しかし内側に隠し持った刃は切れ味鋭い。


 真新しい檜の香りがする新築の豪奢な邸の広間で信長の訪れを待つ間、例の屏風を前もって検分させたのが間違いだったかと今更後悔しても遅い。


「これは一体どういう事でございますか? 」


「こ、これは……て、どういう意味ですやろ」


 兼和の目は、話題を逸らす材料を探して上下左右に忙しく泳いだ。


 謁見をする為の広間は上下関係を明確にしたがる武家らしく、信長が座る上段から段差が設けられている。

 仕切りが少ない寝殿造りとは異なり、障子や襖も無論ある。

 上を見れば組天井で、そこは公家も武家も変わらない。


 それにしても、この広間からは敷地内が良く見渡せると、必死に言い訳を考えながら思った。

 敷地内の隅に見えるのは、茶器狂い信長の拘りの茶室であろう。 

 そして、もう片側の隅にある建物は湯殿。


「あちらにあるのが噂の御湯殿でおじゃりますな。関白様が御話しになっておられた。汗を流しながら、この素晴らしい庭園を眺めるとは結構な趣向でおじゃりますなあ。流石は上様!あっ!湯気が出ているように見えますが、上様が今入られて──」


「兼和殿、私は今、屏風の事を訊ねております」


 万見は笑みを浮かべていないと酷薄そうに見える。

 しかも恐らく、今は本当に冷たかった。


 汗を拭きながら、柱は角型では無く丸型なのだなと、ふと細かい事に気付いた。

 公家は丸型、武家の書院造りでは角型が一般的なのだ。

 因みに丸型にする方が手間暇掛かる為、格上とされている。


『これだから武家は嫌なんや』


 確かに話しを逸らそうとしたが、公家は本題に入るまで時間を掛け、本題に入ってからものらりくらりと論点をずらすのは普通である。

 良く言えば女性のように社交的で、会話そのものを楽しむ傾向があり、無駄話しは友好関係を築く為の潤滑油と考えている。


 本題意外の話しをした途端に不機嫌になるところは全く武家らしいと内心舌打ちをする。

 だが彼の主はあの信長なのだから仕方が無い。


 何しろ信長の口癖は「単刀直入に申せ!」「前置きは良い!」「はっきり申さぬか!」等であるのだから。


 そんな主に仕えていれば、家臣達も必然的にそうなるというものだ。


「う、うあ、何か屏風に変わったとこありましたかあ? 」


 間延びした兼和の返答に万見は顔を顰め、屏風の絵が描かれた側をくるりと回して見せた。


「これを見て何とも思われないのか」


「へっああ……私は昨日屏風を御預りして祈祷致しました。大事な屏風、布に包んだ儘、神様の前に置いといて、また夜に加持祈祷を行った。そやさかい、何がどう変わったかあ……いうのんは正直良う分かりまへん」


 言い訳しながら落ち着きを取り戻す。


「変わっているのでござる。色も構図も全部!まるで屏風から抜け出て、また戻ってきたような──良く見ると鬼や亡者の数、顔の向きや体勢までが違う。それに血の色の鮮やかさが失せている」


「あほな!絵が、かっ変わるなんて……そないな事が! 」


 唾が飛ぶ程大袈裟に驚いて見せ、信じられないという面持ちの本人の目の前で、屏風から化け物が抜け出したのだが。


「昨夜、祈祷をされている時に何があったのでござるか?此方でも都の方々でも騒動がございました故、それと関連しているのではないか、と」


 自分のせいではない。

 だが迂闊に知っていたと口を滑らせれば、何故直ぐに二条の邸に知らせに来なかったのかと責められ兼ねない。

 加えて軽い気持ちで祈祷を引き受けておきながら、邪気を祓えなかったどころか都人や信長の命まで脅かしたというのだから。


 そういう意味では、目の前の万見にも間接的な責任はあろうというものだ。

 しかし誰もが間接的であって、直接的な責めを負うべき者が見当たらない。

 こういう状況下では、得てして立場の弱い者が責めを負う流れとなる。


 その時、長谷川秀一が入って来た。


『ああ、厄介な相手が出てきよったあ……』


 兼和が彼を嫌がるのも無理は無い。

 万見を切れる刀に例えるならば長谷川は剃刀だ。

 ねちねちと皮膚を切り裂くが、決して急所を一突きにせず、弱者をしつこく弄り、失態を犯せばとことん傷を抉り回す。


「おやあ……兼和殿に品を預けると形が変わってしまうのでしょうかな?私の存じている屏風絵とは違う物に見えますが。まさか、上様の大事な屏風に何かされたのでは? 」


 本当に嫌な男だと思った。


『何故上様はこないな男を御側に起きたがるんや。やっぱり顔か? 』


 と、このように考える者は織田家中にも沢山いたと思われる。

 華のある容姿が信長の好みなのだろうか、と。


 実は信長が彼を重用するのは別の理由が大きかった。

 長谷川の持つ毒に無論気付いているが、忠誠心だけは本物と見ていた。


 好き嫌いの激しい長谷川は世の中の殆んどの人間を小馬鹿にしているが、信長の事だけは畏れ敬っているのだ。

 これ程分かりやすい人間はいない。


「長谷川はんは全く御人が悪い。さっき絵図変わってるて知ったばっかりでおじゃります。描き変えるなんて出来る訳あらしまへん。それにしても昨夜は上様大変な事になっとられたやら。それも今日此処に来て知りました。もうお元気になられたんどすかぁ? 」


 容赦無い攻撃をさらっと躱すところは、家柄重視の公家社会で名門出身でも無いのに上手く立ち回っているだけの事はある。


「上様は我等が必死に御守り致しましたので一筋もお怪我はございませぬ。依頼したのは、この屏風から邪気を祓う事のみ。邪気は見た限り前よりも弱まっているようですな。ですが上様が大層お気に召しておられた故、変わり様を御目にされてどう思われるか。貴方に一任したのですから、このような事になった訳を明確にご説明頂かないと」


 長谷川の言う事は筋が通っているようにも聞こえるが、心底不快なのは全ての責任が兼和にあるかのような嫌味な口調である。


 五十代の兼和から見れば、目の前にいるのは若僧二人であるし、彼等は昇殿の資格も無い無位無官の身。

 なのに口答え出来ないのは、帝も恐れる信長の権力の凄さ故であろう。


『それにしても何やこいつらの態度は!何か疚しい事でもあったんか。儂を責めて意趣晴らしでもしてるようにも見えるが』


 長谷川は勿論だが、万見も多少不機嫌だった。

 それは昨夜の化け物騒動で、結局のところ褒められたのは乱法師只一人だったからだ。

 しかも彼を称賛し過ぎる余り、他の者達は役立たずと罵倒された。


 乱法師に向ける信長の熱の籠った視線にちょうど苛ついていたところに運悪く訪ねて来た兼和は、正に飛んで火に入る夏の虫だったのだ。


 内心不満だらけの兼和だが、結局は信長に追及され、二人に対するような誤魔化しがきく訳がないと焦った。

 二人は自分を弁護してくれないどころか全ての責任を擦り付けようとしていると見て間違いは無い。


『ほんまの事言うしか無いんやろうか。信じて貰えるんやろうか』


 信長が信じてくれれば、随分と己の罪は軽くなるだろう。


 

















 


 


 




 


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