7
元から人では無い。
そう考える程に全身が粟立つ。
得体の知れぬ者に対峙した時、人は原初的恐怖に支配される。
人では無い者が人の皮を被り、長らく有力大名の城の奥深くに入り込んでいたというのか。
我が主だけの問題では済まず、天下を揺るがす一大事に発展する恐れすらあるのではないか。
「そんな奴に魅入られてしまった乱法師様は……」
陰陽師や祈祷師に依頼する他無いが、効いているのかどうか判断しづらい為、大金ばかり取られて終わりという事もあり得る。
今のところ思い当たる歴とした祈祷師は吉田兼和くらいだが、病ではなく狐狸妖怪の類いにまで能力を発揮したという実績に乏しいのが何とも心許なかった。
「急がねばなるまい。思ったよりも敵は厄介じゃ」
───
射干は着物の裾を絡げると、下腹部に締めた下帯のような白い布を外しに懸かった。
股の間に手を入れ、女陰の中に指を突っ込み何かを引っ張り出す。
丸められた和紙か布か。
いずれにせよ血で真っ赤に染まっていた。
「うっんん」
乱法師が使用する、庶民には贅沢な廁に然り気無く入ってしまった。
射干は綺麗好きなのだ。
部屋には
砂が敷かれた箱の中に血が滴り落ちる。
体内に溜めておいた経血を出すと、腹痛と腰痛が少し和らいだ。
股間を紙で拭い、さっき引っ張り出した布を女陰に再び詰め込み白い布を締め直す。
間者として働く射干は並の女とは比べ物にならない程、筋力が発達している。
それは活動量が激しい事も意味しているので、月の障りの時には工夫が必要だった。
優れた生理用品など無かった時代、紙や布を宛がい下帯のようなもので上から押さえる方法が一般的だったが、射干の場合は更に女陰に詰め物をして防いでいた。
紙や布が高価だった為、その吸収力に頼るのでは無く、栓をする事で太股や股間の筋肉に力を入れ、経血が垂れるのを防ぐといった方が正しいかもしれない。
「明後日くらいまでの辛抱だ」
毎月の事でうんざりするが、血が滴るのを気にしなければならないのは始まってから精々二日目か三日目くらいまで。
摂津に赴くのは明後日からだから、大分血の量も減っているだろう。
「そういえば前にどっかで見たような。どこでだっけ? 」
廁から出て手水を使っている時に、ふと記憶に上ったのは、世にも妖しく美しい男の姿であった。
───
「覚悟はいいかい?」
「大袈裟な……さっさと致せ」
燭台に火が灯された薄暗い一室に、男女二人が向き合い端座している。
「少し厚めの方が良いのでは? 」
「どうせなら、なるたけ美しうして差し上げるのじゃ」
正確に言うなら、部屋の中には他に男が二人いた。
「注文が煩いんだよ!いつも通りやれば、この射干様みたいに美しくなるに決まってるって。あたしの化粧の術は大したもんさ。その気になれば婆あだって醜女だって、何にだって化けちまうんだから!いっそ婆あか醜女の方が果心は嫌がるんじゃないのかい? 」
射干の意見に三郎は賛同仕掛けたが否と首を振る。
「一理あるが、年寄りや醜女では化け物が女と見るかどうか」
「何処からどう見ても女に見えるようにするという事は、つまり美女に化けるという事になる」
伊集院藤兵衛も三郎に味方する。
「化粧すんのは若なんだから望みがあれば言ってごらんよ。どんな風に化粧して欲しい?可愛い感じかい?それとも色っぽい感じ?それとも──」
「何でも良い!さっさと致せ!化け物さえ寄って来なくなれば良いのじゃ! 」
射干はそれを聞いて笑いを噛み殺した。
女にとって化粧とは楽しいものだ。
水に溶いた白粉を薄く乱法師の肌に伸ばしていく。
十代の肌は妬ましい程にきめ細かく透き通り、白粉で塗り隠してしまうのは勿体ないくらいだ。
繊細で少女のような顔立ちの乱法師であれば、眉を少し描いて紅を差すくらいで充分美しくなるだろう。
だが果心の厭う『女臭さ』に白粉の匂いも含まれている可能性がある為、薄く塗った白粉に濃淡を付け、更に重ねていく。
紅が混ざった上流の姫君達が使用する高価な白粉である。
