供をしてきた小姓が下がり二人だけになった。

 無言で信長は着物を脱ぎ始めた。


 帯を解き、単の小袖と下着もぱっぱと脱ぎ捨て、あっという間に下帯一丁になってしまう。

 乱法師がささっと脱ぎ散らかした衣類を軽く纏め、寝衣を信長の肩から着せ掛ける。


 信長が袖を通す。

 衣冠束帯のような仰々しいものではない為、正直自分で十分身に付けられる。


 ただ羽織って後は腰紐を締めるだけ。

 帯のように後ろでは無く前で結ぶだけ。

 だが袖を通した後、乱法師が差し出した腰紐は受け取らず、彼に結ぶようにと促した。


 そこは細やかな気配りに長けた乱法師である。

 主の意を心得て正面から紐を後ろに回し、二度繰り返し前で結ぶ。


 愛しい者は構いたくなるのだ。


 始めから助平心でさせた訳ではなかったが、乱法師の顔がちょうど股間の辺りにきて、紐を後ろに回す度に腰に縋り付く形になるのを、『中々良い』とほくそ笑む。


 男色本を二冊読んでほんのり大人の世界に爪先を掛けたとはいえ、そんな邪な思いに気付く乱法師ではなかった。


 日々信長は彼との距離を縮めるべく努めている。


 先日、屏風の前で震えていた時のように、己を慕う言葉を再び耳にする事が出来たなら夢見も良いというものだ。

 差し詰め今は、その程度で満足だった。


 着替え終わると褥の上に胡座を掻き、脱ぎ捨てた着物を乱法師が畳む様子を眺めていた。

 挙措の美しい者は一つの動きにも花の香が漂い、動かず座している姿だけでも見飽きぬものだ。


「武蔵守はそなたに文を寄越したりする事もあるのか? 」


 大抵の人間は信長の発言を唐突と感じる。

 それに対して如何にも若様らしい乱法師は意外と動じる事は少ない。

 それは、大半の行動が唐突過ぎる兄の長可のお陰だったのかもしれない。


 衣類を畳む手が一瞬止まる。


「はい、何度か」


 かなり手短かな返答になってしまったのには訳がある。


「何じゃ、喧嘩でもしておるのか? 」


 まさしくその通りであった。

 乱法師は正直な為、表情や態度に己の本音が出てしまいやすい。

 如何にも答えたく無さそうな様子で信長は自分の推測が当たっていると察した。


「喧嘩、という程の事ではございませぬ。ただ兄は、私が安土に発つ前あれこれと良い事ばかり申しました。約束もいくつか……なのに違えたのでございます。いいえ、嘘を吐いたのでございます」


 ついムキになり、信長から僅かに見える横顔と耳朶に血が上り、ほんのり赤らんでいた。


「あっ!詰まらぬ諍いにございます。申し訳ございませぬ」


 直ぐに冷静になり、危うく天下人たる信長に私事を軽々しく話してしまう一歩手前で踏み留まろうとした。


「苦しゅうない!少しは打ち解けて欲しいと思って聞いておるのじゃから、思う儘を申せ」


 それに対する信長の答えは極めて寛容だった。

 金山城を発つ前に散々聞かされてきた人柄との違いに、どちらを信じれば良いのか、言う通りに己を曝け出すべきか迷ってしまう。


「真に大した事ではございませぬ!あ──」


 唇をきっと一文字に結び、眉もきりりと殊更堅苦しい態度を崩そうとしないのに焦れて、信長は彼を腕の中に引き寄せた。


「こうすれば親しく話しも出来るであろう。命令じゃ。二人きりで、特に儂の腕の中にいる時には正直であらねばならぬ」


 そこで言葉を切り、意味深な視線を注いだ。

 信長は極めて性急である。

 回りくどいのは好まない。


 優しい言葉を掛け親しみ易い態度で接しているのは、心を開き自分を慕って欲しいと思うが故だ。

 望むのは、通常の主と家臣の関係よりも遥かに近い距離感である。


 ところが、久しぶりに寝所で二人っきりになって見れば、却って以前よりも堅苦しく身構えてしまっているではないか。

 難攻不落の城に向き合っているような心地がした。


 男は落とし征服する事に喜びを見出だす。

 対象が城であれ女であれ美童であれ。

 攻め方が間違っていたのか。

 いっそ再び、今──


 奥手な彼に合わせていたら、百年待っても前に進めなさそうである。


 匙加減が難しいのだ。


 強引に迫れば金山城に逃げ帰ってしまう恐れもあるし、神仏は言い過ぎでも、父兄のように純粋に慕われ過ぎてしまえば、褥に押し倒しにくくなる。

 

 そんな信長の危険な胸中には思いもよらず、乱法師はひたすら機嫌を損ねない為にはどうすべきかと思案していた。


 彼は単純明快である。

 兄と似ているところがあるとすれば正直さであっただろうか。

 彼は兄に対する鬱憤を出来る限り、信長の行為が発端である事は隠しつつぶちまけた。

 

 閨で愛でられた事に衝撃を受け、金山に戻りたいと泣きながら文を認めたのだ。

 出仕早々里心がついて泣き言を言う柔弱な弟を叱咤しただけだったのかもしれないが、返ってきた文の内容は厳しいものだった。


 流石に実兄を悪く言い過ぎたかもと後悔し始めた頃には、信長の瞳も口元も可笑しそうに笑みを湛えていた。

 話している間中、ずっと彼の言う事を否定せず黙って聞いてくれていたのだ。


 彼に恐怖を与えた存在であるのに、同時に誰よりも温かいと感じた。


「武蔵守は全く困った奴である。此処で儂に話した事は誰にも内緒じゃ。無論、武蔵守にもな」


 信長の笑顔を見た途端、胸の奥とお腹の辺りに、きゅっと軽く摘ままれたような甘い感覚を覚え戸惑う。


 身も心もぼろぼろになり掛けていたのが嘘のように、甘酸っぱい何かで身体中が満たされていく。


「荒木殿は結局どうなったのでございましょうか」


 長い沈黙と、彼の髪を指で梳き続ける信長から発っせられる色気に堪えきれず、無理に別の話しを切り出した。


 苦し紛れであったが口にすると本当に気になってきた。


 人の皮を被っていたと言っていた。

 ならば人として斬られ、霊魂となったという風には捉え難い。

 

 湯殿で血が上から滴り落ちてきたが、あれは考えてみれば果心の身体から流れていた。


『荒木殿は、既に……』


 当たり前の結論に辿り着くと、全身から血の気が引き凍るような寒気を覚えた。


『では、荼毘に付された果心の遺体は……』


 何故、今までそれに思い至らなかったのか。


「行方は探させてはおるが見つからぬ。他国に逃げたのか近くに潜んでおるのか。果心を斬った事に言い分があるならば堂々と申し開きをすれば良いものを。こそこそと何も言わずに出奔するとは罪深い。必ず見つけ出してやる」


 諦めているのかと思っていたが未だ捜索は続けられているという。

 どうやら隠密に進められているらしい。

 おざなりにしても良いような事案に思えるが、黙って出奔した罪は罪として手を抜かぬところが信長なのだろう。



 


 




 





 


 

 



 


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