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こうした行為も初夜の後、何度か繰り返され、好奇心をくすぐられる話題で打ち解けた隙に、いつも思うが儘にされてしまうのだ。
とはいえ、それ以上の行為に及ぶつもりがない事は何となく伝わってくるので、怖いという感情は意外と湧いてこない。
安土に来てから凡そ二月程。
金山にいた頃から信長の恐ろしい噂を耳にしながら、彼自身が恐怖を感じたのは初夜の一度きりだった。
───
その日は、酷く暑かった。
十日以上前に梅雨は明け、晴天は有り難くもあるが、本格的な夏日がずっと続いていた。
「筒井順慶殿がお見えになられました」
安土城が完成するまでの仮住まいの御殿の一室で戦況、政に関する各地からの報告を受けながら、書面に目を通し自筆で署名をしている最中だった。
控えの間に詰めている小姓の内の一人が来訪を告げる。
「いよいよ噂の幻術が拝めるのか。面白い!仙、皆を大広間に集めよ。奥の女達にも見せてやろうではないか。菊は順慶だけ連れて、表の部屋で待たせておけ。儂は先ずそちらに行って、政の話しを済ませてから参る」
「承知致しました」
仙と呼ばれたのは、側近の万見仙千代重元。
菊と呼ばれたのは、既に
乱法師は他の小姓達と共に控えの間で雑用に従事していたが、果心居士の来訪を聞き、胸踊らせながら大広間へと急いだ。
──
筒井順慶は謁見の間として使用されている部屋で、信長が現れるのを待っていた。
今、己と信長との関係はすこぶる良好で、心配の種は一粒もないように思えた。
実は一昨年信長の養女と祝言を上げており、大和守護を任された事に加え並々ならぬ重用と厚遇を得ている。
しかし大和一国を手にする迄には、紆余曲折あった。
それは言うまでもなく、仇敵松永久秀のせいである。
順慶は彼の事ならば恋慕う相手のように誰よりも良く知っていた。
敵国よりも松永の周辺に放っている間者の数の方が多いくらいだ。
それ故、数日前に松永が安土を訪れた事は当然耳にしている。
まさか平蜘蛛を献上したのでは──
大和における熾烈な争いで、常に松永が一歩も二歩も先んじ、散々苦しめられて来たが今は優位に立っている。
己の立場を脅かす武将が松永だけではないと分かっていながら『奴だけには絶対に負けたくない。』と心底思うのも無理からぬ程の因縁があった。
折角手に入れた優位を覆す可能性を秘めた名物茶器『平蜘蛛』。
信長が一国にも替え難い程欲している茶器を献上すると申し出れば、それと引き換えに順慶よりも強い立場を要求する事も可能であろう。
信長と松永の間に密約が交わされたのではないかと気を揉み、間者に探らせてみたものの内容まで突き止める事は出来なかった。
性の指南書と性具と精力剤だと知ったら、さぞかし拍子抜けするだろう。
思考が一段落着いたところで、堀秀政が襖を開けて入って来た。
「上様は直ぐに参られます。暫しお待ち下され」
少しの間、堀秀政と大和の情勢や他愛ない世間話しをしているうちに、信長の入室が告げられ平伏する。
「順慶、多聞山城の破却は進んでおるようじゃな」
前置きは抜きに要件から話し始めるところは相変わらずだ。
「はっ!大和国中の人夫共を集め、高櫓もほぼ破却致しました」
「うむ、石や木材等、使える物は筒井城の修築にでも使うが良い」
「忝のう存じまする。狩野永徳の襖絵や金細工に柱など、焼却するには惜しい物も多数ございますが、如何なさいますか? 」
「安土城や二条の邸に移築するつもりじゃ」
今年に入り、信長は大和の多聞山城の破却を命じた。
多聞山城は松永久秀が築いた居城であり、大和支配の拠点となっていた。
非常に先鋭的且つ独創的であり、安土城の先駆けともなったと云われる程、当時の人々を驚かせた。
ポルトガル宣教師ルイス・フロイスは記す。
その城は白く明るく輝いていた、と。
壁を作る際、石灰に砂を混ぜないで、城造りの為に用意された白い紙を贅沢に使用した為である、と。
瓦は全て黒で指二本分の厚さがあり、一度葺けば四、五百年保つ程の耐久性と評価した。
それ以前の城は、居館を土塁で囲んだ程度であったのだから人々が驚いたのは無理も無い。
狩野永徳の金の障壁画、柱は真鍮製で金に塗られ華やかな彫刻が施され、城内の庭園には池や川が流れ、橋も架けられ四季折々楽しめる草花樹木が植えられていた。
諸国から大名や公家が見物に訪れたと云う。
此処まで書くと、確かに安土城を彷彿とさせる造りである。
しかし少し異なるのは、この城の名前の由来となったとも伝わる多聞櫓の存在であろうか。
多聞櫓とは長屋形の櫓で、数多の穴が穿たれ鉄砲で攻撃出来るようになっていた。
そういう点では如何に優美華麗であっても、戦いに備えた乱世の城と言えただろう。
順慶が真っ先に破却した高櫓は四層で、それまでなかった『天守』の先駆けであったとも云わる。
安土城にも影響を及ぼしたであろう類を見ない斬新華麗、大和という日の本の中心に建ち興福寺や東大寺を眼下に望み、当時の松永久秀の権勢を思えば、この国の王たる者に相応しい城との自負さえあったかもしれない。
王とは国の中で最も巨大且つ華麗な城に住む者だ。
その城が何故破却され、筒井順慶との優位が逆転し、大和の支配者としての立場を追われる羽目になったのか。
後世にまで悪名が伝わる松永は、生涯二度信長に叛いた。
野心家と思われがちな彼だが叛きたくて叛いた訳ではなく、止むに止まれぬ事情があった。
名物茶器、九十九髪茄子を献上し信長の武力を背景に筒井順慶と三好三人衆を蹴散らし、事実上支配権を手に入れた以上、大和を長く空ける訳にはいかなかった。
しかし臣従してからは、織田家の都合で各地の戦に駆り出される事になってしまった。
大和を空けた途端に筒井順慶が隙を狙い攻めてくる。
これでは意味が無いと不満を募らせていたところ、信長を倒そうとする大きな力が動いた。
武田信玄、石山本願寺、浅井長政、朝倉義景、足利義昭等による信長包囲網である。
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