第弍話 溶けゆく心
山本博士は由紀子を座薬のような建物の前に案内した。
「いいですか。これは神経接続プラグと言って、パイロットはこれに乗り込みます。そして、パイロットが乗り込んだ神経接続プラグをあの、ホムンクルスの脊髄に入れるのです。中に入ったらヘッドギアがあると思うので、それを頭に被ってください。あなたの脳波をホムンクルスの脊髄に送り込む装置です。それで、ホムンクルスとの意思疎通が可能になります」
「よくわかんない。とりあえず、この座薬みたいなのに入ればいいってことね」
「まあ、そういうことです」
由紀子は神経接続プラグなる座薬の形をした物の中に入った。すると神経接続プラグは引き上げられて私の背中に入った。うわ、なんかこそばゆい。私の身体の中に異物が入るような変な感覚。……気持ち悪くなってきた……。
……意思疎通できるのかな。
「あの……由紀子さん。聞こえますか?」
私は声をかけてみる。
「ヒ……」
由紀子は驚いたように飛び上がった。
「何? 今の声? 無線じゃなかった。気のせいだよね」
由紀子は言う。
「あの……気のせいじゃないです。私、田中麻友子って言います。十七歳です。私、さっきまで普通の女子高生だったのですが、飛び降り自殺しようとした女の子を受け止めきれなくて、ゴッツンコしてしまって、それで気づいたらここにいるのですが、ここ、どこですか?」
由紀子は私の声を聞くと青ざめた。
「イヤー! なんか変な声聞こえる。怖い、ここから出して。出してよ!」
由紀子は至るところを蹴ったり叩いたりする。私は痛みを感じる。
「ちょっと、やめてください。痛いです」
私は言っても聞かない。
「由紀子さん。これは二脚戦車じゃないんです。人間なんです。あなたと同じ女子高生なんですよ。話しかけられたら答えてください。あなたとホムンクルスとの信頼関係がそのままこの機体の操縦に繋がります。あなたとホムンクルスの信頼関係が出来上がっていなかったらこの機体は思うように動きません」
山本博士は言う。
「あの、由紀子さん。ホムンクルスってなんか中二病っぽいから麻友子って呼んでくださいね」
私は由紀子に話しかける。
「麻友子……。本当にあなた、十七歳なの?」
「うん」
「意味分かんない。あのおばさんはあんたと友達になれって言うけど、そんなの無理だよ」
「どうして?」
「私、友達なんていないもん」
「関係ないよ」
「私、不登校だった。人との関わり方なんて忘れちゃった」
「私と思い出そうよ。人との関わり方」
「イヤ! 思い出したくない。私、人が嫌い。嫌な思い出しかない」
「嫌な思い出?」
「十年前、大栄帝国がアムリカ合衆国に宣戦布告したの知ってるでしょ」
「知らない。大栄帝国とか、アムリカ合衆国って何?」
「本気で言ってる?」
「本気で言ってるよ。私、この世界の人間じゃないみたいだもん。元々は普通の人間で由紀子さんと同じ女子高生だった。私が住んでたのは日本っていう国」
「日本? ここ、和国だよ。まあ、あんたの話に合わせてやるけど、あんたのこと、信じたわけじゃないからね。大栄帝国っていうのは西の海、和海っていうんだけど、を超えた先の大陸にある世界二位の超大国、アムリカ合衆国っていうのは東の海を超えた先にある世界一位にある超大国。二国が小さな島の利権を巡って対立していた。大栄帝国がその島に上陸しちゃったからアムリカ合衆国が経済制裁をかけた。経済が逼迫した大栄帝国がアムリカ合衆国に宣戦布告したの。これが十年前の話。で、和国はアムリカ合衆国の同盟国だってんで、参戦するかって話になったんだけど、これが国民の多くは参戦には反対だった。でも、まあ、国民の反対を押し切って参戦したわけ。最初はアムリカ合衆国が戦況を有利に進めていた。でも、大栄帝国が二脚戦車盤古を戦場に投入してから一点、劣勢に立ってしまった。アムリカ合衆国の戦死者はうなぎのぼりに上がっていき、最初は後方支援だけのはずだった和国も前線で戦わされるようになった。和国も憲法を改正して戦争ができるようにして徴兵制も始めた。アムリカ合衆国も二脚戦車ギガンテスを開発したんだけれど、もう、遅かった。大人が次々に徴兵されて、死んでいく。全部、私の父のせいにされた。陸軍大将の父が無能な作戦を立てて家族を殺したんだって」
