第14話『隣同士で』

 氷織は本棚に近いクッションに腰を下ろす。そんな氷織の前に、俺はアイスティーの入ったマグカップを置く。その近くにマシュマロの入ったボウルを。自分のマグカップは……ベッドの近くにあるクッションの前に置いておくか。

 トレーを勉強机に置き、俺はベッドの近くにあるクッションに腰を下ろした。


「アイスティーいただきます」

「どうぞ。召し上がれ」


 氷織はアイスティーをゴクゴク飲む。

 部屋の中は……特に暑くはないと思うけど。ゾソールから家まで歩いたから、体が熱くなっているのだろうか。それとも、不可抗力な形だけど俺に抱きしめられたからだろうか。理由はどうであれ、ゴクゴクと飲む氷織が美しい。


「美味しいです。全身に冷たさが染み渡ります。ほんのりと甘いのがいいですね」

「良かった。ゾソールでアイスコーヒーを注文したとき、氷織はガムシロップを1つ付けたからね。ただ、マシュマロがあるから甘さは控えめがいいかなって」

「そういうことでしたか。ありがとうございます。では、チョコマシュマロもいただきますね」


 氷織はボウルからマシュマロを一つ掴み、口の中に入れる。昼休みにお弁当を食べているときにも思うけど、モグモグ食べる姿が本当に可愛いなぁ。そんな氷織に癒されながら、俺はアイスティーを一口飲む。


「チョコマシュマロ美味しいですね。マシュマロは甘くて、チョコはちょっと苦味があって」

「良かった。じゃあ、俺も一つ。……チョコがちょっと苦いのがいいね」

「美味しいですよね」


 氷織はマシュマロをもう一つ食べた。

 さっき、倒れそうになった氷織を抱き留めたから、自分の部屋で氷織と2人きりのこの状況にドキドキしてしまう。


「明斗さん」

「う、うん? どうした?」

「今日はバイトを頑張って、私に接客してくれました。あと、ハプニングでしたが、転びそうになった私を助けてもくれました。ですから、お礼といいますか。ご褒美といいますか。明斗さんのしたいことを一つ叶えてあげたいと思いまして」


 そう言う氷織の目つきはとても優しい。


「気持ちは有り難いけど、急に言われると何をしてほしいか迷うなぁ。休日に氷織とこうして一緒にいられることがご褒美というか。バイトの後だから報酬とも言えるかな」

「明斗さんらしいですね。でも、してほしいことを遠慮なく言ってくれていいのですよ。もちろん、以前決めたルールに触れることはダメですが」

「分かった」


 氷織の言う以前決めたルールとは、「口と口のキスはしない。その先の行為もしない」というルールのことだろう。さすがにそんな要求はしない。

 氷織にしてほしいこと……か。

 パッと思いついたのはマシュマロを食べさせてもらうこと。でも、以前、玉子焼きを食べさせてもらったからな。せっかくだから、何か別のことがいい。ただ、なかなか思いつかないなぁ。

 今まで、人のために何かしたとき、どんなお礼をされただろう。まず、小さい頃は――。


「……いいのを思いついた」

「何でしょう?」

「頭を撫でてほしいな。小さい頃、家のお手伝いをすると、両親が頭を撫でてくれることがあって。それが凄く嬉しかったのを思い出した」

「なるほどです。私も同じような経験があります。分かりました。明斗さんの頭を撫でますね」

「うん。お願いします」


 氷織はハンカチで手を拭き、俺のすぐ近くまでやってくる。そのことで氷織の甘い匂いがふんわり香ってきて。

 氷織が右手の俺の頭に伸ばしてすぐに、脳天を中心に優しい感触と温もりが伝わってくる。


「今日のバイトお疲れ様でした。しっかりとお仕事できて、明斗さんは偉いです。あと、倒れそうな私を抱き留めてくれました。明斗さんは優しくてたくましい人です。ありがとうございました」

「いえいえ」

「……私の頭の撫で方はどうですか?」

「凄く気持ちいいよ」

「良かったです。明斗さんの髪はサラサラで気持ちがいいですね。そういう意味でもいい子いい子です」

「ははっ」


 俺が小さい頃の話をしたから、氷織は「いい子いい子」って言いたかったのかな。いい子いい子って言う声がとても優しかった。氷織には妹さんがいるし、頭を撫でることには慣れていたりして。

 ちなみに、両親も頭を撫でてくれたとき「いい子いい子」と言っていたな。もう何年もそういうことはなかった。高校2年生になって、お試しの恋人からしてもらえるとは。撫でられている部分だけじゃなくて、心も温かくなっていく。


