽やかな印象を抱く。

 氷織、と名前を呼ぶと、氷織はこちらに振り向き、右手を大きく振った。


「こんにちは、氷織」

「明斗さん、こんにちは」

「待ったかな」

「いいえ。私もついさっき来たところですから。この場所で、歩いている明斗さんと会うのは新鮮ですね」

「今まで自転車だったもんな。氷織と家まで一緒に歩きたくて、今日は歩いてきたんだ」

「私の家の近所を歩きたいとも言っていましたよね」

「言ったな。……今日の氷織の服もよく似合っているな。爽やかな感じがしていいなって思う」


 服の感想を素直に伝えると、氷織は口角を僅かに上げる。


「ありがとうございます。明斗さんも……ワイシャツ姿似合ってます」

「ありがとう」

「じゃあ、私の家に行きましょうか」

「ああ」


 氷織と手を繋ぎ、彼女の家に向かって歩き始める。氷織の話だと、5分もあれば自宅に到着するとのこと。

 出発してから程なくして、周りの景色は俺の知らないものとなる。といっても、住宅街で俺の家の周辺と雰囲気はあまり変わらないけど。


「明斗さん、周りをよく見ていますね」

「ここら辺は通ったことないからね。うちの近所に似た雰囲気だけど」

「ですね。そういえば、恭子さんの住むマンションの周りも、落ち着いた住宅街でした」

「そうなんだ」


 昨日の放課後。氷織は火村さんと葉月さんと一緒に、火村さんの自宅へ行ったのだ。もちろん、火村さんの誘いで。彼女の家で課題をこなしたり、アニメを観たりしたそうだ。氷織は火村さんの部屋の本棚を見るのも楽しんだとか。

 また、火村さんの家へ行く途中、火村さんの地元で彼女がバイトしているタピオカドリンク店に行き、タピオカドリンクを楽しんだそうだ。


「昨日は明斗さんがバイトしている時間帯に、メッセージや写真をいくつも送ってしまいました。大丈夫でしたか?」

「大丈夫だよ。休憩時間に見て癒されたし。それを楽しみにバイトしていたくらいだから」

「それなら良かったです」


 氷織はほっと胸を撫で下ろした。まあ、昨日のバイト中に送られたメッセージや写真は、半分以上が火村さんからだったけどな。


『氷織と一緒にタピオカドリンク飲んでる! 一口交換した氷織のタピオカピーチミルクは格別だったわ!』


『氷織があたしの家に来てる! これって夢じゃないかしら?』


『氷織って本当に頭がいいのね! 沙綾もさすが理系だわ!』


 といった感じ。きっと、火村さんは氷織と葉月さんと一緒に放課後を過ごし、自宅に来てくれたのが嬉しかったのだろう。氷織とベッタリくっついたツーショット写真を見たときは凄く羨ましく思った。その写真は氷織が可愛かったのでスマホに保存してある。

 気づけば、俺達は公園の横を歩いていた。その瞬間に正午のチャイムが鳴る。


「ここが、この前氷織が言っていた自宅の近くにある公園かな」

「そうです。今日のように、天気のいい休日は今みたいに子供が遊んでいることが多いんです」


 公園を見ると、遊具や砂場で楽しそうに遊ぶ子供がいる。親と遊んでいる子もいて。楽しげな声が聞こえてくる。この声が氷織の家まで届くんだな。


「氷織の家はすぐ近くか。家にはご家族がいるんだよね」

「はい。妹は午後から部活がありますが、お昼ご飯を一緒に食べる時間はあります」

「そうなんだ。緊張してきたな。一昨日の氷織の気持ちがよく分かる」

「そうですか。あのときは明斗さんが側にいたので、安心感もありました。ですから、今度は私が明斗さんを少しでも安心できるようにする番です」


 俺を見つめながらそう言うと、氷織は今一度、俺の左手をぎゅっと握ってくる。そのことで、氷織からより強く温もりが伝わってきて。

 そうだ、俺の隣には氷織がいる。だから、きっと大丈夫だろう。


「氷織のおかげで緊張が少しほぐれたよ」

「それは良かったです。……着きましたよ」


 氷織は立ち止まる。その側にあるステンレスの表札には『青山』と描かれていた。オシャレだ。

 視線をゆっくり上げると、目の前には淡いベージュの外観が特徴的な2階建ての一軒家。落ち着いた雰囲気だ。俺の家よりも広そうな気がする。


「素敵な家だね」

「ありがとうございます。では、入りましょうか」


 氷織はゆっくりと玄関を開ける。


「ただいま」

「お邪魔します」


 家の中……とても広くて綺麗だな。氷織の自宅だからか、空気がとても澄んでいる気がする。試しに吸ってみると……美味しい空気だ。


「氷織、おかえりなさ~い」

「おかえり」

「お姉ちゃん、おかえり!」


 そんな声が聞こえた次の瞬間、メガネをかけた男性とほんわかとした女性。セミロングの髪型と青のカチューシャがよく似合う中学生くらいの女の子が姿を現した。あと、3人とも氷織と同じく銀髪。おそらく、氷織の御両親と妹さんだろう。俺は3人に向かって頭を下げる。


