そう語る瞳は感激で潤み、表情には愛が溢れていた。

 手柄を立てたから愛しいのでは無く、愛しい彼が手柄を立てたから嬉しいのだという事を、その様子が雄弁に物語っていた。


「こちらこそ宜しうお願い致します。まだお若いのに御立派でおられるのですなあ。御一人で立ち向かわれたとは──」


 長谷川の突き刺さるような視線を感じ、言葉を続ける事を躊躇った。


「乱!昨夜の事を兼和に話してやれ! 」 


「はっ!」


 乱法師は全く気が進まなかったが、仕方なく話し始めた。

 

 兼和は彼と信長を然り気無く観察した。

 話しに耳を傾ける信長の表情は、目に入れても痛くないという程蕩けきっている。


 乱法師の瞳は理知的でありながら鋭さよりも憂いを含み、凛とした態度の中に儚さと愛らしさがあった。

 年若いからというだけで無く、信長の庇護欲を掻き立てる存在と察した。


 兼和が乱法師を、信長の機嫌や動向を探る次の手蔓と思い定めた時、長谷川の声が思考を中断させた。


「上様!それはそうと御秘蔵の屏風が戻っておりまする。兼和殿の御祈祷により、以前にも増して絵に迫力が増したかと。先ず、上様の御目で御確認頂きたく、こちらに」


 長谷川が話しに割って入ったのだ。


『お、大嘘つきやーーとっくに見てる癖に!まだ見てへんような事言いおって!この狐があ』


 そう心で罵る兼和は差し詰め狸だった。


 自尊心の強い長谷川は、これ以上乱法師が褒めちぎられるのを黙って見ていられ無かった。

 それは妬みでもあったが、乱法師が称賛されればされる程他は貶められ、信長の怒りが再燃しては堪らぬと即座に手を打ったのだ。


 この件に関しては生贄が必要だった。


 長谷川は、兼和の顔を見てにやりと笑うと、屏風に掛かった緋布を勢い良く外した。


 信長は霊や妖を信じない。

 だが己の目は信じている。

 ただ不思議な出来事を全て神仏や呪いのせいなどと、簡単に結論付けたく無いだけだ。


 今まで彼が耳にした迷信や不可思議な現象の類いは、強欲な人間による殆どが捏ち上げであったのだ。


 世の中には無知な者達を神仏の御利益があると騙したり、呪われているなどと怖がらせ金品をせしめる輩が後を絶たない。

 信長が特に憎み蔑むのはそうした輩で、比叡山焼き討ちや、石山本願寺に籠る一向宗に対する苛烈な戦い振りにも表れていた。


 神仏を敬う信心を否定するつもりは無いが、世を統べる者が説明が付きにくい物事を何でもかんでも神仏や祟りのせいにするのは大変危険な事と分かっている。


 政治権力と結び付いた宗教勢力が、神仏の名を借りてどれ程の悪事を重ねてきたか。

 人の心に巣食う尽きる事の無い欲望に比べれば、霊や妖など可愛いものだ。


 信長は何万人もの人間を片っ端から火刑、磔、釜茹、釜煎りで屠り、戦に出れば敵味方の骸を踏み越え幾多の城を落としてきた。

 伽羅の芳しさを好みながら、真に慣れ親しんでいるのは血と屍の臭いであろう。

 

 彼こそは此の世の魔王、地獄にあれば閻魔の如きものである。


 地獄の鬼など今更恐れるに足りない。


 信長は二つの眼で屏風を凝視した。


「何じゃあこりゃあ!どえりゃあ変わっとるでにゃあか」


 余程驚いたのか訛っている。


 日々趣きが変わるのは、現実的な信長らしく、この絵図に仕掛けがあるのか目の錯覚なのかと思っていた。

 しかし戻ってきた屏風絵は、構図そのものが変化していた。


 乱法師も驚愕の余り口に手を当てる。


 この部屋で、誰の仕業か分かっているのは彼と兼和だけである。

 昨夜体験した出来事が現実であったのだと信じずにはいられない。


「これはどういう事じゃ!兼和、説明致せ! 」


「……その、此処に来て、し、知ったのでおじゃりますう。布を掛けて大切に朝まで置いて運んで来たら、このように……私は、何も……」


 嘘だ、と乱法師は即座に思った。


「何も知らないで済みませぬぞ。上様御秘蔵の品を預かっておきながら全く別物ではござらぬか。まさか本物を御自分の手元に置きたいが故に贋物を返して寄越したのではないでしょうな? 」


『こんな不気味な屏風欲しい訳あるか! 』


 長谷川の無茶な追及に兼和は内心毒づく。


「その、取り敢えず私が何かした訳では……ただ……」


「はっきり申せ! 」


 何処まで本当の事を言うべきかと悩む彼に、信長のお決まりの怒声が飛んだ。


 視線を下に落とした儘の兼和の額から汗が滴り落ち、畳に染みを作る。


 乱法師は兼和が哀れになった。


 だが彼は六助が関わる事になった経緯を知らない。

 何故そういう流れになったのか。


「どうした!知っている事を申せ!屏風に描かれた亡者共の顔、鬼の数や身体の向き。それと血の生々しさや炎もすっかり色褪せておる。幻術とは思えぬ。第一、屏風を持ち込んだ果心は此の世にはもうおらぬのじゃからな」


 本当に何も知らないならば答えようも無いが、信長相手に白を切り通す事が出来る訳が無い。


 言い方一つだ。

 言い方を気を付ければ良いのだ。

 兼和は観念し、大きくごくりと唾を飲み込むと語り始めた。


「上様の御近習、そちらの御二方から屏風の祈祷を確かに承ったのでおじゃります。しかし、酷く禍々しい邪気を感じ……ちとその、恐ろしうなり、つまり手に余ると……」


 此処までは何とか嘘を吐かずに話す事が出来た。


「ふん! 」


 大きく馬鹿にしたように鼻を鳴らしたのは信長と長谷川である。

 だが同じ行為でも、それぞれ別の意味に因っていた。


 信長は屏風が不吉だの邪気が漂っている事自体を信じていなかったから。

 長谷川は嘲笑の意味からであった。


「それで結局どうしたのじゃ? 」


 部屋の中には緊張感が漂い、皆が兼和の次の言葉を待った。


「私は、あそこまで邪気が強いとは思わなかったのでおじゃります。並みの加持祈祷では祓えぬ強い念が籠り、私の命とて危ういとさえ思う程でおじゃりました」


「それで結局どうしたと聞いておるのじゃ! 」


 二度も信長に同じ事を言わせる人間は中々いない。

 早ければ二度目で手か足が出て、三度目には太刀が抜かれる場合とてあるからだ。


 実は気に入っていた屏風を失った可能性よりも、昨夜からの一連の出来事の詳細が、霧のように漠として一向に掴めぬ事に苛立っていた。


 近習や馬廻り衆に聞いても的を得ぬ答えばかり、屏風の件を問い質せば口ごもる。

 常に白黒はっきり付けたい気性故に、悪事を犯した罪よりも、正直に言わない事の方を憎んだ。


「それで手に負えぬと……上様の御身に何かあっては大変と悪霊を祓うのを得意とする者のところに持ち込んだのでおじゃりますう。申し訳、申し訳ございませぬぅ。うう……」


 乱法師には、そこまでで大体の流れは掴めた。


「それで結局どうしたと聞いておるのじゃ! 」


 とうとう同じ質問を三度もさせてしまった。

 しかし太刀は抜かれず、思った程の怒気を孕んではいない。


 怒るよりも先の答えを求めていた。





























 

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