第3話『明日から。』

 俺は氷織と一緒に教室を後にし、教室B棟の昇降口へ向かう。ゴミ捨て場から教室に戻ってきたときと比べてもB棟の中は静かだ。

 昇降口でローファーに履き替え、教室B棟を出る。生徒の姿は数えるほどしか見えないので、氷織と一緒に歩いていても騒ぎになることはない。


「氷織。俺、自転車で通学しているから、駐輪場まで取りに行ってくるよ」

「分かりました。では、正門で待っていますね」

「分かった」


 氷織とは一旦別れ、自転車を取りに行くために駐輪場へ。

 氷織は電車通学かな。それとも、地元に住んでいて徒歩なのかな。笠ヶ谷高校は偏差値がそれなりにある都立の進学校で、最寄り駅の笠ヶ谷駅からは徒歩3分。地下鉄の南笠ヶ谷駅からでも徒歩10分ほどなので、電車通学の生徒は結構多い。

 スクールバッグをカゴに入れ、自転車を押して正門まで行く。


「お待たせ」

「いえいえ。ところで、明日からはどこかで待ち合わせして一緒に登校しますか?」


 俺をしっかりと見ながら、氷織はそう問いかけてくる。何て素敵な提案だろう。俺が来るまでの間、ずっとこのことを考えていたのかな。もしそうなら可愛いなぁ。


「もちろんいいよ」

「分かりました。では、明日からは一緒に登校しましょう」

「分かった。じゃあ、待ち合わせ場所はどこにしようか? 電車通学なら、駅を出たところがいいかなって思っているんだけど」

「私、徒歩通学なんです。笠ヶ谷駅の北側に住んでいまして。学校までは10分くらいで」

「徒歩通学なんだ。近くていいな。俺は隣の萩窪はぎくぼ駅が最寄り駅なんだ。自転車だと10分あれば着くかな。歩くと20分ちょっとかかるんだ。いい運動になるから、雨が降ったときは歩くことが多いよ」

「そうなんですか。明斗さんは自転車ですし、登校時は駅の南口は人が多いです。なので、別の場所の方がいいかもしれません。ちなみに、私の家は笠ヶ谷駅からだと萩窪寄りにあるのですが」

「そうなんだ。それなら、いつも自転車で走っているルートの途中に、待ち合わせるのに良さそうなところがあるよ」

「そうですか。では、そこへ行ってみましょう」


 俺達は待ち合わせ場所の候補のところに向かって歩き出す。

 俺の隣で氷織が歩いている光景……たまらないなぁ。横顔がとても綺麗だ。ただ、気を取られすぎて、交通事故とかを起こさないように注意しないと。

 歩き出してすぐに、氷織に一目惚れした公園の横を通る。砂場で幼稚園くらいの子が遊んでいたり、ベンチで笠ヶ谷高校の女子生徒達が談笑していたりする様子が見える。


「この公園にいた私を見て、明斗さんは一目惚れしたんですよね」

「そうだよ」

「この公園には、のんびりとしている猫ちゃんがたまにいて。帰りに触っているんですよ。今日は……いないですが」

「そうなんだ。あの日は……ここら辺で自転車に乗ろうとしたとき、公園から猫の鳴き声が聞こえてさ。そうしたら、氷織が黒いノラ猫を撫でているところを見て。それで一目惚れしたんだ」

「そうでしたか。一目惚れのときに猫ちゃん。明斗さんが告白してくれた直前にも猫ちゃん。猫ちゃんは私達を繋げてくれる存在ですね」

「それは言えてるな」


 小さい頃からずっと猫派だけど、これからは猫がもっと好きになりそうだ。

 それから程なくして、笠ヶ谷駅へ繋がる通りとの交差点に差し掛かる。ここら辺は商業施設もあって賑わっている。曲がればすぐに駅だけど、俺達は真っ直ぐ進む。


「これまで、登下校のときは駅の構内を通るの?」

「それが多いですね。駅の北側と南側を簡単に行き来できますし。帰りは駅の近くにあるお店に行くこともありますから。たまに、気分転換に別ルートで登下校することもあります。そのとき、この道を歩きますね」