「明斗さん、いい笑顔になっています。頭を撫でられるのが嬉しいですか?」

「そうだよ。ありがとう、氷織」

「いえいえ。明斗さんが嬉しいと思ってもらえるお礼ができて、私も嬉しい気持ちになりました」

「それは良かった」


 俺に関わることで氷織が嬉しくなることが嬉しいな。

 それから少しの間、氷織からの頭撫で撫でタイムが続いた。


「明斗さんの頭を撫でられて満足です」

「俺も撫でてもらえて満足だよ。じゃあ、そろそろ『みやび様は告られたい。』の最新巻の感想を語り合うか」

「そうですね」


 俺はテーブルの上にある『みやび様は告られたい。』の最新巻を手に取る。氷織の方に向けて本を開く。


「最初の話は、2人きりになった途端にイチャイチャし始めるみやび様と白金会長のシーンが良かったですね」

「付き合い始めたからこそだよね。誰か別の人がいるときは、付き合う前と変わらない態度なのがいいなと思う」

「私も同じことを思いました」


 みやび様の話を始めたからか、氷織の声が普段よりも高めになっている。

 各話について感想を語り合っていく。氷織の方に漫画を向けているので、彼女がページをめくる役だ。

 高校の友人や筑紫先輩とか、みやび様が好きな人は自分の周りに多い。ただ、氷織と話すと、彼女が一番好きな印象を受ける。

 あっという間に、最初から3話目までの感想を語り終わった。しかし、氷織はなかなか4話目へページをめくらない。


「氷織、どうした?」

「このままだと、明斗さんが見にくいのではないかと思いまして」

「多少の見にくさはあるけど、読むのには支障はないよ」

「……そうですか」


 と言いながらも、氷織はページをめくろうとしない。

 何を考えているのかな……と思っていたら、氷織はすぐに目を見開かせる。


「2人とも読みやすい案を思いつきました。明斗さん、座る位置を少し右にずらしてくれますか?」

「ああ、分かった」


 氷織の言う通り、俺はクッションと一緒に少し右に動かす。こんなことをしてどうするんだろう?


「このくらいでいいかな?」

「OKです。では、私も動きますね」


 そう言うと、氷織はゆっくり立ち上がった。

 氷織はクッションを持ち、俺のすぐ隣に置く。そのクッションを俺の座るクッションにくっつけ、ゆっくりと腰を下ろす。氷織はみやび様の最新巻を開き、4話目の最初のページを開いた。


「こうして隣同士に座れば、明斗さんも見やすいと思いまして」

「……そうだね。さっきに比べれば見やすいよ」


 ただ、俺の左腕が氷織の右腕とくっつきそうなくらいに近い。そんな距離感だから、彼女の温もりがほんのりと左腕に伝わっている気がして。それもあって、氷織の方を気になってしまう。


「良かったです。では、この体勢で語り合いましょう」


 普段と変わりない様子で氷織はそう言った。

 それから、みやび様の最新巻の感想の語り合いを再開。

 たまに腕が触れ合って氷織のことが気になるときもあったけど、とても楽しく語り合うことができた。たまに、氷織が「このシーンはキュンとなりました」と声を弾ませて言うことがあって可愛かった。

 最新巻の感想会が終わった後は、みやび様のアニメ第1期のBlu-rayを氷織が帰る午後6時頃まで鑑賞した。そのときも氷織と隣同士に座って。


「私はこれで帰ります。明斗さんと楽しい時間を過ごせました」

「それは良かった。また来てください、青山さん」

「いつでも大歓迎よ、氷織ちゃん」

「さっき連絡先を交換したし、明斗のことでも学校のことでも、相談したくなったらいつでも連絡してね!」

「ありがとうございます。では、失礼します」


 氷織は俺の家族に向かって深めに頭を下げる。


「俺、送っていくよ」

「ありがとうございます。では、途中までお願いします」

「分かった。じゃあ、送ってくる」


 俺は氷織と一緒に玄関を出る。

 日の入りの時刻が近いこともあり、空は暗くなり始めていた。西の方角を見ると、空が綺麗なあかね色に染まっている。


「バイトから帰ってきたときよりも涼しくなっているね」

「そうですね。今の時期って昼間は暖かいですけど、日が暮れると肌寒い日も多いですからね」

「そうだね。さっき、途中までって言ったけど、どこまで送っていこうか?」

「ゾソールに行くときは、広めの道を歩いて来たのですが……」

「広めの道か。……分かった。いつも学校に行くときに通ってるから。じゃあ、その広い道を出たところまで送るよ」

「ありがとうございます」


 氷織と手を繋いで、家を出発する。冷え始めたから、手から伝わってくる氷織の温もりがとても心地いい。

 昼間でも家の近所は静かだけど、暗くなり始めているのでより静かな雰囲気が漂う。途中まででも氷織を送って正解だったかも。


「最新巻のことを語ったり、アニメのBlu-rayを観たりと、みやび様尽くしでとても楽しかったです」

「俺も楽しかったよ。あと、俺の知る人の中では、氷織が一番のみやび様ファンだよ」

「そうですか。私の知る人の中でも、明斗さんが一番のみやび様ファンです」

「おおっ、それは嬉しいな」


 みやび様はもちろんのこと、氷織と共通して好きな作品について話していきたいな。


「あと、今日借りた『幼馴染が絶対に勝つラブコメ』……帰ったらさっそく読み始めますね」

「うん。氷織のペースで読んでいいからね」

「分かりました。ありがとうございます」


 氷織がファンになってくれたら何よりだ。

 家から歩き始めて3分ほど。萩窪駅方面と笠ヶ谷駅方面に行ける広めの道に出る。人の歩く姿も見え、車の通りもある。近くにはお店やコンビニがいくつもあるので、家の近所に比べれば賑やかだ。今はまだ夕陽の明るさもあるし、ここまで送れば大丈夫そうかな。


「ここの道かな、氷織」

「そうです。ここまで来れば、家までの道は分かります」

「分かった。気をつけて帰るんだよ」

「はい。また明日です」

「また明日」


 氷織は俺に手を振ると、笠ヶ谷方面に向かって歩き始める。

 夕陽に照らされた氷織の後ろ姿はとても美しい。サラサラとした長い銀髪が輝いていて。氷織の姿が見えなくなるまで、俺はその場で立ち尽くすのであった。

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