松永久秀は、敵対していた三好三人衆とさえ手を結び信長包囲網に加わった。

 当に生き残る為には形振り構わず強い者に与しただけだが、予想だにしていなかったのが甲斐の武田信玄の死であり、それにより優勢だった包囲網が瓦解してしまう。

 故に多聞山城を明け渡す事を条件に降伏し、再び信長の陣に舞い戻った。

 その間、筒井順慶が着実に信長に近付き、大和の守護という立場を手に入れる流れとなったのだ。


 それだけに、多聞山城の破却を命じられた時、順慶は溜飲が下がる思いだった。


「紀伊の雑賀孫一等がとうとう誓詞を書いて上様に臣従を誓ったそうでございますね」


「ふふ、大人しいのも一時の事であろうが、石山本願寺の周りに付け城を築かせる時くらいは稼げるであろう。じわじわと追い詰めてくれるわ──それはそうと猫と鶏は集まったか」


「はっ……はい!大和中から掻き集めましてございまする」


 猫と鶏を集めよと信長から命じられた時、親しい付き合いの興福寺の多門院英俊と密かな囁きを交わしたものだ。


 順慶は英俊程、無駄な殺生を厭わない。

 それは僧の姿をしていても魂の大半は武将の色に染まっているからだ。


 ただ、鷹の餌にすると知り、あまり良い気分はしなかった。

 紛れもない僧侶の英俊は出来る限り猫と鶏を隠し、順慶も見て見ぬ振りをしてやった。


 故に大和国中から集めたと言うのは嘘だった。


「うむ、ではまとめて安土に運べ」


 順慶の杞憂をよそに、あまり細かい数は気にしていないのか満足そうに頷く。


「それはそうと、先日弾正(松永)が安土に参ってのう。貴様が連れて参った果心という男の話しをしておった」


 鷹の餌の件では安堵したものの、いきなり松永の名が出た為、膝の上に置いた手で墨染めの衣を強く握り締める。


「弾正殿は何か面白い話しをしておりましたか?果心は確かに、信貴山城にもたまに足を運んでおるらしいですな。はは、自由な男でございます故」


 心の動揺を隠し、努めてゆったりと振る舞う。


「存外小心な男よ。亡き妻の亡霊を見せられて恐ろしかったと申しておった。ふふ、流石にこの儂の肝を冷やすのは無理であろうが、少しは驚かせて貰いたいものじゃ。」


「ははは、上様のような豪気な御方の肝を冷やすなど──果心の幻術さえ効かぬやもしれませぬが、目を驚かせる術は無尽でございます故、少なくとも楽しんで頂けるかと存じまする。それにしても他に面白い話しは特になかったのでございますか?わざわざ安土まで出向いて。話し……ではなく、何か珍しき物を献上したのでは? 」


 どうしても気になり探りを入れる。


「珍しき物ではあったが平蜘蛛ではない」


 信長は言わんとする事を即座に見抜き、あっさり否定した。

 その返答にほっとしたが、不利な立場に立たされた老獪な松永が、何も手を打たぬとは考え難かった。


「上様が望まれる品が某の手にあれば直ぐにでも献上致しましょうものを。弾正殿は全く食えぬ御仁でございますな。上様の御心を焦らすような真似をしてまで、此度一体何を献上されたのか興味が湧きまする」


「く、ふふ、弾正らしいと言えば弾正らしいが。曲直瀬道三に書かせた交合の上手いやり方の指南書と、舶来の性具や張り形がいくつか。後は男の一物を強くする薬じゃ。ははは!」


 やはり信長は明け透けだった。

 順慶は予想もしていなかった献上品に目を丸くする。


「献上された品は……それだけでございますか?そんな──」


 『淫らな』と続けたかったが、信長がそうした道具を用いるのを好むのであれば、愚弄する事になってしまうと慌てて言葉を呑み込む。


 最早老齢の域に達しているとはいえ、一時期は最も天下に近い男と言っても過言ではなかったのだから油断は出来ない。


「あやつ、松虫を飼っておるらしい」


「──は? 」


 唐突過ぎて意味が分からず間の抜けた顔で聞き返す。


「その松虫がもう三年も生きていると自慢気に語っておった」


「松虫、でございますか」


 どうしても話しが見えてこない。


「つまり松虫でさえ飼い方次第で長く生きるのだから、人ならば尚更身を慎めば長生き出来ると言ってきよった」


「はあ……」


 益々意味が分からず適当に相槌を打つ。


「それ故、交合のやり方が特に養生には重要とかで曲直瀬道三の指南を受けているらしい」


「なるほど!それで合点が行きました。弾正殿が六十を越えても御元気なのは、そうした工夫によるものと言う訳ですな」


 漸く全てが頭の中で繋がると、『そこまでして長生きしたいか年寄りめ!そろそろ病でぽっくり逝かないものかと思っていたのに、まだまだ生きそうじゃな。ええい、腹が立つ!』と、腸が煮えくり返った。


「上様、大広間に奥方様、御側室様方、若君、姫君、皆様お揃いでございます。果心居士殿をお連れしても良うございますか? 」


 乱法師が襖の外から声を掛けた。


「乱!入って参れ」


 声だけで直ぐに彼と分かり命じる。

 乱法師は品良く美しい挙措で襖を開けて入り平伏した。


「近う。」


 流石に順慶がいる前で膝の上に来いと言う意味ではなかろうと側に進む。


 順慶は乱法師を見て、次に信長に目を移した。

 信長が乱法師に送る眼差しで瞬時に察した。


「森乱法師じゃ。宇左山で討ち死にした三左衛門可成の倅じゃ」

 

「森乱法師と申しまする。以後お見知り置き下さいませ」


 礼儀正しく頭を下げた彼を見て順慶はつい下世話な考えを巡らせてしまう。


『既に閨で愛でられておるようじゃな。上様の御顔ときたら全く。可愛くて仕方ない御様子。だが愛でられたのは、せいぜい一二回か?ふぅむ、まだ初々しく固苦しい。蕾は恐らくまだ開かれていないのであろうな』


 僧侶の姿をして興福寺に深い縁がある家柄だけの事はあり、稚児や若衆は割合と好む方である。

 美童を見ると、つい品定めをしてしまうのだ。

 経験で培われた眼力は、ある意味真実を言い当てていたが一点のみは外れていた。


「準備が出来たらしい。そろそろ噂の果心居士とやらの術を見に参るとするか」


──


 大広間には、普段は表には顔を出さない、正室のお濃の方と側室達や姫君、幼い若君等も勢揃いして真に華やかな眺めであった。


 真夏に相応しく、涼しげな単に腰に巻いた重ねの小袖は生絹や紗の目にも鮮やかな紅、薄桃、藤色、若草色に辻が花染め、刷り箔、刺繍、鹿の子絞りで花や鳥、様々な模様を象った豪華な装いでずらりと居並ぶ。


 信長が順慶、乱法師等小姓を後ろに従え上段に座した。

 大広間にいる全ての者達が平伏すると、中央に既に控えていた果心居士に命じた。


「面を上げよ!その方が果心居士か」


「は……此度は御前にて拙い術を御披露つかまつる運びと相成り恐悦至極に存じまする」


 果心居士は意外な事に、いつもの驕慢さはどこへやら、至って神妙に頭を下げた。








 






 


 


 

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