「お父さん、お母さん、七海ななみ。お試しで付き合っている明斗さんを連れてきました。明斗さん、こちらが父のりょうと母の陽子ようこ、妹の七海です」

「初めまして。紙透明斗といいます。氷織さんとは今週の月曜日から、お試しで付き合っています。あと、クラスメイトでもあります。よろしくお願いします」


 俺は再び頭を下げる。今度はさっきよりも深めに。新年度初日の自己紹介のときとは比べものにならないくらいに緊張した。

 ゆっくり頭を上げると、陽子さんは優しい笑顔で、七海ちゃんはワクワクとした様子で、そして、亮さんは……無表情で俺のことを見ている。きっと、氷織のクールさは亮さんからの遺伝なんだろうな。


「初めまして。氷織の父の亮といいます」

「母の陽子です。初めまして」

「初めまして、妹の七海です! 中学2年生です! よろしくお願いします!」


 七海ちゃん、満面の笑みを浮かべてハキハキと喋る。クールに落ち着いて話す氷織とは正反対の雰囲気だ。


「いや~、お姉ちゃんに写真を見せてもらったときにイケメンだって思いましたけど、実際に見るとよりイケメンですね! 写真写りが悪いってわけじゃないですよ!」

「イケメンよねぇ。生で見る紙透君……とっても素敵だわぁ」


 七海ちゃんと陽子さんは一歩前に出て、俺のことをじっと見てくる。イケメンとか素敵と言ってくれるのは嬉しいけど、近くに亮さんがいる手前、どう反応すればいいのやら。


「紙透君」

「は、はい!」


 亮さんに話しかけられ、背筋がピンと伸びる。いったい、何を言われるんだろう。凄く緊張する。

 亮さんは真剣な表情になり、俺の目をしっかりと見てくる。


「氷織から聞いたが……君から告白して、君がお試しで付き合うことを提案したみたいだね」

「はい、そうです。氷織のことが大好きで、俺から告白しました。お試しで付き合おうと提案したのも俺です。俺の提案を氷織が受け入れてくれて、お試しの恋人という関係が始まりました。それから数日ほどですが、氷織のおかげで楽しくて幸せな毎日を過ごせています」


 俺が話している間、亮さんは俺の目を見ながら何度も頷いてくれた。話し終わると「そうか……」と呟くように言う。

 また、陽子さんと七海ちゃんは「おおっ」と感嘆の声を上げている。


「今の紙透君の話す様子を見て、氷織への想いが強いと分かった。あと、紙透君も楽しい日々を過ごしているんだね」

「はい。……紙透君?」

「ああ。君のことを話すときの氷織は明るいからね。一昨日、君の家に行った日の夕ご飯のときは楽しそうだった」

「そうだね、お父さん」

「紙透君のおかげで、氷織が明るく話すことがより増えたわ」

「そうですか」


 ご家族からそういったことを言われると嬉しいな。

 楽しそうに話すってことは、氷織はご家族には笑顔を見せるのかな。そのときの様子をこっそりと見てみたい。

 氷織の方を見てみると、氷織の頬がほんのり赤くなっている。俺絡みのことを話されて照れくさいのかもしれない。


「氷織が君とお試しと付き合うことを話されたときはショックだった。お試しでも恋人ができることが信じられない気持ちもあった。ただ、氷織は真剣に話していて、お試しで付き合う際のルールも決めていた。だから、嫌悪感を抱くことはなかったよ。氷織から紙透君の話を聞くうちに、ショックな気持ちも消えていった」

「……そのような心境の変化になってもらえて良かったです」


 それだけ、氷織は俺のことを楽しく話してくれているのだろう。


「紙透君。これからも氷織と真摯に付き合ってくれると嬉しい。その上で、今後のことについて2人が納得する決断してほしい」

「分かりました。約束します」

「……氷織をよろしくお願いします」


 そう言い、亮さんは俺に向かって深く頭を下げた。

 今の亮さんの声は決して大きくはない。でも、父親として娘を大切に想う気持ちが凄く伝わる声だった。

 亮さんは俺の両肩をしっかりと掴む。真剣な様子で俺を見つめてくる。


「ただ、氷織は私と妻の大切な娘達の一人だ。氷織を傷つけたり、悲しませたりしたら、君のことは決して許さないだろう……」


 亮さんは静かな口調でそう言うと、両肩を掴む力が段々強くなっていく。あの……結構力を入れていませんか。痛い。痛いんですけど。あと、にらんでいないのが逆に恐いんですけど。


「ひ、氷織さんのことを大切にします。あと、肩が痛いです」

「おっと、これはすまない。つい、力が入ってしまった」


 申し訳ない、と言って亮さんは俺の両肩から手を離した。


「私からも氷織をよろしくお願いしますね、紙透君」

「お姉ちゃんをお願いします、紙透さん。……できれば、末永く。紙透さんがお兄さんになるなら大歓迎ですっ」

「も、もう。何を言っているのですか、七海は。変なことを言うんじゃありません」


 氷織は七海ちゃんを見て、少し頬を膨らませる。こういう姿を見るのは初めてだ。ちょっと怒っているように見えるけど、氷織だから可愛く見える。あと、氷織は家族に対しても敬語を使うんだなぁ。

 ちなみに、俺も七海ちゃんが妹になるのは大歓迎だよ。


「いつまでも明斗さんを玄関に立たせてしまってはいけません。さあ、上がってください」

「うん。お邪魔します」

「今すぐにお昼を作りますね。明斗さんはどこで待っていますか? 私の部屋でもいいですし、リビングや食卓でもかまいませんが……」

「……料理を作っている氷織を見たいから、食卓で待ってもいいかな」

「いいですよ。では、食卓に案内しますね」


 ようやく、俺は氷織の家に上がるのであった。

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