10
「嫌じゃ! 」
果心の言う事はある意味真実であったが即座に拒絶する。
『くくく、まあ良い……儂の操る式神共はそなたの太刀では斬れまいぞ。そなたには手を出すなと命じておこう。信長が引き裂かれる様を、その美しい眼にしっかり焼き付けるが良い。ぐぐぐ……』
いつの間にか、あらゆる音が消えていた。
───無音。
果心が直接送り込んでくる声が唯一の音である。
暗闇で良く見えないが、この部屋には多数の者がいる筈なのに、細やかな息遣いも衣擦れの音さえしないとは。
まるで世界に一人取り残されたような静けさだった。
無数の化け物が、もっさりと蠢いた。
信長の前に立つ乱法師の方に向かってくる。
守りたい、その気持ちだけで太刀を強く握り締める。
その時、胸の辺りに熱を感じた。
「熱い! 」
手で胸を押さえると同時に益々熱を帯び、胸元から何かが大きく伸び膨れあがった。
「あっ! 」
白い巨大な何かが乱法師の前に立ちはだかった。
手を広げ、乱法師と信長を守っているように見えた。
…………の小みこが遊ぶゥ……神のまどころ……注連より……だんぬしだんだん……防ぎたまえや小みこ達、防がせたまえや小みこ達…
聞き覚えのある声。
手を繋いだ大きな大きな三人の子供達。
『六助、六助の声じゃ……』
巨大化したひなごが、乱法師と信長の周りを物凄い速さでぐるぐると回り始めた。
安堵からか、乱法師の瞳から涙が溢れる。
全身から力が抜け掛けて、その場にへたり込みそうになる。
『確か三郎の話しでは、魔を防ぐ結界とはなっても果心を倒す事は出来ないと言っていた。ならば、この儘ではいずれ。どうすれば上様を御助け出来るのか』
先程の青鬼との戦いを思い出した。
一太刀で刃こぼれするくらいなのだから、相手も相当な打撃を受けている筈だ。
人よりは強固なのかも知れないが、何故か己の太刀は擦り抜けずに相手を捉える事が出来た。
懐に仕舞っていた『十二のひなご』の力なのだろうか。
闇の中で化け物の姿が見えるのもひょっとして。
覚悟を決めながら良い事を思い出した。
果心が式神達に乱法師には手を出すなと命じた事を。
意を決して結界の外に出る。
暫くは、ひなごの結界が信長を守ってくれるだろう。
案の定、化け物達は彼に見向きもしなかった。
如何に見た目が不気味でも、所詮傀儡、正体はただの紙切れ。
式神などと言うと大層な呼び名だが、下等な獣霊が怨念を利用され駒となって使役されているだけ。
乱法師は躊躇無く、近場の鬼に斬り付けた。
何の抵抗も無く、木偶の坊同然の鬼の脇腹に刀が食い込む。
手応えはあったが、二の太刀をお見舞いする前に姿が消えた。
しかし、また刃こぼれをしていた。
ここまで刀の損傷が激しいのは、実体を持ち皮膚が硬いのでは無く、邪念によるものか。
時として刀は魔を祓う法具ともなる。
故に邪気を祓う度に傷付いていくのだ。
何匹倒せるか。
全てを倒す前に当然刀は折れるであろうし、果心が何処かで様子を見ているのならば放っておく筈が無い。
「出来る限り倒してやる! 」
乱法師は化け物の群れに突っ込むと刀を振り回し、斬って斬って斬り捲った。
『己えーー折角儂が忠告してやったものを!許さぬぞぉぉーーそんなに信長が愛しいかあ! 』
乱法師がしぶとく刃向かってくるよりも腹立たしいのは、そこまでして信長の為に命を賭けようとする情愛に対してらしい。
果心らしいと言えば実に果心らしかった。
『捕らえよ!乱法師を!裸にひん剥いて、あの晩の続きをしてくれようぞ! 』
相変わらず淫らで悍ましい妄執に囚われた男だと呆れてしまう。
何対もの濁った目玉が彼の方にぎょろりと一斉に向いた。
生気の無い目玉の何と不気味な事か。
痩せこけた亡者達の手が、彼を捕らえようと伸びてくる。
咄嗟に横に薙ぎ払った太刀が、とうとうぽきりと折れてしまった。
腰の脇差を探ったが、無数の手が彼の小袖の袂を掴み、最早これまでかと観念して目を瞑る。
だが次の瞬間、凄まじい突風が巻き起こり、結界の中に弾き飛ばされた。
「ぐぎゃぎゃぎゅーーぎゃぁあぎぎぃきっぎぃぎぃえーー」
鳥獣が群れ、闘い相喰むような凄まじい叫び声が聞こえ、そろそろと目を開けてみる。
見えない何かが式神と闘っている様子は窺えた。
それはぐるぐると部屋中を猛烈な速度で駆け巡り、目で捉えようもない。
嵐風が吹き荒れ、獣のように化け物達に襲い掛かり次々と駆逐していくのを、尻もちを付き、ただ呆然と見守った。
吐き気がする程いた筈の化け物達が、あっという間に掻き消されていく様に圧倒される。
荒れ狂う八つの頭を持つ大蛇が鬼に食らい付く姿が、一瞬見えたような気がした。
「
彼は思わず呟くと、張り詰めていた神経の糸が弛み、力尽きて意識が遠退いた。
薄れゆく意識の中で、果心の悔しげな声を微かに聞いた。
『何者の仕業じゃ!山の神達をけしかけるとは。じゃが、これで終わると思うなぁ乱法師よ。信長を殺して必ずそなたを手に入れてみせる──ぐぐぐ』
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