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「お客様がよろしければ」

マスターが美香の顔を覗き込むように近づくと美香はマスターとのあまりの距離の近さにひっ、と、小さい悲鳴を上げた。

それを見たマスターはまさかこんな事で驚くとは、と言うようにくすくすと笑った。

左手を口に当てて笑みを隠すように言うマスターの仕草に美香はさらに恥ずかしさ募らせた。

「いや、すみませんね」

マスターの笑い声が止むと、後ろの棚からカップを取り出した。

ピンクの花柄の小振りなカップである。

女性客に対しての配慮なのだろう。

彼の横にはアルコールランプで熱せられたお湯の入ったフラスコがある。

その上には挽いたのであろうコーヒー粉が入っている丸い入れ物があり、下のフラスコと細い管で繋がっていた。

サイフォンと言う少し古風なコーヒー製造機である。

今は、下のお湯が管を通って上昇し、上のコーヒー粉が入っている入れ物の中で茶色に染まっていた。

「もう少し待ってください。あちらのお客さんもコーヒーを待っているんです」

マスターが左の方へ目を送って言った。

美香も見る。

そこにはさっきまで新聞を読んでいたはずの男性が今は煙草を銜え、くるくる巻きの癖のある髪をいじりながらテーブルの上にあるノートパソコンの画面をじーっと眺めていた。

「あの方は、影山さんと言ってフリーのルポライターをしているんです。毎日って言うぐらい僕のお店に来てくれています」

小声で美香に囁いた。

「そ、そうなんですか」

「無言でフラリと来てはフラリと帰るちょっと面白い方です。あ、因みに美香さんの隣にいる方は夜谷さんと言う方でカメラマンをしていらっしゃいます。いつも影山さんと組んで仕事しているんですが、ついさっきまで影山さんに色々言われて疲れて寝ているんです」

「何か子供みたい、ですね」

「全くそうですね、でもよくあるんですよ。こういうことが」

また左手で口を隠してくすくすと笑う。

まるで誰もが笑顔で見せる白い歯を見せないように。

締まった手が綺麗に顔の歪みを覆ってこのマスターの持つ雰囲気を出している。

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