ほんのり薄紅に色付く仕様で、咲きかけの桃の蕾を思わせる可憐さに、三郎の胸は不覚にもときめいた。
優美な顔立ちの中に、僅かにあった凛々しさが塗り潰されていく。
女に化ける、という事が目的である為、寝衣も薄い桃色で腰の紐は高い位置で結んでいる。
瞼を閉じてされるが儘の乱法師の長い睫毛が時折羞じらうように震え、これから初夜を迎える姫君と見紛うばかりで、三郎は興奮を抑える為に拳を握り締めずにはいられなかった。
元々色白である故に、白粉を塗っただけで変化が然程ある筈も無いのだが、女性らしく見えてくるのは不思議な事だ。
途中で瞼を開けた乱法師から鏡を隠し、もう一度目を瞑るよう促すと、墨で優しい弧を描きながら眉を形作っていく。
眉の描き形一つで、ぐっと顔の印象が変わる為、上手く描ける女程化粧上手と言われるのだ。
紅を差してもいないのに格段に女性らしさが増していく。
最後は紅の出番である。
「目尻にも紅を差すものなのか? 」
唇に載せるのかと思いきや目尻に差したので三郎が少し驚く。
「こうすると目元に色気が出る。女っぷりも上がるってもんさ! 」
射干は満足気に頷きながら、最後の仕上げに取り掛かった。
筆に再び紅を取り、たっぷりと唇に載せる。
懐紙を唇の間に挟ませ、余分な色を取る様はかなり妖艶で、伊集院藤兵衛ですら目の遣り場に困る程であった。
嫁入り前の深窓の姫君の花の
その代わりとなるのが、顔を隠さずに出歩く美少年達の優姿なのかも知れない。
円らな瞳を開けた乱法師は、男達が夢に思い描く美姫そのものであっただけでなく、桃色の寝衣、というおまけつきであった。
薄桃色の寝衣姿の姫など、その夫か侍女くらいしか拝める筈は無いのだから、全くもって悩ましい光景である。
「どうじゃ?女子に見えるか? 」
「ああ、どっからどう見てもね。ねえ!そっちの二人もそう思うだろう? 」
髪を櫛でとかしてやりながら他の二人に話しを振る。
「うっ…はっ……女性にしか見えませぬ」
「胸と尻が乏しいから布でも入れとくかい? 」
「そこまでするのか?何とのう嫌じゃ。藤兵衛や三郎はどうした方が良いと思うか? 」
「その、乱法師様のお気が進まなければ、その儘でも充分かと」
「そうでござる!何も身体付きまで、そこまで、いや──そこまでせずとも充分でござる。」
戸惑いの色を浮かべる黒曜の瞳は燭台の灯りを反射し綺羅綺羅と艶めき、可憐さの中に色気まで加わり、女体の膨らみまで持たせて完璧な女装姿を見たいと邪な願望を呑み込む二人であった。
疚しい気持ちを慌てて誤魔化す二人の意見で、その儘でいく事になった。
枕元から長い紐を次の間まで引く。
次の間側の先には鈴を付け、枕元側には輪っかを作り、何か異変があれば乱法師が引いて教えられるようにした。
先夜のように緊縛されてしまえば紐を引く事すら叶わないが、次の間に控えた者が時折襖を開けて中の様子を窺う手筈になっている。
女装をしたくらいで果心を退ける事が出来るのか。
三郎、藤兵衛、射干が交代で見張る事になった。
「では、皆宜しく頼む」
そう言い褥に臥したものの、目が冴えてしまい中々寝付けなかった。
「明日は上様御上洛。襲ってくるとしたら今宵の筈じゃ。もし来なければ──」
何時までも化け物の影に怯えたくない。
皆に迷惑を掛けているのではと申し訳ない気持ちで一杯だった。
若い身体は正直である。
昼間は疲れ知らずで動き回っていても、いざ床に入るといつの間にか瞼を閉じて寝息を立てていた。
くくく……何という美しさじゃ……あのように麗しく装って儂の訪れを待っているとは……化粧などしない方が素の美しさが際立ち好みだが、これはこれで可愛いらしい……今すぐ、そなたを掻き抱き、身体中を舐め回したい……
ああ……あの生臭い女さえ側におらねば……
じゃが、あと数日の辛抱じゃ……待っていよ……信長を必ず殺してやる……
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