「それで、虐められたんだ」
「……。私は何も悪くないのに。たまたま父さんの娘に生まれてきただけで人殺しの娘扱い。兄さんも母さんも世間から冷ややかな目で見られた。なのに肝心の父さんはちっとも家に帰ってこないで。私が父さんのせいで虐められてるって言っても父さんは少しも謝らないで『何も反論せずに言われたままにされてるのが悪いんだ』って」
「由紀子さんは頑張ったよ。偉い」
「麻友子は私のこと、責めないんだね」
「だって、私、この世界のこと、何も知らないんだもん。失った家族もいない。私、独りぼっちだから。恨まないよ」
「麻友子……。独りぼっちなんだ。私と同じだね。もっと早くあなたに出会えたらよかったな……」
「ねえ、死ぬの?」
「死ぬよ。私、生きていたってしょうがない。私はずっと、罪の意識を抱えていた。父の犯した罪の重さを感じていた。あまりにその罪が重くって私は苦しかった。何度も逃げたいなって思ってた」
「逃げるって……」
「……でも、私には母さんもいて、兄さんもいるから。今になって二人とも死んじゃったからもう、私は逃げていいんだ」
「どうして?」
「麻友子……。死にたい人の気持ちは死にたい人にしかわからない。あなたには私の気持ちなんて少しもわからないよ」
「由紀子さんとホムンクルスの心の壁が溶け合っていきます。同期率上昇。ホムンクルスの可動最低水準を上回りました」
山本博士が声を張り上げる。
「由紀子、ホムンクルスを前進させろ。ホムンクルスに前進するように伝えるんだ」
松本大将は言う。
「麻友子、動いて、動くの」
「わかった」
私はなぜか動くことができた。身体が自由に動く。すごい。楽しい。……と、ある程度歩いたところで、建物が崩れ落ち、荒廃している地域にやってきた。眼の前では戦闘が繰り広げられている。和国の歩兵が戦車相手に突撃している。
「由紀子、聞こえるか、お前の目の前で戦闘が行われているはずだ。敵の歩兵、戦車、何でもいい片っ端から踏み潰せ」
松本大将からの無線が入った。由紀子は目の前の戦闘を見て、がくがく震えていた。
「死体が転がっている。歩いていた人間が、戦車の軽い一撃でバラバラに吹き飛ばされていく。人間の命がこんな軽い……」
由紀子の息は荒くなっていた。私自身も、由紀子と同じような状態だった。
「私、人なんて殺せない。だって、戦っている敵にだって家族がある。人を殺すくらいなら私が死んだほうがいい」
「由紀子、甘えるな。お前が殺らなければお前が殺られるんだ。今は敵も油断しているから二脚戦車を投入していない。もたもたしていると敵が二脚戦車を繰り出してくる。そうなる前にさっさと壊滅させるんだ!」
「父さんの人非人!」
そのような言い争いをしている時だった。私の肩に強い痛みを受けた。私の肩で何かが爆発した。私は思わず叫んだ。そして、叫んだのは由紀子も同じだ。
「痛い! 痛いよ!」
「由紀子、痛いだろう。お前はホムンクルスと神経接続しているのだ。心と心でお前はホムンクルスとつながっているのだ。それは痛みを共有するということでもある。痛い思いをしたくなかったら殺せ!」
飛行機は私の頭上を飛び交い、次々に爆弾を落とす。その度に強い痛みを感じる。
「いや。いや。死にたくない……死にたくない……」
由紀子はわれを忘れて叫び続ける。
「由紀子さん……ほら、死にたくなんかないなじゃない」
