1 国家を定義するという無理ゲー(1)


ミサ〉 国家とはなにか? まずはきみの見解が知りたい。


我聞〉 あまりナメないでくださいよ。オレ、岐大生ですよ。


ミサ〉 ぎだい?


我聞〉 岐阜大学です。


ミサ〉 それが?


我聞〉 一応、国立大学。


ミサ〉 で?


我聞〉 政治学か国際関係論か、名前は忘れましたがね、講義で習いましたから。

 国家とは、①領域、②国民、③主権の3点セットですね。領土・領空・領水って、明確な境界をもっており、当たり前ですが、ちゃんと人が住んでいる。親から子へ国籍が継承されて途絶えることがない。

 また、よその国から干渉されることもなく、自立、独立してて、中央政府もキチンと機能してて、統治が行き届いている。それが国家でしょ?


ミサ〉 あーそれね、おこちゃまの教科書的定義だな。


我聞〉 違うんですか?


ミサ〉 そいつはいわゆる近代的主権国家というやつが立ち上がってからの、国際関係論的な、国際法的な定義だな。つまりは最近の国家にしかうまく当てはまらない。


我聞〉 最近の、国家?


ミサ〉 まずは①領域について考えてみよ。

 事例はなんでもよいが、たとえば大昔のローマ帝国を取り上げようか。

 そこにはな、現代でいうところの国境線なんてないわけよ。

 西洋史の南川高志さんによるとだ、ローマ人は「限りない帝国」という理念をもっていたという。国境線とかいうものに縛られてないわけ。ただ単に最前線に軍事的な駐屯地があるだけ。

 その駐屯線を国境線と同一視することはできない。駐屯地といっても平時は人と物の往来に開かれており、「敵/味方」を選別してブロックするカベのようなものではなかったからな。

 厳密な国境というより、とても曖昧な「ゾーン」とでも呼ぶべきエリアが前線には広がっていたという(1)


我聞〉 まぁたしかに冷静に考えてみれば、国境線という考え方自体、最近のものでしょうね。それはわかりますよ。

 あと、最前線に軍隊がいるということは、争いの火種があるわけでしょ。そこは戦闘にともないオセロのように白になり黒になりコロコロ変わってしまい、落ち着かないところだったでしょう。国境というよりは紛争地帯、みたいな。


ミサ〉 政治学者の押村高さんも、地図というものが未発達だった西洋中世の領土は、いわば多孔質であり、その境界も、線ではなくゾーンないし破線で示されるべき不確かなものだった、と言っている(2)

 まぁ詳しくは自分で調べてみることだな。世界史を勉強してくれ、世界史を。棚にある本は借りてってよいぞ。レンタル料いらんし。


我聞〉 オレは耳学問でいいです、耳学問で。


ミサ〉 棚の本もそうだが、これから我が紹介していくものはな、どれも本屋や図書館、アマゾンぽちっ、とかで難なく入手できるものだ。学術雑誌の掲載論文とかはあえて取扱わない主義。〈知〉を専門家の占有物にしておくのはもったいないからな。普通の人がわりと普通に読める、なるべく平易なもので、入手しやすいものを中心に紹介しつつ議論していくつもりだからな、耳学問なんて言うなよ。


我聞〉 いえ、とりあえず耳学問で・・・・・・


ミサ〉 我もまた専門家ではない。在野の凡夫だ。素人だ。間違ったこと、デタラメなことを言うこともあるだろう。だからこそともに語り合いたい。

 もしかしたら我が求めているものは〈真実〉ではないのかもしれぬ。考えること、語り合うことが楽しいのだ。そんな悦びをな、きみとも分かち合いたい。だから耳学問なんて言わず、きみも自分のオツムを使って考えよ。


我聞〉 あの、言いたいことはわかりますが、オレ、それどころじゃないんですよ。


ミサ〉 と、いうと?


我聞〉 言ったじゃないですか、キルケゴールの話が聞きたいんです。同じ語り合うなら、絶望について考えたいですね。目下オレの最大テーマですから。


ミサ〉 さてと、領域の話だったな。


我聞〉 うわ、スルーした。


ミサ〉 ところで、我が間違ったことを言ってるって思ったら、ぜひコメントなり何なりしてくれ。ウェルカムだ。我はみんなと一緒に語り合い、考えを深めたいのだ。逆に教えてもらいたいこともたくさんある。


我聞〉 あの、誰に向かって言ってんですか?


ミサ〉 誰でしょうね? さてと、アジアにも目を向けるとしようか。中華思想を知ってるか?


我聞〉 えぇ、わかりますよ。昔の中国でしょ。統治にまつわる考え方。天命を受けた天子(皇帝)が中心にいて、そのオーラというか威徳が、いわば同心円状に拡がってくんですよ。

 で、その威徳の届く範囲がズバリ中華で、逆に遠すぎて届いていない円の外側は野蛮人が暮らすところ。夷狄いてきと蔑視されます。


ミサ〉 そうだ。しかし徳が及んでいる範囲、その境界というのは曖昧だろう。わりと観念的なものだ。くっきりした国境線なんぞとは違う。ところで、朝貢とか冊封とかいうのを日本史で習わなかったか?


