第7話『バイト』
放課後。
これから地元にあるチェーンの喫茶店でバイトがある。氷織には昼休みにお昼ご飯を食べている間に伝えてある。
氷織は掃除当番が終わったら文芸部へ行くとのこと。氷織曰く、文芸部は毎週火曜日と木曜日の放課後に活動しているそうだ。
「アキ、また明日な! バイト頑張れよ!」
「ああ。和男も清水さんと一緒に部活頑張って」
「おう!」
和男は清水さんと一緒に教室を後にした。その際に2人が手を振ってきたので、俺も手を振った。
俺はスクールバッグを持って氷織のところへ向かう。
「氷織。掃除当番と部活頑張ってね」
「ありがとうございます。明斗さんもバイトを頑張ってください」
「ありがとう。頑張るよ」
今の一言で、今日のバイトは休憩がなくても頑張れそうな気がする。それに、今日は普段と違ってあまり疲れを感じていない。昼休みに、氷織特製の玉子焼きを食べさせてもらったからかも。
「ひおりん! 一緒に部活行くッス!」
教室に入ってくるや否や、葉月さんは氷織に向かって元気良く言う。
「ごめんなさい、沙綾さん。今週は掃除当番でして。先に部室へ行くか、廊下で待っていてもらえますか?」
「了解ッス。じゃあ、廊下で待っているッス」
「分かりました」
「紙透君はこれから帰るッスか? それとも、文芸部に見学しに来るッスか?」
「今日はこれから喫茶店でバイトがあるんだ。文芸部は……魅力的だけど、マイペースに読んでいければいいかな。書く方は全然できないし。読書感想文を何とか書けるくらいで」
ラノベや小説を読むのが好きだから、中学生のときに作品を書くことに挑戦してみた。でも、話が全然思いつかないのですぐに断念。内容や長さを問わず、作品を書ける人は凄いと実感した。
「ただ、本とかのことで、氷織や葉月さんと話せたら嬉しいな」
「そうですね。これから、明斗さんとそういうことも話していきたいです」
「あたしもいいッスよ!」
氷織も葉月さんも明るく言ってくれる。2人と楽しく語れる作品があったら嬉しいな。
「紙透君は喫茶店のバイトと言っていたッスけど、何ていう名前のお店ッスか?」
「ゾソールっていうチェーンの喫茶店だよ」
「ゾソールッスか。学校の近くやあたしの地元にもあるッスね。何度も行ったことがあるッス」
「私も笠ヶ谷駅近くにあるゾソールは何度も利用したことがあります」
「店員として嬉しいな。俺がバイトしているお店は、家の近くにある萩窪駅北口店ってところだ」
「そうッスか。あと、紙透君は萩窪に住んでいるッスね。あたしは高野ッス。駅近くの商業施設に入っている書店でバイトしているッス」
「そうなんだ」
高野は……笠ヶ谷駅からだと、東京方面に2駅のところにある。1年のとき、高野に住んでいる友達の家に2、3回行ったことがある。駅を中心に商業施設が多く集まっている街だ。
あと、葉月さんは書店でバイトをしているのか。文芸部にも入っているし、彼女はとても本が好きなんだな。
「そういえば、氷織がバイトをしているかどうかは訊いていなかったな。氷織はバイトしているのか?」
「いいえ、していません。ただ、自分の書いた小説を複数の投稿サイトに公開していまして。そこで毎月広告収入をもらっています。有り難いことに、よく読まれているので……なかなかの額を」
「そうなんだね。書けるだけでも凄いのに、お金をもらえるなんて。ネット小説はたまに読むよ。課題を終わった後とか、バイトの休憩時間とかに」
「そうでしたか。
「蒼川小織……って、あの『
「そうです」
と、氷織は頷く。
有栖川学園文芸部シリーズとは、複数の小説投稿サイトで公開されている学園ミステリーシリーズのこと。有栖川学園という私立高校の文芸部に所属する主人公の男子が、学校や生徒、学校のある地域で起こった事件や謎を解いていく。連作形式で、1つ1つの章は短編から中編のボリューム。不定期ではあるけど、章ごとにまとめて公開される。
有栖川シリーズは謎解きだけでなく、キャラクター達のドラマも高い評価を得ている。推理ジャンルのランキングでは、常にトップ5に入るほどの人気作だ。
「俺、有栖川シリーズはよく読んでる。凄く面白いよね。あと、ラブコメとガールズラブの短編も何作か読んだ。キュンとなった作品もあったな」
「ありがとうございます。嬉しいです。読むのは恋愛系が一番多いですが、書くのは学園や青春ものも結構書きます。有栖川シリーズは代表作と言ってもいいです」
俺を見る氷織の目が輝いている。自分の作品が読まれ、面白いと言ってもらえるのが嬉しいのだろう。
俺の好きなネット小説の作者が氷織だったとは。氷織に後光が差しているように見えるのは気のせいかな。ちょっと眩しいのですが。
「ちなみに、あたしも公開しているッスよ。
「花月沙耶……ガールズラブ作品の短編を読んだことある。結構過激な描写もあったな。面白かったよ」
「嬉しいッスね。あたしは恋愛全般好きッスが、特にガールズラブとボーイズラブが大好物でよく書くッス! 体が絡み合うのも好きッスよ」
ふふっ……と厭らしさも感じられる笑い声を出す葉月さん。今も誰か絡み合っているシーンを妄想しているのかな。あと、昨日は俺達がお試しで付き合った話を聞いて、新作の構想を練っていたって言っていたな。いつか、その作品が何らかの形で公開されるのかも。
「青山さん! 掃除始めよう!」
「分かりました」
