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最早兼和は動転し過ぎて口から泡を吹いて失神寸前であった。
それでも彼の場合、化け物の事で慌てているのか信長の怒りを恐れているのか良く分からなかった。
「めえったなあ。所詮は半端もんで、無理やよ。赦されん。太夫(いざなぎ流の祭儀や祈祷を執り行う神主)でもないのに……」
六助は甘えてじゃれ付く藤吉郎を抱き、頭を撫で餌を食べさせてやる。
朴訥な顔に穏やかな声音で申し訳無さそうに断る様子は、少し贅沢な品を贈られて困っている程度の場面にしか見えなかった。
ダンッッ
キキイーギキイーギャッギキ
「此処は物部村ではあらへんのや!天下を揺るがす一大事やぞ!出来るのんはお前しかいーひんのや。破門なんぞ儂の力で取り消したる。日の本中の神主決めるのんは儂や!御前の主、いや、今の師匠は誰や?儂やろ?命令や!今すぐ何とかせえーー」
六助の態度に苛立ち立ち上がって床を荒々しく踏み鳴らし、珍しく大きな声を上げた。
怒声と音に驚いた藤吉郎は六助の腕をすり抜け、小屋を支える柱を器用によじ上り、高い所から二人のやり取りを見守る事にしたようだ。
手に余る仕事を引き受けた挙げ句失敗し、その尻拭いを下の者に押し付けているだけ。
分かり易く言えばそんな場面なのだが、兼和は確かに六助の主だった。
吉田神道がいざなぎ流にとっての本家本元だからでは無い。
六助は吉田神社で下男として雇われているのだ。
猿曳の芸は人気で常に盛況だが、嘗て物部村で太夫という神職を一度でも志した身故に、神社で働かないかと持ち掛けられ、有り難く仕えさせて貰う事にした。
そういう意味では恩人でもあった。
その恩人が目に涙を浮かべ、卑しい自分に頭を下げんばかりに懇願している。
「六助、お前は半人前どころか一人前以上やろう。そやから破門されたんやろ?物部村にいる太夫の中で、お前程力のある者は他におらん筈や」
いざなぎ流では師に弟子入りし、『許し』という儀礼を経て一人立ちする。
多くは口伝であり、一人の師に学ぶのが原則である。
だが六助は禁を破った。
他の太夫にも師事してしまった。
それがばれて破門されたのだ。
師から正式な許しを得てはいないが、知識と技術だけならある。
兼和が今の自分の師であり主、そのような道理以上に純朴な彼の心を動かしたのは、困っている恩人を見捨てられないという優しさだった。
「分かった。ともかく化け物共をその儘にしちょく訳にはいかんき」
「おお!承知してくれるか?して、どう戦う?出来る事があれば手伝おう」
「今は無理や。全然準備が出来てねえし正体も分からん相手でございますき。ただ化け物達は見た目は恐ろし気でも、獣の霊を式神のように使うちゅーだけや思う。そいつらだけなら倒すか、この屏風の中に戻し閉じ込め祓う、というやり方で何とかなるんじゃねえかと」
六助の言葉は頼もしかった。
「良し!では、何から始めればええんや? 」
「じゃあ、まず米だな。この屏風に絵を戻したいんやろう?全部をこの中に戻せるか分かんねえし、戻した所で屏風は残しちょかねえ方がええき、上様が納得するか分かんねえけど。屏風を『みてぐら』に見立てちゃるしかねえ」
六助と兼和は二人で祭壇作りの準備を慌ただしく始めた。
丸い桶に一斗二升の米を入れ、そこに大荒神、山神、水神、すそ、四足、六道、天下正、真ん中に高田王子という呪詛を封印する為の御幣を立てる。
これらの御幣は獣の霊、邪心、疫病神、死霊を表す御幣である。
どの幣もその名の特徴を良く表し、どうやって切って作ったのか、まるで美しい工芸品のようだ。
更に鎮めの呪具である『関の小刀』の刃を上に向けて、そこに差す。
それと注連縄を自分達の周囲に張り巡らし、乱法師にも渡した十二のひなごを東西南北に掛けて結界とする。
神道で使う
「猿神を主に式として打ちます。儂は猿曳なんてやっちゅーき、猿とは相性がええんや。その前に『穢らい消し』しねえと」
六助はそう言うと呪文のようなものを唱え始めた。
「
いざなぎ流には表式と裏式、それに応じた祭文と法文とがある。
表の祭儀で唱えられる祭文と、式を打つ裏の呪詛返しや、相手を攻撃する式法で唱えられる法文である。
表と裏では内容は異なるが、式法は祭儀の前の取り分け儀式にも似ている。
取り分けとは祭りの前にあらゆる穢れを取り除く祈祷のようなものである。
穢らい消しとは、太夫自身を浄め守る為の唱文なのだ。
唱文の後は、結界を張る十二のひなごへ祈りを捧げる。
「十や二人の小みこが降り遊ぶゥ注連より内は神のまどころ御ござどころ 注連より外になるなればァ寄りのだんぬしだんだんぬしィ、防ぎたまえや小みこ達、防がせたまえや小みこ達ィ」
自身と周囲の防御を固めたら、いよいよ式を打ち、果心の式神と化した鬼、魑魅魍魎達を攻撃し、屏風に戻す番である。
「藤吉郎!此処に来い! 」
柱を上り天井の梁の上で木の実を食べていた藤吉郎がするすると下りてくる。
「この猿を一体どうすんのや? 」
兼和が心配そうに訊ねたのは、生きた猿を式神として放つ、或いは最悪生贄にでもするつもりかと考えたからだ。
「山の神さわら式で山の神と御眷族をお呼びして、けみだし式で御力をお借りし相手の式神を滅すか鎮めて屏風に呼び戻す。藤吉郎も山のものやき、こいつが側におった方が山神様達も御力貸してくれるろう思うただけでございます」
六助が言う『けみだし敷』とは山の神を召喚する法で、召喚した山の神を『さわら敷』によって使役し呪う相手を滅っするのである。
「東方三万三億三百三十三億 天の山に三万三億三百三十三社の山の神白髭大明神───八方八剣まな敷の大神七つのまないたをしたてどごんつるぎィけみだし敷の大神様を一時半時に行招じ参らするゥおり入り用向なされ御たび候へェ」
小屋が大きく軋み、風で御幣が靡く。
兼和には何も見えなかったが、大きな力の存在を感じ身体に電流が走ったような衝撃を覚えた。
様々な形の御幣を依代に、それこそ三万三億三百三十三億もの山の神達が降り給うたのだろうか。
御幣で象られる山の神達は異形で、人の目から見れば妖怪に等しい。
妖怪と邪神は真に見分けがつきにくい。
いや、そもそも同じ者なのかもしれない。
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