我聞〉 習いましたよ。中国の天子に対し、周辺諸国のボスが臣従し、貢物を献上するのが朝貢ですよね。

 で、天子から「可愛いヤツよのぉ。おめぇがおめぇの国を治めていることを許そうぞ」と追認を受けるのが冊封です。古代の日本もこの朝貢・冊封システムにのっかってたわけです(3)


ミサ〉 あぁそうだ。で、そうなると、中華思想というのは観念のレベルで止まっていたわけではなく、現実として着地していた側面があるわけだ。朝貢し、冊封された国というのは天子を慕い、臣従してるってことになるんだからさ、一応は。

 かくして天子の徳に包まれた範囲が勢力圏だと、そういうことになる。

 ただ、繰り返しになるが、どこまでがその範囲なのか、線引きが難しいし、じつに曖昧だ(4)

 ちなみに日本なんて海の向こうなんだからさ、普通に夷狄ポジションだろう。とはいえ、向こうさんにしてみれば朝貢してくるうちは敵ではなく臣下のようなものだと判断できる。しかし日本は中国の王朝から直接的にも間接的にも実効支配は受けていない、が、対等な同盟国、というわけでもないだろう(5)これって、なんなのか。


我聞〉 グレー、ですね?


ミサ〉 そうだな、グレーだな。この時代においてはだ、国々がキチっとした境界線によって区切られ、それぞれが対等な立場でパラレルに併存してる、ってわけじゃなく、ある範囲にわたって錯綜とした重層的パワーゲームがあった、周辺諸国が巻き込まれていた、とみたほうがよい。

 古代の中国王朝、その勢力圏はグラデーションのように遠のけば遠のくほど曖昧に薄まっていくのだ。で、その薄まったゾーンで、あるとき某国が反旗を翻し、はむかってくるとだ、途端に「あ! あのへん違うくね? 威光届いてねぇし」となり、いよいよ「我々/敵」をハッキリ峻別できるような境界が立ち上がってくるのかもしれないな。


我聞〉 そもそも国境がどうのというより、誰が敵で、どこにいて、どこから攻めてくるのか、そういったことが肝心だったのかもしれませんね。要するに敵がいるところが境界なんじゃないでしょうか? 見なきゃいけないのは国境とかいう線ではなく、敵の位置でしょうね、きっと。


ミサ〉 つーことはだ、きみが言ってた国家の要件一つ目、①領域、というのは少し具合が悪いんじゃないか、昔の国家について語るならね。


我聞〉 なるほど、だったら国家とはすなわち最近の、近現代の国家に限る、っていっそ限定しちゃうとか・・・・・・?


ミサ〉 そうなると昔の時代に国家はなかったことになってしまうぞ。古代の中国王朝、たとえば隋や唐は国家じゃないとでも?


我聞〉 ・・・・・・国家っぽいですね。




(註)


1 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、2013:P27-31


2 押村高『国家のパラドクス ナショナルなものの再考』法政大学出版局、2013:P29-30


3 5世紀頃に朝貢し、冊封を受けていた、いわゆる「倭の五王(讃、珍、済、興、武)」が有名である。


4 たとえば中国を専門とする政治学者・益尾知佐子さんもまた次のように記している。

 「世界の中心には、徳の高い天子、つまり中国の皇帝がいる。皇帝を取り囲むのは、皇帝が強力な官僚制度によって直接治めている中華王朝の領域だ。その外側には、皇帝に忠誠を誓う近隣国がある。そのさらに外側には、藩属国ほど王朝との結びつきは強くないが、朝貢使節を送って皇帝に礼を示す朝貢国や、互市ごしを通して交易が許された国がある。そのさらに外側には、野蛮な化外けがいの国々があった。(中略)このような世界観では、近代主権国家体制と異なり、どこまでが皇帝の支配下にあるのかはっきりしない。中心部にいる中国人にとっては、皇帝の権威を受け入れる地域はどこでも「中国」の一部のようであり、受け入れないなら化外の地だった」(引用文献:『中国の行動原理』中公新書、2019:P21)


5 前述した「倭の五王」後の朝貢としては、遣隋使、遣唐使があるが、このときは冊封を受けていない。ゆえに隋&唐に対し、倭国が臣従していたわけではなく、あくまで対等な国同士の関係だったのだ、とみる人もいるが、そうではなかろう。たとえば古代史が専門の河上麻由子さんは、遣隋使&遣唐使も中国皇帝の優位を認め、中国が主宰する世界秩序に参入するための使者であったことには違いない、としている。また、冊封を受けなかった理由としては、すでに倭王権が国内において地盤を固めており、今さら中国皇帝の権威を借りる必要がなかったのと、中国サイドが倭国の冊封に関心がなくなっていたからだ、としている。(参考文献:河上麻由子『古代日中関係史』中公新書、2019)

 余談だが、倭国の国号が「日本」になるのは、第七回遣唐使において願い出て、認可されてからのことである。「日本」に深い意味はなく、中国からみて極東を示す表現でしかなかったという。国号の変更理由について、たとえば大津透さんは、663年、白村江の戦で中国王朝である唐と戦ってしまった倭国が、その対立関係を清算する上でも、いわば生まれ変わった新しい日本という国である、というイメージが必要だったのではないか、と推論されているが、ありえない話ではないと思う。(参考文献:大津透『律令国家と隋唐文明』岩波新書、2020:P64-65)

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