「麻友子? 私はどうして死にたくないの? あんなに死にたかったのに」
「由紀子さんは死にたいと思いながらも他者の存在に飢えていた。誰かと仲良くしたかった。お父さんのことで他人から恨まれても、自分が一番、お父さんを恨んでいることを知ってほしかった。あなたは自分が孤独のまま死ぬことを恐れていた。死の孤独を恐れていた。あなたは自分が死にたいと思っているという自己暗示にかけた。他者の存在を求めていてもその願いが叶わないことが辛かったから。由紀子さん、あなたはよく頑張った。あなたは少しも悪くない。あなたには私がついている。独りなんかじゃないよ」
「麻友子……。私の友達になってくれる?」
「うん。由紀子さんは私の友達だよ」
「じゃあ、由紀子って呼んで」
「由紀子……」
「なんてこと……。由紀子さんとホムンクルスの同期率がどんどん上昇していく。九十……百パーセントを超えた! ありえない」
山本博士が無線を入れる。それを聞いていた松本大将は背を向けていた。なぜだろう、私には松本大将が泣いているような気がした。
私の頭上の飛行機が私に爆弾を落とす。しかし、その爆弾は私の身体に触れることなく爆発する。
「バリアのようなものが張られている! これはT・Tフィールド!」
「山本博士、なんだねそれは」
「とっても・ともだちフィールドです。ホムンクルスと由紀子さんの関係が親密になっており、二人の間には他者の存在を受け付けない二人だけの世界が構築されてしまったのです。二人は今や強い依存関係にあります。誰も二人の間には干渉できません」
「どうなるんだ?」
「ホムンクルスが由紀子さんの他者との接触を拒絶した場合、由紀子さんはホムンクルスの精神世界に取り込まれてしまいます」
私の頭上の飛行機はなおも爆弾を落とし続ける。
「うるさい、うるさいんだよおお! お前までも私たちの関係を邪魔するのか。死ねえ!」
さっきまで、人を殺すことに躊躇していた由紀子が突如暴れだした。
「ちょっと、由紀子、さっきまで、あんなに人を殺すことに躊躇していたのにどうしたの?」
「私の世界には麻友子だけがいればいい。他の奴らは私にはいらない。麻友子もそう思うでしょ。だから殺すの」
私は由紀子の暴走を止めようとしたが、私は由紀子の願望に引っ張られて身体が思うように動かない。気づけば私も由紀子の殺戮に加担していた。
「あはははははは! 人を殺すってこんなに簡単だったんだ。ねえ、麻友子、あなたも小さい頃、蟻の胴体を真っ二つにして遊んだでしょ。人間の命なんてそれと全く変わらないんだ!」
「松本大将、敵が撤退していきます」
山本博士が言う。
「山本博士、これ以上の深追いはやめにする。兵士も疲れているのだ。今日はここで休息にしよう。由紀子、聞こえるか。戻ってこい」
松本大将の声は由紀子には聞こえていないようだった。
「山本博士、ホムンクルスの強制停止だ」
「しかし、それは危険すぎます。現在の同期率は四百パーセントを超えています。この状態で強制停止すると由紀子さんはホムンクルスに取り込まれてしまいます」
「……じゃあ、どうすればいい?」
「……」
「由紀子は疲れているのだ。これ以上、暴れさせたら味方に危害を加えるかも知れない」
「……」
「由紀子にとってホムンクルスと一緒にいることが幸せならそうした方がいい。私は由紀子を幸せにすることができなかった。こんな私といるくらいなら大好きな友達と一緒にいさせてあげたい。私はこれ以上、由紀子の幸せをうばうのは嫌なのだ」
「……松本大将、わかりました」
「すまんな、由紀子」
巨大人工生命体ホムンクルス @hujiwaranakamaroeminoosikatu
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