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皆の視線が一斉に果心に集中した。
それは、あまりにも彼の風体を異様と感じたからである。
日本各地に少しずつ南蛮寺が建てられ、切支丹に改宗する者達は貴賤老若男女を問わず増えており、南蛮人の顔立ちにも随分見馴れてきている。
しかし果心居士の見た目はそれにも属さず、ましてや倭人の特徴とはかけ離れてい過ぎた。
瞳は白濁して色が薄く、まるで盲かと思う程焦点が定まらず、口元に笑みを浮かべる様は正直薄気味悪い。
頭を下げていても全てを見透かしているような傲慢さが漂ってくる。
全身の色が薄く、蛇の腹か水死体を思わせる緑がかった蒼白さで髪とて同様である。
決して人に好感を与える容姿ではないのに、幻術の匠という評判を彼の異相が却って高め、期待を煽る道具とはなっていた。
「上様は天下を狙うに相応しい御方。器が大きくていらっしゃる。並大抵の事では驚かれぬと存じますので本日は格別な術をお見せ致しましょう」
高く掠れる不気味な声、全体的に蒼白く生気の無い陰鬱な容姿。
乱法師は果心居士の姿を見た途端に既視感を覚えた。
果心居士こそ、まさしく都にいた腕香の男であったのだが、どのような術か乱法師の記憶はぼやけ、何処かで見たようなという程度にしか認識出来なかった。
大広間に集う多くの人々と同じく好奇の目で注視したが、焦点の定まらぬ白濁した瞳が熱心に見詰め返しているように思え、ぞっと肌が粟立つ。
『そこにおられた……また御会い出来た。私の想いが通じた。離れた場所にいても繋がっているのです。あの時……蛇の血を通して蛇の念を通して固く結ばれた。探さずとも必ず出会い、貴方と私の運命は交わる。強い強い運命の糸が数多に縺れ絡まっている。何人にも解けない強い糸で……』
乱法師の頭の中で陰気な声が鬱々と響いた。
はっと周りを見回すが、他の者達にも声が聞こえている様子はない。
『何故、自分にだけ?』と思うと同時に、脳裏に再び紅に光る虹彩が浮かんだ。
本能的に消し去ろうと頭を振る。
自ら何かを思い出そうとすると靄が掛かり阻まれ、無理矢理植え付けられた記憶に支配されているような不快な気分だった。
その声が果心居士から己のみに発せられている事は分かったが、何を言っているのか全く理解出来なかった。
「先ず、お美しい奥方様方、姫君様方が折角大勢おられるのですから、女性が喜ばれる幻術をお見せしたいと存じますので紙と筆をご用意頂きたい」
「良かろう」
信長が小姓達に軽く目で合図すると、忽ち文机に硯と筆と紙が用意される。
果心居士は筆を墨に浸し、紙にさらさらと何かを描いた。
終わると筆を置き、その場に立ち上がると紙を裏返し描いた絵を一同に見せる。
それは花鳥風月の絵であった。
明るい月夜に照らされ、花びらを散らす桜の樹の枝に止まる美しい鳥。
見事な筆致に感嘆の溜め息が洩れる。
「ふうむ。絵師にも勝る腕前じゃのう。確かに驚いた。だが──」
信長が最後まで言い終える前に、果心居士は紙の後ろから息をふうっと吹き掛けた。
すると目映い金粉が舞い、一瞬辺りは暗くなったが、冴え冴えとした明るい満月が昇ると金粉が桃色の花びらに変じ、大広間に集まった人々の上にはらはらと散り落ちた。
辺りを見回せば枝に止まる小鳥の軽やかな囀り、美しい舞姫や若衆達が歌舞音曲を披露し、美酒に美味い肴までが並ぶ春の宵の宴の景色に変わっていた。
突然の変化に始めは戸惑っていた者達も、この世の美と娯楽に忽ち目を奪われ、夢か現かと心の隅では思いながらも抗えず溺れてしまう。
女性等は満開の桜、現の世には存在しない瑠璃色や虹色、金色の鮮やかな鳥達の鳴き声に陶然と目を細める。
男達はといえば、美酒や美しい舞姫、若衆が舞い音楽を奏でる姿に見惚れ鼻の下を伸ばし、策略であれば忽ち首を掻き切られていたであろう。
乱法師も先程の不気味な声の事は忘れ、すっかり目を奪われていた。
『お気に召されたようですね。貴方の麗しさには叶いませぬが、これはほんの小手調べ。お望みならば、いくらでも面白きものを御覧に入れましょう』
しかし頭の中に、再び絡み付くようなねっとりとした声が響き、吐き気と目眩に襲われた。
『いらぬ何も、もう良い……止めよ』
陰気な声を弾き出そうと必死に抗う。
途端に果心居士がたじろぐ様子が伝わってきた。
同時に乱法師が口に出して言えなかったその儘を、信長が大声で命じた。
「もう良い!止めよ!果心」
信長の一声で美しい幻想的な風景は直ちに掻き消え、元の大広間に戻った。
目を擦る者、まだ夢から覚めやらぬように呆けている者、きょろきょろと辺りを見回す者、頬をつねる者、幻の酒に酔い、しどけない姿になっていた者は慌てて居ずまいを正す。
大広間の中央には果心居士が変わらぬ様子で平伏していた。
「上様にはお気に召して頂けなかったようでございますね」
静かに口を開き顔を上げる。
「いや、見事な幻術であった。しかし好みではない。儂の目には花や鳥や月が時折紙に見えた。他の者達には、そうではなかったようじゃがのう」
「流石は上様。やはり只ならぬ御方。強い御心をお持ちなのでしょう。先程の幻術は薄っぺらで上辺だけの儚い幻。物事の深奥まで見透す上様には紙切れにしか見えぬのも道理。ご安心下さいませ。次は到底幻術とは思えぬような生々しい術を御覧にいれましょう」
そう言うと、持参してきた屏風を大広間に運び込むように依頼した。
中央に立てられた屏風が小姓達により左右に開かれる。
大きさは凡そ幅三尺、高さは二尺程で四曲の何の変鉄も無い屏風だった。
いや、何の変鉄も無いどころか、ただの真っ白、白紙にしか見えなかった。
ところが目を凝らすうちに、徐々に何かが浮かび上がり、やがて恐ろしい地獄絵図が現れたのだ。
信長は身を乗り出した。
「ふうむ。これは──」
花鳥風月の美しい幻とは異なり、巧みな筆ではあっても屏風の上で動いている訳では無い。
白紙の上に突如出現したのは摩訶不思議だが、動かなければ只の絵と変わらない。
信長は興味深げに立ち上がり屏風に近付いた。
乱法師達小姓も後に従う。
所謂地獄を描いたものだが、ともかく生々しい。
鬼が地獄に落ちた亡者達を有りとあらゆる方法で責め苛んでいるのだが、苦しむ表情や形相の凄まじさが絵とは思えぬ程真に迫っているのである。
釜茹でにされて爛れ剥けた皮、舌を引っぱられ苦悶する亡者、切り刻まれる手足、生きながら焼かれ絶叫する姿、血の池も亡者達から流れ出る血も全てが真の血で描かれ、未だ乾ききっておらぬように濡れて見えた。
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