「……そうだ。氷織は掃除当番だったな。話し込んじゃってごめん」
「ごめんね、ひおりん」
「いえいえ、気にしないでください。楽しく話せましたし。明斗さん、バイトを頑張ってくださいね」
「頑張るッスよ、紙透君」
「うん、ありがとう。2人も部活頑張って。また明日」
俺は氷織と葉月さんに手を振って、教室を後にするのであった。
午後4時前。
バイト先のゾソール萩窪駅北口店に到着する。
お店の裏側にある従業員用の出入口から、店内に入る。スタッフ用の休憩室でタイムカードを押し、男性用の更衣室で高校からお店の従業員用の制服に着替える。
「よし、今日も頑張るか」
俺はカウンターへ向かう。
去年の今ぐらいの時期からこのお店でバイトしており、主にカウンターで接客業務をしている。
「おっ、紙透君。高校お疲れ様」
カウンターに行くと、そこには
筑紫先輩は仕事がよくでき、長身でイケメン。落ち着いた雰囲気なので、若い女性中心に先輩目当てのリピーターの方もいる。あと、メガネをかけているので、メガネ男性ファンの方も。言い寄られたり、告白されたりすることもあるそうだが、先輩はきっぱり断っている。
「先輩も大学お疲れ様です」
「ありがとう。今日も一緒に頑張ろう」
「はい」
今日は氷織や葉月さんからも「バイト頑張って」と言われている。いつもよりもやる気が漲っていた。
俺は筑紫先輩の隣のカウンターに立って、接客をしていく。
バイトを始めてからおよそ1年。今は一通りの業務をこなせるようになった。ただ、今でも筑紫先輩が隣にいると安心感がある。
夕方なので、制服姿や大学生らしきお客様が多い。ほぼ絶え間なく接客するので、あっという間に時間が過ぎていく。
1時間以上経って、俺は休憩に入る。
休憩室に行くと、筑紫先輩がコーヒーを飲みながらスマホを弄っていた。
「紙透君、お疲れ様」
「お疲れ様です、筑紫先輩」
俺は紙コップにアイスコーヒーを入れ、筑紫先輩の正面にある椅子に座る。すると、先輩はスマホをテーブルに置き、俺を見てきた。
「今日の紙透君は凄く元気だね。いい表情で接客できていたし。何かいいことがあった? 好きな漫画かラノベのアニメ化が決定したとか? それとも、何かのキャンペーンに当たったとか?」
持ち前の爽やかな笑みを浮かべながら、筑紫先輩はそう問いかける。先輩は大の漫画とラノベ、アニメファン。なので、オタク仲間的な繋がりもある。休憩時間に漫画やアニメなどのことについて話すこともある。先輩はラブコメと異世界ファンタジーが特にお好き。
氷織のおかげで、普段よりも元気よく接客できている。そんな俺の姿を見て、先輩は何かいいことがあったのだと考えたのだろう。先輩なら氷織とのことを話しても大丈夫かな。
「実は……昨日から、クラスメイトの女子とお試しで付き合うことになりまして」
「おぉ。お試しで」
そう言う筑紫先輩の顔には依然として爽やかな笑み。
「はい。半年くらい前に一目惚れして。ただ、その子は全ての告白を断っていて。今まで告白する勇気が出なかったんですけど、昨日の放課後に2人きりになって。勇気を出して告白したんです」
「かっこいいね。でも、どうしてお試しって流れに?」
「今までの告白とは違った感じがしたそうで、断る気にはなれないと。ただ、俺を好きかどうかは分からないみたいで。だから、俺から期間を決めてお試しで付き合おうって提案したんです。それを彼女が受け入れてくれて」
「なるほどね、そういうことか。お試しでも、好きな人と付き合えるとなったら嬉しくなるね。だから、今日の接客が今まで以上に良かったと」
「おそらく」
俺がそう言うと、筑紫先輩の笑みが優しいものに変わる。
「そっか。お試しでも、付き合えるようになっておめでとう。正式に恋人として付き合えるようになるといいね。応援してるよ」
「ありがとうございます」
良かった、筑紫先輩が応援してくれて。
「高校時代……僕の友達に、紙透君のように好きな女子とお試しで付き合っていた奴がいたな」
「そうだったんですか。ちなみに、ご友人は好きな方とどうなりましたか?」
「正式に付き合い始めたよ。今は同棲してる。もちろん、仲は良好みたいだよ」
「そうですか」
実際に、お試しの交際を経て正式に付き合い始めたカップルの話を聞くと心強くなる。
あと、正式に付き合い始めたら、同棲する可能性もあるんだよな。今日は玉子焼きを作ってくれたし、食べさせてもくれた。氷織との同棲生活を色々と妄想してしまう。
「表情が緩んでいるね。付き合っている子との同棲模様でも想像しているのかな?」
「……よく分かりましたね」
「今の話をしたら、おおよその見当はつくさ。僕もそう思える人と出会える日が来るのかなぁ。三次元にも素敵な人はいるけど、僕が恋する人はみんな二次元にいるんだよね」
「先輩らしいですね。あと、今後……彼女と会っても、変な気を起こさないでくださいよ。先輩なら大丈夫だと思いますが、一応言っておきます」
「安心して。紙透君と恋人の子が嫌がることはしないさ」
「……信じてますからね」
「ああ」
再び爽やかに笑い、筑紫先輩は俺の目を見て頷いた。
それから少しの間、筑紫先輩に氷織が書いている小説や最近スタートしたアニメの話をして、再びカウンター業務をするのであった。
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