笑いが溢れる程に打ち解け、ふと考えた。

 信長は広い湯殿に一人で入るよりも、話し相手を求めていて、此処からの眺めを見せたかったのでは、と。

 誰に──


 そう思った途端、信長の視線が熱を帯びたように感じられ、いつの間にか大きな手が肩に置かれている事に今頃気付いた。

 薄衣一枚で二人きりという状況に急に不安を覚え、透けた肌を隠すように手や腕が所在無げに動いた。


「どうした? 」


 耳元近くで低い声音で囁かれ、肩が跳ねた。

 彼の心の内は元よりお見通しの信長だったが、汗で桜色に蒸気した頬や首筋に張り付く黒髪を指で掻き上げてやりながら、艶かしい視線を透けた肌の上にわざと落とし、ゆっくり這わせる。


 射干ならば流し目で御返しをしてやるところだろうが、初心な乱法師がその視線を受け止めきれる筈も無く、赤くなって狼狽えるばかりだ。


「そろそろ……熱くなって参りました。御背中を流します」 


 もう少し苛めてやりたくなったが、逆上のぼせては厄介だと信長は腰を上げた。


 洗い場に向かう乱法師の後ろ姿は前面以上に腰の辺りが透けて艶かしい。

 信長は密かに目で楽しみ、溜まった一日の憂さを晴らしたのだった。


───


「いかがであった?六助や藤吉郎は変わり無いか? 」


「はっ!乱法師様からの言伝てを非常に喜んでおりました。贔屓して頂き嬉しいと。無論安土にも参るつもりでいると申しておりました。その際には御挨拶に是非伺わせて欲しいとも」


 猿曳の六助の元に使いにやった三郎からの報告を聞き、乱法師の表情が一気に華やいだ。


「小屋に不思議な御幣が沢山あったのを覚えておられますか?まるで神社のような。普通の御幣とはかなり形が違うておりましたが……」


 三郎は単刀直入に言葉を続けるのを避け、やや回りくどい聞き方をした。


「うむ。様々な形で面白かった。触れていると心地好いような、身体中が清められるような。郷に伝わる物と申しておったのう」


「どうやら御幣には魔除けの力があるそうでございます」


 そこまでで三郎の言わんとする事が伝わった。


「では、果心から身を守る力があると申すのか? 」


「呪いや怨霊の類いを御幣のみにて祓う事は出来ぬようでございます。御幣を使役出来る者の力に依らねば難しいらしいのです。ただし身に付けたり部屋に吊るせば護符の役割も果たすとは申しておりました。もっとも……力の強い妖には、どこまで効果があるかは分からぬと」


 思わぬところで思わぬ者から妖魔を祓う為の情報を得られた事に驚嘆する。


「六助とは強い運命の糸で繋がっておるのか。偶然にしては出来過ぎじゃ。都で会うたのも神仏の思し召しであったのだろうか。して、六助には妖魔を祓う力があるのか? 」


「残念ながら、六助の故郷物部村には太夫と呼ばれる呪術師が数多いるとの事ですが、六助は師に付いて修業していたところ、何らかの理由で怒らせ破門となってしまったと……」


 それを聞くや、がっくりと肩を落とす。


 六助に呪術師としての力が備わっているのなら随分うまい話しであったが、流石に神仏もそこまで手を差し伸べてはくれないようだ。


「実は……乱法師様の御身を案じておりました」


 急に顔を曇らせる三郎につられ、乱法師の顔からも明るさが失せた。

 目の端に映った障子の影にどきりと心の臓が跳ね上がったのは、それが蛇の形に見えたからだ。


 良く良く見れば、庭に生えた木の枝の影に過ぎ無かったのだが。


「案じる? 」


「破門された身故、呪いを祓うような技術は無いがと前置きしながら、一度は師事したくらいですから、並の者よりは霊力があるようでございます。それ故、乱法師様が小屋を出られる時、忌まわしい影が見えたそうなのです」


「影? 」


 乱法師の瞳が障子に映る影の方に微かに泳いだ。

 枝葉が揺れているだけと分かっているのに、このような話題に及べば、どうしても過敏になってしまう。


「真に申し上げにくい事なれど、乱法師様の半身、顔から爪先までを覆う影が鱗に見えたと……」


 庭の草木が微風でざわめいた。


 『ぞっ』とするの言葉通り総毛立ち、『血の気が引く』の通りに体の芯まで冷えるのをはっきりと感じた。


「それで……それ以外には?何か言っておったか?何か……」


 救いを求める瞳に三郎は意を決し、ごくりと唾を飲み込むと口を開いた。


「果心の事を話したのです。乱法師様に起こった事を掻い摘んで。六助が申すには蛇の形態にありながら、人に近い心を持っているのが非常に厄介であると──」


 三郎の声が遠退いた。

 怜悧な乱芳志には事の重大さが十分に伝わっていた。


 昨夜化粧を施し、果心の訪れが無かったのを無邪気に皆で喜んでいたのが夢のようだ。


 女性に化けたくらいで退けるのは無理なのではないか。

 今までの出来事は、単に大きな災いの前触れに過ぎぬのではないか。


「どうすれば良い?その答えがあるかどうかが肝心じゃ」


 姫君のような顔立ちの、その瞳の奥には覚悟の炎が燃えていた。

 例えどんな大敵、千や万もの大軍が押し寄せようとも、恐ろしい妖怪が相手でも只では死なぬ。


『何があっても上様に手出しはさせぬ!もし叶わぬならば儂の身体をくれてやる!その代わり地獄に道連れにしてくれようぞ! 』


「やはり果心は強敵にて、滅する力を持つ呪術師を探し出す他無いかと思われまする。ですが、それまでの時を稼ぎ、果心を出来るだけ近付けないようにする術を六助が教えてくれました。これを──」


 三郎は懐から布で包んだ何かを取り出した。

 手を伸ばし、そっと包みを開く。

 中には六助の小屋で見た、不思議な形の御幣と覚しきものが入っていた。

 同じ形のものが四枚。


 一枚の紙から三体の人形が切り出されていて、手を繋ぐように横に連なっている。

 目や口まであり、その表情を愛らしいと見るか不気味と思うかは人それぞれであろう。


 その三位一体の御幣が四枚あるので、人形は合わせて十二になる。


「どのように使うものなのじゃ? 」


「十二のひなごと申しまして、式王子の眷属だそうです。式王子と言うのは物部村の言い伝えでは魔を祓う強力な式神の長、王のような存在だとか。御幣が四枚あるのは、張り巡らした注連縄の東西南北に取り付ければ、魔を寄せ付けぬ結界となるそうでございます」


 



 





 








 


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る