信長が彼に異常な程甘いのは、美しく品があり利発で素直などの分かりやすい条件だけではない。

 寧ろその愛を加速させているのは何よりも罪悪感である。

 殊に性行為に関しては男性側の方が奪い、相手よりも多くを得ているという認識が強くあるからかも知れない。


 況してや相手が若く美しく無垢であれば、男は大金を積んででもその初物を手に入れようとするものだ。

 単なる性行為としてならば、男色における女性役の少年から奪うものは計り知れない。


 欲情も愛も、禁忌であればある程燃え上がる。


 忠臣、森可成の庇護すべき遺児を、私欲に負け抱いた事を正当化しようも無いし、信長の性格上言い訳しようとも思ってはいない。


 父も奪い、彼の『初めて』をも奪った。

 いずれにせよ、元々あった情けの気持ちが強引に抱いてしまった事で更に強まったのは確かである。


 会話をしている最中に、乱法師ははたと気付いた。

 屏風事態に心の臓があるかのように、どくどくと脈打っていたのが嘘のように鎮まっている。

 息苦しさも、いつの間にか治まっていた。


 漠然とだが、信長には此の世だけでなく、あの世の妖すら抑えつける力が備わっているのではないか。

 天だけでなく、地獄の閻魔さえ信長に味方しているのではないか。


 流石は天下の覇者たる者の強さ。

 己の弱さとは何という違いだろう。

 抱き締める腕には力がみなぎり、怯懦な心を鼓舞してくれる。

 屏風から発せられるのが陰の気ならば、信長からは、それを圧倒する陽の気が溢れていた。

 自身の弱さを認め力強い腕に全てを委ねる事が出来たなら、さぞかし心地好いだろうと甘い誘惑に駆られそうになる。

 信長の腕の中で、不安と恐れが霧散していくのを感じた。


───


「屏風の件、上様に御納得頂けたか? 」


 単刀直入に切り出す万見を、どうにかして誤魔化せないかと悩んだ。


「はっ!上様には……申し上げました」


「して何と?処分されると?それとも祓いをなされるとか? 」


「その……屏風は広げぬと仰せ下さいました」


 嘘は付いていないと心を強く持とうとした。

 しかし信長流に納得しただけであって、皆が望む形での多分納得ではないのだろうと内心思ってもいた。

 己といる時には広げぬと約束してくれたが、他の者達の前でもと確約された訳では無い。


「ふむ、やはり処分される御気持ちは無いのか。御側に置いておくだけで何れ毒気に中られてしまうやも知れぬ。呪いの類いでは曲直瀬道三殿ですら治せまい。何としてでも説得せねば」


 万見はそこで言葉を切り、乱法師にちらりと視線を移した。

 また己の口から言えと強いられるのではと、然り気無く視線を外す。


「自然な形でか。ふーむ、何かのついでという風を装い──そうじゃな、世間話の体で──うむ、よし!日向守殿に相談してみよう。筒井順慶殿も関わられているから話しは早い」


 どうやら、乱法師を置き去りにして万見の考えはまとまった。

 いくら寵愛されているからとて、いざというときの使い道が無くなってしまうと怜悧に頭を働かせる。


 乱法師からすれば、他につてがあるなら始めからそちらを使えば良いのにと大いに不満だった。


───


 古の暦は月の動きを基本とし、太陽の動きにも拠る太陰太陽暦であった。

 その為、天正五年の今年は七月が二回あった。


 四年に一度、二月に一日増やす現代の暦とは異なり、同じ月を二回繰り返すという調整方法だったのである。

 通常の七月が終われば閏七月となる。

 今の暦に直せば八月頃の夏真っ盛りといったところだ。


 その閏七月初旬に信長は上洛を予定していた。

 宿泊所となる二条の新邸の改築が完了した事と、前関白近衛前久の息子明丸の烏帽子親を引き受けたからである。


 近衛家といえば公家の頂点五摂家の中でも最高の名家。

 公家社会は何かと伝統しきたりとうるさい故に、摂家ともなれば宮中での元服式が慣例との理由を付けて断ってきた。

 にも関わらず引き受ける事にしたのは、近衛前久とウマが合い、朝廷との以前の繋ぎ役の二条晴良よりも遥かに使える男と判断したからでもある。


 新邸の御披露目と前の関白近衛前久の子息の晴れの元服式。

 豪華な祝いの品を携えた都の近隣諸国の大名、小名、公家衆ばかりか、豪商、名だたる社寺からも使者が列を成す事だろう。


 故に単なる新築祝いの身軽さは無く、それなりの人数の供を揃え、隊列は華やかにと考えると気忙しい。


 万見は既に手を打っていた。

 上洛の準備ではなく屏風の件である。


 ついでに屏風を都に持ち込み、自然な形で祓いを済ませてしまおうと考えていた。

 修験者、陰陽師を自称する者達は数多くいるが、誰でも良い訳では無い。

 扱う物が物だけに、本当に効いているかいないかが曖昧なのは現代と同じである。


 それ故に信長のように合理性を好み、白黒はっきり付けたい者達には煙たがられる訳なのだが。


 そうした人間は圧倒的に少ない時代であったから、出陣前にも病に掛かっても祈祷、敵将や政敵に対する呪詛の依頼も含めれば、結構需要があったようだ。

 そんな怪しい世界にも様々な流派があった。

 有名なのは陰陽師だが、厳しい修行により験力を得る修験者や、遥か古に衰退してしまったが、病を祓うのが主であった呪禁師、その名の通りの看病禅師や悪霊に強い密教僧、歩き巫女等多数ある。


 伝統ある歴とした陰陽道であれば、調伏の方法も秘伝化され受け継がれていく。

 その中に仏教と同じく力を持つ大樹から枝分かれし、独特の形式を成す流派もある。


 一口に祈祷と言っても得意分野はそれぞれなのだが、素人には見分けがつかない。


 実は筒井順慶は明智光秀の口利きで信長への臣従が叶ったという経緯があり、室は光秀の縁者から迎えている為親しい間柄だった。


 昨年、天王寺砦を囲んだ本願寺勢一万五千に信長が三千の兵で突っ込み、辛くも光秀は救い出された。












 




 


 

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