第6話『氷織との昼休み』
昨日の放課後と同じように、授業中に教員が座る椅子を氷織の机の前まで動かし、氷織と向かい合う形で座る。
ただ、椅子を動かしたとき、教室から出ようとする火村さんと目が合い、にらまれた。
ちょうどいい。火村さんがいないうちに、氷織に火村さんのことを訊いてみるか。
「では、お昼ご飯を食べましょうか」
「その前に……氷織に訊きたいことがあるんだ。いいかな?」
「いいですよ。どのようなことですか?」
「……前から、氷織は火村さんからにらまれているよね。火村さんと何かあったのか? 今日は俺も何度かにらまれているけど」
今朝、登校中の通学路で、氷織は女子生徒達から鋭い視線を向けられていた。それについて、氷織は気にしないと言った。でも、火村さんはクラスメイト。だから、火村さんのことについて訊いておきたかったのだ。
「……一つ、心当たりがあります。それは2年生になった直後のことでした。この階にある女子用のお手洗いで、火村さんとぶつかってしまって。彼女が倒れてしまう前に抱き寄せました。なので、怪我はなさそうでした。ただ、にらまれるようになったのは、そのことがあってからなんです」
「そうなんだ。ということは、ぶつかっちゃったことが原因かもしれないな」
火村さんにとって、氷織とぶつかってしまったのは相当嫌なことだったのかもしれない。
「俺はてっきり、自分よりもたくさん告白されていることの嫉妬だと思ってたよ」
「火村さんも何人もの生徒に告白されていますよね。それもにらむ原因の一つかもしれません。ただ、登校中にも言いましたが、私は人から視線を向けられることには慣れています。好奇な視線も、嫌悪な視線も。ですから、気にしていません。それに、火村さんから話しかけられたり、彼女の友人達から嫌がらせをされたりしたことはありませんから」
特に表情を曇らせることなく、氷織はそう言った。気にしていないというのは本当のようだ。
「そうか。氷織がそう言うならいいけど。ただ、嫌だなって思ったり、不安になったりしたら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。あと、今日から明斗さんもにらまれるようになったんですよね。私の彼氏になったのが原因でしょうか」
「きっとそうだろうね。でも、気にしないで。俺もにらまれているだけだから、今のところは大丈夫だよ」
俺は1年くらい接客のバイトをしている。その中で、お客様に悪態をつかれた経験が何度もあるから。クラスメイトの女子からにらまれるくらいは平気だ。
あと、氷織が俺のことを「私の彼氏」と言ってくれるのが凄く嬉しい。
「分かりました」
ほっとしたのか、氷織は胸を撫で下ろした。
「ごめんね、こんな話をして」
「いえいえ。では、お昼ご飯を食べましょうか」
「そうだね。いただきます」
「いただきます」
俺は弁当包みを開き、弁当の蓋を開ける。すると、そこにはミニハンバーグや玉子焼き、きんぴらごぼうなどの定番のおかずが。ミニハンバーグを食べてみると……うん、美味しい。
氷織の方を見ると、彼女のお弁当もミートボールや煮物、ミニトマトなどの定番のおかずが入っていた。氷織はミートボールを一口で食べる。モグモグしていて可愛いなぁ。美味しいのか、表情が明るくなったように見える。今まで、こういう光景を何度も見てきた葉月さんが羨ましい。
「氷織のお弁当、美味しそうだね。自分で作るの?」
「主に母が作ってくれます。早めに起きられたときは、私もおかずを作りますね。料理をすることは好きなのですが。朝はそんなに強くなくて。もちろん、明斗さんと待ち合わせするのがキツいわけではありませんよ」
「そっか。なら良かった」
ただ、朝がそんなに強くないのは意外だ。どんなに遅くまで起きていても、朝は決まった時間にちゃんと起きられるイメージがあった。
「明斗さんのお弁当も美味しそうです。明斗さんも親御さんが?」