「そうなんだ。じゃあ、もしかしたら待ち合わせ場所に考えているところは、氷織が歩いたことのある場所かもしれないな」


 もしそうであれば、氷織も行きやすいだろう。

 駅から離れていくので、段々と落ち着いた雰囲気になっていく。住宅街も見える。ここら辺なら駅からも近いし、住むのにいいなと思う。


「ここだよ」


 校門を出てから数分ほど。

 俺達は線路の高架下に辿り着いた。


「この高架下ですか。さっき言った気分転換に通るルートですね」

「それなら良かった。ここなら雨や雪が降っても待っていられる。あと、歩道も広いから立っていても邪魔にならないと思って。元々、人通りはそこまで多くないけど」

「そうですね。ここであれば家からも行きやすいです。いい待ち合わせ場所だと思います」

「そう言ってくれて良かった。じゃあ、これからはここで待ち合わせて、一緒に学校へ行こうか」

「はい。笠ヶ谷は8時半までに行く決まりですから……8時10分頃に会いましょうか」

「分かった」


 それなら、これまでと同じ時間に家を出ても大丈夫かな。


「もし何かあって、時間までに来られなさそうだったら、LIMEとかで連絡するようにしよう」

「分かりました」


 待ち合わせの場所と時間も決まったし、明日からは登校も楽しみな時間になる。

 俺達は再び歩き出す。高架下を通って線路の北側へ。すぐ近くに、登下校でいつも曲がっている交差点がある。


「この交差点で萩窪方面へ曲がって、家に帰るんだ」

「そうですか。じゃあ、今日はここでお別れですね。今日は……告白してくれて、お試しの交際を提案してくれてありがとうございます。改めて、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。じゃあ、また明日」

「はい。また明日です」


 そう言うと、氷織は胸の辺りまで右手を挙げて、俺に向かって小さく手を振ってくれる。いつも通りの無表情だけど、俺にはその姿がとても可愛らしく見えた。

 俺も氷織に手を振り、自転車に乗って自宅方面に向かって走り始める。風を切るのがとても気持ちよく感じられるのであった。




 夜。

 まずは夕食を食べているときに両親と姉に、氷織とお試しで付き合うことを伝えた。その際、そういう関係になった経緯も簡単に説明する。帰る直前に撮った氷織の写真を見せると、家族はみんな「おぉ」「美人」などと呟く。姉貴は「会ってみた~い」と言うほどだ。


「良かったな、明斗。ただ、お試しでも正式でも、明斗にとって青山さんは恋人であり好きな人。青山さんと誠実に向き合って、彼女を大切にしなさい」


 父親からはとても大切なアドバイスをいただき、


「告白が成功して良かったわね、明斗。いつか正式にお付き合いできるようになるといいわね。応援しているわ」


 母親からは応援の言葉をいただき、


「明斗、お試しとはいえおめでとう。半年くらい前から一目惚れしていたもんね。小さい頃は『お風呂に入りたい!』とか『一緒に寝たい!』とか言ってたくさん甘えてきたから、ちょっと寂しい気持ちになるな」


 姉貴からは、記憶違いと思われるエピソードと併せて祝福の言葉をいただいた。

 確かに、小さい頃は姉さんに入浴や寝るのをお願いしたことはあった。だけど、姉貴からお願いする方がよっぽど多かったからな。どちらのことも俺が小学生の間になくなったが。

 ただ、20歳になってから、姉貴はお酒で酔っ払い、間違えて俺のベッドで寝ることがある。ひどいときは、「アキちゃん、抱き枕になって」とか言って俺をベッドに引きずり込む。その流れで一緒に寝る羽目になることもあって。実は結構寂しいのかも。

 氷織のことを話してからは、祝福ムードで夕食を食べた。近いうちに会いたいとも言っていた。いつかは正式に付き合うことになったと伝えられたらいいな。

 夕食を食べ終わった後、今度はLIMEのグループトークで和男と清水さんに、氷織とお試しで付き合い始めたとメッセージを送った。家族に話したときと同じく、経緯も簡単に伝えて。

