第4話『新しい朝』

 4月27日、火曜日。

 今日はとても気持ち良く起きられた。今年一番……いや、人生で一番と言っても過言ではない。きっと、氷織とお試しの恋人になれたからだろう。

 天気予報によると、今日は一日中晴れて、雨が降る心配はないという。なので、今日も自転車で登校することに。

 今までと変わらない時間に家を出発しても間に合う。ただ、今日が初めての待ち合わせ。念のために、普段よりも少し早めに家を出発した。

 ギアはいつもと変わらないのに、ペダルが軽く感じる。スイスイと走れて気持ちがいい。今ごろ、氷織も待ち合わせ場所に向かって歩いているのかな。

 何事もなく、氷織と昨日別れた交差点に辿り着く。

 腕時計で時刻を確認すると、今は……午前8時2分か。この時間だと、氷織はまだ来ていないかもしれない。

 青信号になったので、交差点を渡り、待ち合わせ場所の高架下へと向かう。


「あれは……」


 高架下が見えた瞬間、そこに銀髪の女性が立っているのが見えた。紺色のジャケットに濃い灰色のスカート。それに、赤いリボン。笠ヶ谷高校の女子の制服だ。間違いない。あの女性は氷織だ。高架下に近づいていくと、その推理が正しいと分かった。

 高架下のすぐ近くで自転車から降り、氷織のところへ。


「氷織、おはよう」


 声を掛けると、氷織はこちらを向いて小さく手を振ってくる。今日も氷織はとても綺麗で可愛いな。そんな彼女が俺の恋人なんだよな。お試しだけど。今でも夢じゃないかと思うほどに幸せだ。


「おはようございます、明斗さん」

「おはよう。初めての待ち合わせだから、ちょっと早めに出たんだ。そうしたら、もう氷織が待っていたなんて。待ったか?」

「いいえ。数分ほど前に来ました。私も同じような理由で早めに家を出て。あと、この場所で明斗さんと会えて、嬉しさと安心感を抱きました。初めての待ち合わせだからでしょうか」

「それはあるかも。俺も氷織に会えて安心したよ。じゃあ、学校へ行こうか」

「はい」


 俺達は学校に向かって歩き始める。

 この道は入学した頃から自転車で走っているし、昨日の帰りには氷織と一緒に歩いた。ただ、氷織と一緒に登校するのは初めてだから、周りの景色がとても新鮮に感じる。


「あのさ、氷織」

「何でしょう?」

「今まで、こうやって誰かと待ち合わせして高校へ行ったことってある?」

「全然ないですね。ただ、笠ヶ谷駅の構内を通ったとき、電車通学している文芸部の友人と会えたら、その子と一緒に登校することはあります」

「そうなんだ。文芸部の友人っていうのは、たまに昼休みにうちの教室に来て、氷織とお昼ご飯を食べている女子のことかな」

「そうです。ただ、東京中央線は数分ほどの遅延がある日も珍しくないですし。その子は寝坊してギリギリで登校するときもあるそうですし。私も家を出発する時間がきっちりとは決まっていませんからね。駅に行ったとき、改札から南口まで見渡して、その子の姿が見えなかったら1人で行きますね」

「なるほどな」


 父親と姉貴が通勤通学に東京中央線を使っている。2人も「朝は何分か遅延することも珍しくない」って言っていたな。


「明斗さんは待ち合わせして学校へ行くことはあるのですか?」

「普段はしないなぁ。学校の近くで友達に会えたら、自転車を降りて一緒に行くくらい。あと、定期試験前の部活禁止の時期は、和男と待ち合わせて登校するよ。朝練ないからね。和男が住んでいるのは、待ち合わせ場所の近くにあるマンションだから」

「そうなんですね。倉木さんとは本当に仲がいいんですね」

「ああ。高校で出会った人の中では一番仲がいいよ」

「そうですか。……私もその子が高校で出会った人の中で一番仲がいいですね」

「そうなんだ」


 一番仲がいいから、その子の前では何度か微笑みを見せるんだろうな。俺も……氷織が微笑んでくれるような存在になっていけたらいいな。


「ところで、明斗さんは私達の関係について誰かにお話ししましたか?」

「家族と和男、清水さんには話した。俺が氷織に一目惚れしているのを知っていたから、みんなおめでとうって言ってくれた。父親と清水さんは、お試しでも恋人の氷織を大切にしなさいってアドバイスをくれたよ」

「そうでしたか。良かったです。私も家族と、文芸部の友人には伝えました。経緯を話し、明斗さんの写真を見せ、家族には一緒に決めたルールを書いたメモ帳も見せました。そうしたら、みんなお試しで付き合うことを了承してくれました。妹は興奮し、母はワクワクしていましたね」