「そうだね。主に母親で、父親がたまに作ることもある。俺も朝早く起きられることはあまりなくてさ。料理は……一応作れるって感じかな」
「そうなのですね。……ところで、明斗さん。玉子焼きが入っているということは、玉子焼きはお好きなのですか?」
「うん、好きだよ」
「そうですか。良かったです。実は……今日は早く起きられまして。明斗さんに何か作れないかと思ったのです。それで、得意料理の一つの玉子焼きを作りました」
「そうなんだ! 嬉しいなぁ」
まさか、氷織が俺のためにおかずを作ってきてくれるなんて。しかも、玉子焼きは俺の好きなおかずの一つである。テンションがうなぎ登りだ。
氷織はスクールバッグから、小さな青い巾着袋を取り出す。その袋を開け、タッパーを取り出す。俺の弁当箱の横に置き、タッパーの蓋を開ける。すると、中には玉子焼きが。黄色く、ふんわりとしていて美味しそうだ。
「美味しそうだね」
「明斗さんの好みが分からなかったので、いつも私が作っているやり方で作ってみました。お口に合えば何よりです。このピックを使ってください」
「うん。じゃあ、まずは一ついただきます」
氷織から受け取った青いピックを玉子焼きに刺し、口の中に入れる。
舌に乗った瞬間、玉子焼きの甘味がほんのりと感じられる。ゆっくり噛んでいくと、その甘味が口の中に優しく広がっていって。あと、見た目通り、ふんわりとした食感だ。
「凄く美味しいよ。甘めに作ったんだね。見事に俺好みだ」
実は知っていたんじゃないかと思えるくらいに俺好みの味だ。
「明斗さんに美味しいと言ってもらえて良かったです。とても嬉しいです」
そう言うと、氷織の口角が少し上がった。きっと、俺が玉子焼きを気に入った嬉しさによるものだろう。いつも無表情だから、口角がちょっと上がっただけで、結構明るい印象に。
「せっかくですから、玉子焼きを食べさせてあげましょうか?」
「えっ! い、いいのか?」
「もちろんです。恋愛漫画や小説を読んでいると、恋人に料理やお菓子などを食べさせるシーンがありますし。それに、妹も私が食べさせると『普通に食べるより美味しい』と言ってくれますので」
「なるほどね。じゃあ、食べさせてもらおうかな。妹さんの言葉が本当か確かめてみたいし」
「分かりました」
何人もの生徒に見られている恥ずかしさはある。でも、とても美味しいこの玉子焼きを、作ってくれた氷織に食べさせてほしい気持ちが勝った。
青いピックを氷織に渡す。氷織は玉子焼きにピックを刺し、俺の口元まで持っていく。
「では、明斗さん。あ、あ~ん……」
「あーん」
氷織に玉子焼きを食べさせてもらう。
さっきと同じ玉子焼きのはずなんだけどな。さっきよりも甘味が強くて、味わい深く感じられる。氷織に食べさせてもらったのもあって、顔の筋肉が緩んでいくのが分かる。あぁ、幸せだ。
周囲から「いいなぁ」とか「羨ましいぜ」という声が聞こえてくる。今の幸せな状況だと、そんな声さえも玉子焼きが美味しくなる調味料になるよ。
周りを見てみると、教室にいる生徒の多くがこちらを見ている。氷織が俺に玉子焼きを食べさせたからか、羨望の眼差しを向ける生徒もいて。また、和男と清水さんはニヤニヤしており、教室に戻ってきていた火村さんは相変わらず不機嫌そうにしていた。
「妹さんの言う通りだね。自分で食べたとき以上に美味しいよ」
「良かったです。幸せそうな明斗さんを見て、食べさせるのっていいなと思いました」
「それは良かった」
「あと一切れありますので、それも食べさせてあげますね」
「ありがとう」
俺は最後の一切れも氷織に食べさせてもらった。自分の弁当がまだまだ残っているけど、もう何も食べなくていいと思えるくらいの満足感だ。
もちろん、その後に自分のお弁当もちゃんと完食しました。ごちそうさまでした。
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