 ――プルルッ。

 程なくして、和男からメッセージとスタンプが送られてきた。


『お試しでも付き合えるのはめでてえな! 凄いじゃねえか! 自分からちゃんと告白できて偉いぞ! 俺はアキがいても緊張しまくりだったからな。アキは立派な男だ! 親友として、カップルの先輩としていつでも頼ってくれ!』


 というメッセージと、サムズアップする右手のスタンプ。和男らしい祝福だと思う。あと、和男から立派な男だって言われると、少しは立派になれたかなと思える。

 ――プルルッ。

 今度は清水さんからメッセージが届いた。


『おめでとう! まさか、お試しで付き合うことになるなんて。予想外だよ』


 付き合うか。それとも、別れるかのどちらかだと思っていたのかな。そんなことを考えていると、再び清水さんからメッセージが。


『ただ、相手が人気で有名な青山さんだからね。お試しで付き合うとなると、何かキツいことを言ったり、悪態をついたりする人がいるかも。そこは気をつけた方がいいね。あと、お試しでも恋人なんだから、青山さんを大切にすること! 紙透君から提案したんだし』


 清水さんの言うように、付き合う相手は人気者の氷織だ。明日からは、色々な意味でこれまでとは違った時間を過ごすと思った方がいいな。

 2人にどんな返信を送ろうか考えていると、


『アキと青山に何か嫌なことをする奴がいたら、俺がぶっ飛ばしてやるぜ!』


 というメッセージが和男から送られてきた。ぶっ飛ばしてはいけないけど、俺のために力になりたいという気持ちは伝わってくる。

 ただ、すぐに『暴力は止めようね~』と清水さんがツッコんでいた。なので、俺も『上に同じ』と送る。

 すると、和男からOKサインをした右手のスタンプが。清水さんが言うから、暴力沙汰になる心配はないだろう。


『2人ともありがとう。正式に付き合えるように頑張るよ。2人には相談することがあるかもしれない』


 そんなお礼の返信を送った。

 家族と和男、清水さんから、お試しで付き合うことについて肯定する言葉やアドバイスをもらえて良かった。それは、これから氷織と過ごす中での支えになるだろう。

 それからは今日の授業で出された課題に取り組む。

 放課後に色々なことがあったから、今日の授業が遠い昔のことに思える。今日も授業中に見た氷織の姿はとても美しかった。そんな氷織とお試しの恋人になれるなんて。今日の授業中には想像もしなかったな。


「写真の氷織、可愛すぎる……」


 時折、スマホにある氷織の写真を見て癒されながら課題をこなしていく。

 そして、全ての課題が終わって、お風呂に入ろうかと思ったとき、

 ――プルルッ。

 スマホが鳴る。和男か清水さんか? 2人の苦手な数Ⅱの課題もあったし。そんなことを考えてスマホを確認すると、


「氷織からだ!」


 何と、氷織からメッセージが届いているではありませんか! その通知を見た瞬間、課題を終わらせたことによる疲れが吹き飛ぶ。


『今日はありがとうございました。早めですが、おやすみなさい。また明日です。もし、寝ていたのでしたら申し訳ないです』

「とんでもない」


 思わず声に出てしまった。

 メッセージだけど、氷織から「おやすみ」と言ってもらえるなんて。感激だし、幸せだ。今夜はとてもいい夢を見られそう。


『起きてるよ。課題が終わったから、風呂に入ろうとしてたところ。こちらこそありがとう。おやすみ、また明日ね』


 という返信を送った。

 トーク画面を開いているのか、俺の返信にすぐ『既読』マークが付く。


『課題お疲れ様でした。明日の朝、あの場所で明斗さんを待っていますね。おやすみなさい』


 そのメッセージを見て、心身共に優しい温もりに包まれていく。自分の部屋にいながら、氷織から温かな言葉をもらえるなんて。それが凄く嬉しい。こういうやり取りが、これからの日常の一つになっていくのかな。

 明日からは色々なことがあるだろう。でも、氷織と一緒にいれば、今まで以上に楽しい高校生活になる。そう確信した。

 氷織に『ありがとう。おやすみ』と返信し、俺は浴室に向かうのであった。

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