「そうなんだ。それを聞いて安心した」


 ご家族がどんな反応をするか不安だったけど、了承してくれたんだ。正式ならともかく、お試し期間を設けて付き合うことに難色を示すかと思ったけど。特にお父様。

 あと、お母様はワクワクして、妹さんは興奮したのか。氷織がクールで無表情なのが通常営業だから、ご家族はみんな落ち着いている性格の方達だと思っていた。氷織のクールさはお父様譲りなのかな。それとも、氷織の性格なのか。

 氷織と話しながら歩いているからか、気づけば笠ヶ谷高校の近くを歩いていた。校門が見え始めている。

 周りには笠ヶ谷高校の生徒がたくさん歩いており、その多くがこちらを見ている。驚いたり、懐疑的な視線を送ったりしている生徒が多い。中には俺を恋人認定したのかにらみ付けている生徒もいる。


「あの絶対零嬢が男子生徒と一緒に歩いているなんて……」

「信じられねぇ。夢を見ているんじゃないか? 映像だけがリアルな夢を」


 などといった声が聞こえてくる。俺も、もし氷織が別の男子と歩いているところを見たら、これは夢なんじゃないかと疑ってしまうだろうな。


「私達、注目されていますね」

「そうだね。氷織は人気の有名人だからね」


 それに、氷織はこれまで全ての告白を振ってきた。そんな彼女が男子生徒と一緒に歩いているところを見たら、何事かと思ってしまうだろう。これからしばらくの間は、今のように多くの生徒から視線を向けられるのが普通になりそうだ。


「明斗さん目当ての人もいそうな気がしますが。明斗さんはかっこいいですし、優しそうな雰囲気が出ていますから」

「……いるのかなぁ」

「きっといますよ。あと、私のことをにらむ生徒もいます」


 氷織がそう言うので周りを見てみると……確かに、氷織に鋭い視線を送る女子生徒が何人かいる。


「……いるね」

「……私は多くの生徒から告白されます。ただ、全て断ってきました。そんな私を面白くない、憎いと思う人はいるでしょう。それは重々承知しています。にらまれる程度なら全然気にしません。それに、人から見られることにも慣れていますし。ですから、大丈夫ですよ」

「それならいいけど。ただ、無理はしないでね。辛かったら俺に言って」

「ええ」


 と返事し、氷織は俺の目を見ながら頷いた。


「ちなみに、絶対零嬢って言われていることはどう思っているの?」

「揶揄も込められているかもしれませんが、特に嫌だとは思っていませんよ。それに、絶対零嬢……悪くない響きです」

「そうか」


 意外だ。嫌がっているかもしれないと思っていたから。

 俺達は校門を通って笠ヶ谷高校の中へ。

 俺は駐輪場に行き、自転車を停める。誰かによって盗まれたり、乗れない状態にされていたりしないことを祈る。


「お待たせ、氷織。行こうか」

「ええ」


 氷織と一緒に、教室B棟の昇降口に向かって歩き始める。

 学校の中に入ると、俺達を見てくる生徒は一段と増える。ざわざわもしていて。あと、LIMEなどで、氷織が男子生徒と一緒に登校した話が広まったのだろうか。教室の窓から俺達を見ている生徒が複数いて。俺まで有名人になった気分だ。そわそわしてくる。

 氷織は……平然としている。普段から注目を受けているからだろうか。さすがだ。


「あ、青山先輩!」


 教室B棟に入ろうとしたとき、俺と同じくらいの身長の黒髪男子が話しかけてきた。氷織を先輩と言っているし、ブレザーのラペルホールについている校章バッジの色が緑。彼は1年生か。顔が赤くなっているから、氷織に話しかけた理由は察しが付く。


