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男の視線で乱法師の可憐さを楽しむ事はあったが信長の寵童である彼に執着する程愚かでは無い。
「名前は存じている。聞きたい事とは? 」
面倒臭いという本音を隠し、平八は爽やかな笑顔で応じた。
「果心と申す者の骸についてと荒木殿の行方がどうなったのか教えて頂きたい」
「荒木は見つかっていない。果心は確かに死んでいた」
寵童の癖にそんな事も知らないのかと簡潔に答える。
しかし素っ気ない態度を意に介さず、その後も乱法師はぐいぐいと詰め寄り、平八をその場から逃がさなかった。
見た目を裏切る押しの強さに、いつの間にか勢いに呑まれ話し込んでいた。
馬廻り衆や弓衆の若い男達の間では鬼武蔵の似ても似つかぬ美形の弟として噂になっていた為、男としての興味をそそりはしたが、中身には関心が薄かった。
少なくとも長可のような気性であれば二月も小姓が勤まる筈が無く、直ぐに摘まみ出されているだろうから、兄と違い大人しやかであるのだろうと、その程度の認識でいたのだ。
「死んでいたというのは心の臓が止まっていたから?それとも息をしていなかったからでござるか? 」
それにしても妙な質問と感じた。
荒木の行方に興味を示さず、何故ひたすら果心の骸の様子ばかり聞いてくるのか。
「死んでいるのは見ただけで分かる。無論、心の臓は止まっていて息もしていなかった。既に荼毘に付されている筈じゃ」
「何じゃと!」
「この暑さじゃ。早くせねば腐ってしまう。調べる事も特に無いし、遺骨は筒井順慶殿が引き取られる事になったと聞いたが」
「そんな……」
平八には乱法師の反応が不可解だったが、果心の骸に異常な関心を示す様子に好奇心が騒いだ。
「森家に縁のある者だとか? 」
「そういう訳では無い。ただ、あのように傲慢で、巧みな幻術を操る者が随分あっさりと殺されるものだと思ってな。刀で斬られていたというが、傷は肩口と心の臓の辺りだけか? 」
果心が死んでいて欲しいと願っていた。
だが余りにも呆気ない、そんな筈は無いとどうしても納得がいかない。
「ふん!いくら幻術が巧みでも、手練れの荒木にいきなり斬り付けられたら
既に灰となっている以上、いくら信じられなくても納得する他無い。
「あ!待てよ!儂は万見殿と骸を運び調べたが、どうにも解せなかったのが首に絞められたような跡があってな。斬り付けた後、更に首を絞めたというのが……同じ馬廻りとして、刀があるのに首を絞めたというのが解せないのじゃ」
「跡というのは、手の跡か? 」
「いや、それが長い縄か何か、手では無いようじゃ。幻術を警戒し念の為にやったのやもしれぬ。死顔からすると息絶えた後で絞められたように見えた。あくまで儂の見立てじゃが。荒木が見つかれば全てが明らかになるじゃろうが、不可解な事が確かに多過ぎる」
乱法師はこれ以上の情報は得られそうにないと判断し、新たな情報があれば教えて欲しいと平八に頼み置いて話しを打ち切った。
長谷川秀一が荒木の捜索に当たっていたが見つからず、僅か数日で騒動は下火になっていった。
「ふうむ。見れば見る程不思議な絵じゃ。仙、そなたもそうは思わぬか? 」
信長は一日のうちに何度も眺めるのが日課になっている果心の屏風絵を前にして、万見に感想を求めた。
「確かに、まるで生きているような。真の人が屏風の中に閉じ込められているような迫力がございます。日によって違うというか──」
万見は応じながら、溜め息を吐くのだけは何とか堪えた。
隅に控えている乱法師はちらっと万見の顔を盗み見た。
今日は屏風の側にいても不快感は無く、体調も今のところ良い。
『日によって違う』万見の言葉通り、発せられる妖気には強弱があった。
人の息遣いのように。
多かれ少なかれ、信長以外の誰もが屏風から嫌な気を感じ取っていた。
面と向かって中々言い出せないが、祓いをすべき、或いは燃やしてしまうべきと勧める者達もいた。
そこに置いておいて良いと思う者は一人もいないが、さりとて信長自身が何も感じず元気でぴんぴんしているのでは、何を言っても説得力が無い。
この儘では家中に凶事を招いてしまうような不吉な予感がしてならない。
問題は、この漠然とした思いを伝え理解して貰うには非常に難しい相手という点だ。
必死に頭を悩ませている万見の目に、ふと乱法師の姿が映った。
務めの合間に万見に呼ばれ、唐突に命じられた内容に乱法師は愕然とした。
「そちは、あの屏風どう思う?家中には近付くと頭痛や胸の痛みを訴える者まで出ている。儂等のように近侍する者達にとっては当に頭痛の種となっておる。上様に代わる代わる訴えても良い医者に見て貰えで終わってしまう。そこでじゃ、そちから上様に申し上げよ。あの屏風の側にいると気持ち悪くて仕方が無いから遠ざけて下されとな」
「は?何故私が?私が上様に申し上げるなど。第一いつどのように?お歴々の方々が申し上げてお聞き入れにならない事を私ごときが申したところで──」
万見の人差し指と中指が乱法師の顎の下に添えられ顔を上向かせた。
「近頃閨に召されたのはいつじゃ?次に閨で愛でられた後に申し上げるのが良いであろう」
「うっ……」
羞恥の記憶を掘り起こされ、顔を真っ赤にして万見の指を振り払い俯いてしまう。
「……召されたのは……たった一度……その後は一切そうした事は……」
項まで赤くして唇を震わせる様子は、近侍する時の凛々しい美少年振りとは打って変わり初々しく可憐そのものであった。
万見は、彼のそうしたところが信長の心を捕らえて離さないのだろうかと冷静に分析したものの、召されたのが一度きりとは流石に拍子抜けした。
信長は間違い無く乱法師を気に入っている。
『閨の相手とするには未熟過ぎて興醒めであったからか?いや、そのようには見えぬ。お乱を御覧になる御顔にも、呼ぶ御声にも愛が溢れている』
まだ顔を赤らめている乱法師に再び目を遣る。
『ふん、こんなに初心では殊更甘い声でおねだりなど出来そうには無いから却って安心か』
主だった近習達は既に雁首揃えて訴えている。
後、思い付くのは乱法師だけなのだ。
信長のように己の強さに絶対的自信を持つ者は、か弱き者には弱い。
抗う者には容赦ないが、懐に入られると甘さを見せる。
「ならば上様と二人の時に申し上げよ。上様はそちをお気に召しておられる」
「ですが──」
「これは務めである。そう肝に命じ考えて申し上げよ」
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