第5章 魔除

「あ!目を覚ました。良かった……」


 強い光がいきなり目に射し込み、眩しさで何度も瞬きを繰り返す。


 視界は暫く霞んでいたが、己を覗き込む武藤三郎と伊集院藤兵衛、くの一の射干の心配気な顔を徐々に認識する。

 覚醒してくると、此処は何処か、今何刻かといった疑問が沸き起こり部屋を見回した。


 漠然と朝陽と思った光は、燭台で揺れる火影であった。

 外は暗い。

 今は夜なのだろうか。


「儂は一体……皆はどうして此処に? 」


「御無理をされてはなりませぬ。落ち着いて」


 褥から身を起こそうとするのを三郎が止めた。

 身体全体が想像以上に重く少し痛みがあったので、素直に枕に頭を載せ直す。


「射干、戻って来たのじゃな」


「昨夜ね」


「元気そうで何よりじゃ」


「今の若に気遣われるのも妙な気がするねえ。あたしは雷が落ちても死なないような女だけど、若こそ大丈夫かい?凄い苦しそうに呻いていてびっくりしたんだよ!そしたら……」


「呻いていた? 」


 暁光が目尻に射した。

 深夜ではなく未明の刻だったらしい。

 昨夜の記憶が徐々に甦る。

 窮地の場面で射干の声がした事も。


「そちは奴の姿を見たのじゃな? 」


「奴?何の事だい?あたしが見たのは──」


「待て!それ以上申すな! 」


 突然顔を真っ赤にして言葉を遮る乱法師を一同怪訝な顔で見つめる。


「二人で話しがしたい。三郎も藤兵衛も下がっていて貰えぬか? 」


「承知致しました」


 二人は何も問わずに退出する。


「そちは見たのじゃな……」


「ああ、勿論全部見たとも! 」


 障子が閉められたのを確認した後、夜具で半分以上顔を隠しながら恐る恐る訊ねる。


 それに対する答えは一筋の容赦も無かった。


「何から……何までか? 」


「そうだよ!若が白目を剥いて首や顔を抑えて痙攣してる姿をね?何かに取り憑かれてんのかと思ってさ!怖かったよ! 」


「えっ?何だって? 」


 乱法師は被っていた夜具を跳ね除け起き上がった。

 身体中に鈍痛が走る。


「全く覚えていないのかい?若の事が心配だよ」


 射干は、記憶が無い故に乱法師が動じたのかと思った。


「首や顔を抑えてだと?」


「そうだよ。掻き毟るみたいにさ。白目を剥いて、うぅうぅって、変な獣が取り憑いたみたいに、のたうち回って──寝衣がほとんど、はだけちまってたから直してやったのはあたしさ!怖い夢でも見たのかい? 」


 乱法師の反応を訝しみながら、自分の目にした光景を詳しく語った。


「沢山の蛇は?見なかったのか?儂は蛇に縛られ、声も出す事が出来なかったのじゃ!黒い無数の蛇と白い大きなおぞましい化け物を!そちは見なかったというのかーー!! 」


 とうとう平静を保てず、最後の方は絶叫していた。

 射干を見詰める顔は殆ど泣きそうだった。


「どうしたんだい?蛇なんて一匹も見なかったよ。うなされてたって事は他の家臣には黙っててやるからムキになりなさんな。落ち着いて」


 興奮して息を荒げるのを落ち着かせようと肩に伸ばした手は振り払われた。


「三郎!藤兵衛ーー! 」


 乱法師は二人の名を大声で呼んだ。

 直ちに二人が駆け付ける。


「射干!!乱法師様に何をした?こんなに怯えられて! 」


 三郎は震えながらしがみ付く乱法師を後ろに庇い睨み付けた。


「なっ!何にもしてないよ。昨夜うなされてた時の様子を教えてやっただけさ!大体そっちが聞いてきたんだろーが!っったく! 」


 舌打ちしながら腹の中で思った。


『どっちが女だよ!まるで姫君みたいじゃあないか。若が相手じゃ全く分が悪いったら』


 少しやつれて、ただでさえ白い肌が青褪めて透き通り、射干の成熟した豊満な女の魅力を持ってしても、乱法師の可憐さには勝てそうに無かった。


「射干が悪い訳ではない。奴が現れたのじゃ。蛇を使って儂を……」


 己の受けた恥辱と恐怖を言葉にしようとした途端に詰まってしまった。

 甲斐甲斐しく世話を焼く三郎は、湯呑みを差し出し一口飲むようにと促す。


「奴が現れたのでございますね」


「さっきから蛇だの奴だのって!一体何の話しをしてるんだい。助けたのはあたしだよ!除け者にしないでおくれよ! 」


「分かった。後で話す」


 その間にも太陽が東の空を照らし始め、部屋の中の深刻な雰囲気とは対照的に、外は蝉の声も騒がしい真夏の一日が始まろうとしていた。


 射干には掻い摘んで今までの出来事と周囲で近頃起きている怪異について話して聞かせた。


「それは困った、ねえ」


「だからさっきから困っていると申しておる。正直化け物相手にどう戦えば良いものか。それにしても若様の言葉が本当なら、お前が何も見なかったと言うのはおかしい」


 伊集院藤兵衛が渋い顔で射干を見る。

 乱法師の傅役なのだから、頻繁に幻を見て怯えるような、か弱い少年でない事は良く分かっている。

 とはいえ、妖しの類いと戦った事も無ければ、今のところ声と姿を目にしているのは乱法師だけなのだ。


 せめて他に一人でも目撃した者がいれば状況が把握出来、具体的な策を打てるのだがと益々表情は渋くなる。


「あたしは若が一人でもがき苦しんでる姿が見えただけだ。慌てて正気にさせようと頬を叩いた。それでも白目を剥いた儘で何か言ってた……かしん、止めよって聞こえたけど」


「乱法師様を度々狙うのが解せぬが、やはり安土に現れた果心居士か。死んだ事は間違いないから霊魂という事になるな」


「身体が痙攣してたのが、いきなり力ががくっと抜けて凄い目付きでこっちを睨んだんだけど、若の目じゃないと思ったよ!流石のあたしも怖かったさ!絶対何かに取り憑かれてるって思ったけど、若に戻って……それでそれで、えっと、気を失っちまったのさ」


「目的は何なのじゃ?どのような事を申してくるのでございますか?目的が分かれば防ぎようもあるやもしれませぬ」


 皆が口々に言う事は全くもっともであった。

 大騒ぎしておきながら、相手の狙いが狙いだけにずっと誤魔化してきたのだ。


 しかし特殊な形状の男根や、蛇達に寄って集って嬲られたなどと口に出来ない。


「先日は鱗らしき痕跡を残していった。結局紛失してしまったが。霊魂ならば肉体が無いという事になる。射干は目にしていない。実体がある妖怪なのか霊魂なのか。それすら──」


 乱法師が何処まで打ち明けるべきかと悩んでいる間に、伊集院藤兵衛が話しを進める。


 




 











 







 


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