「俺、入学した直後に先輩を見てからずっと好きです! 俺と付き合ってくれませんか!」


 やっぱり告白か。隣にいる俺のことが見えていないのか。それか、見えていても俺が恋人ではない可能性に賭けたのだろう。

 氷織はすっと俺の右手を掴んで、


「ごめんなさい。あなたとお付き合いすることはできません。昨日から、こちらの彼と付き合い始めましたので」

『えええっ!』


 氷織がそう返事をした瞬間、周りにいる生徒達がそんな声を上げた。その声が大きく、体がビクついてしまう。氷織も驚いたのか、目を見開いている。

 告白した男子生徒はショックのあまりか、口を開けたまま放心状態である。

 周囲を見渡すと俺達を見る生徒が多数。驚いたり、ショックを受けたりしている生徒も複数人いる。

 これだけ多くの生徒が近くにいたら、「氷織が男子生徒と付き合っている」と全校生徒に知れ渡るのは時間の問題かな。


「……そ、そうっすか」


 氷織に告白した男子生徒のそんな声が聞こえたのでそちらを向くと、彼は両目に涙を浮かべていた。


「どうかその人とお幸せにー!」


 叫ぶようにしてそう言うと、男子生徒はB棟の中へ走り去ってしまった。あと、お幸せにと言ったあの男子生徒はいい奴だ。

 俺達を見ていた生徒達も少しずつ散らばり始める。


「行ってしまいましたね。あと、ごめんなさい、明斗さん。勝手に手を掴んでしまって。こうすれば、私達の関係がより分かってもらいやすいと思ったので」

「なるほどね」


 確かに、異性で手を繋ぐことは、恋人や夫婦といった関係でなければなかなかしないイメージがある。幼少期なら、友達同士でも繋ぐことはありそうだけど。

 あと、今さらだけど、俺……氷織と手を繋いでいるんだ。手ではあるけど、肌が触れ合っているし。急にドキドキしてきた。


「き、気にしないでいいよ。それに、氷織と手を繋げて嬉しいし」

「そう言ってもらえてほっとしました。あと、手から明斗さんの温もりが伝わってくるのはいいですね」

「良かった」


 変な感じだったから、今のようなとき以外は手を繋ぎたくないって言われたらどうしようかと思った。

 それから。昇降口に着くまでは氷織と手を繋いだ。

 上履きに履き替え、俺達は2年2組の教室へ向かった。

 前方の扉から教室に入る。一緒に教室に入ったからなのか。それとも、俺達が付き合っている話が広まっているからなのか、クラスメイトの大半が俺達を見ている。


「ちっ」


 舌打ちが聞こえたのでその方へ向くと、クラスメイトの火村恭子ひむらきょうこさんが自分の席からこちらをにらんでいた。凜々しい雰囲気や整った顔立ち。そして、赤髪のポニーテールが印象的な女子生徒だ。

 火村さんは前から氷織をにらんでいるけど、何か気に入らないことがあるのだろうか。ちなみに、彼女も人気があり、多くの生徒から告白されている。ただ、氷織ほどではないので、そのことに嫉妬しているのかな。それらのこともあり、「氷の青山、炎の火村」と言うクラスメイトもいる。


「アキ、青山、おはよう!」

「2人ともおはよう!」


 和男と清水さんが、こちらに向かって元気良く手を振ってくる。そんな2人に俺達も手を振る。氷織と一緒に2人のところへと向かう。


「和男、清水さん、おはよう」

「おはようございます。清水さんに倉木さん」

「おはよう! お試しでも付き合えるようになって良かったな、アキ!」


 バシン! と、和男は俺の背中を叩いてくる。勢いもあるから「うおっ」と変な声を漏らしてしまった。あと、物凄く痛い。


「和男。力を加減してくれ。痛い」

「す、すまん! 嬉しさが右手に宿っちまって、つい。青山、アキはいい奴だ。アキと仲良くしてくれると嬉しいぜ!」

「和男君の言う通りだね。紙透君と仲良くしてあげてね。頼りになるいい人だよ」

「昨日の放課後にお話ししたとき、明斗さんは頼りになる方だと思いました」

「そっか。紙透君、昨日も言ったけど、青山さんを大切にしないとダメだよ。お試しの恋人になったからって変なことはしないようにね」

「もちろんさ」


 氷織が嫌がったり、傷付いたりすることをしないように気をつけないと。


「それならよろしい。青山さんもいつでも頼っていいからね」

「ありがとうございます、清水さん」


 清水さんは快活な子で、さっきのようにアドバイスもくれる。きっと、氷織の心強い味方になるだろう。


「あたしのことは名前で呼んでいいよ、氷織ちゃん」

「分かりました。……美羽さん」


 氷織に名前で呼んでもらえたからか、清水さんは満足そうに頷く。


「うん、いい感じ! これからは友達として仲良くしようね!」

「俺ともな! 友人の恋人は俺の友人だ!」

「ええ」


 何という理論。ただ、人情味のある和男らしい発想だと思う。清水さんっていう恋人がいる和男なら、友人として氷織と付き合っていけるだろう。


「じゃあ、連絡先交換しようか! 和男君も」

「おう!」

「分かりました。いいですよ」


 氷織は清水さんと和男と連絡先を交換する。2人の友人ができたからだろうか。スマホの画面を見る氷織の表情は、普段よりも明るく見えたのであった。

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