三郎は信長と対面した事などないが、世の大半の人々と同じく非常に苛烈で非情、女子供にも容赦無いという印象を抱いている。

 側近く侍る乱法師を案じていたのに、語られる信長の姿は『上様が』と主語を省けば別人の事を話しているようにしか聞こえない。


 若い主の人と成りを見れば、容姿の美しさに加え、品も教養も人格も優れ、時に鋭く様々な事に気が回る、当に近習にうってつけの人材。


 なれど人の邪な感情には薄らぼんやりとして鈍く、並の男であれば憎めない愛らしさと感じる一面も、覇王と恐れられる信長が果たして同じように感じてくれるかどうか。


「この書物は都で、寺が建ち並ぶ通りの一角にて手に入れた物にございます。某が目を通したところ、乱法師様が望まれている物にお間違いないかと──念のため中を改めて御確認下さいませ。」


 三郎が畳に置いた書物に手を添え、すっと勧めるように動かす。

 乱法師の肩がびくっと跳ね上がり、扇子で扇ぐ手の動きが一段と早まった。


 それを見て、つい三郎の口許が緩んでしまう。


「そこに置いておけ。もう、下がって良い。後で目を通す……」



 項まで赤くして顔を背け、書見台に置かれた真面目な書物を読んでいる風を装おう。


「は……では、内容が御所望に合わなければ、また探して参りますので仰せ付け下さいませ」


 三郎の言葉は良い家臣の鑑のようであったが、真面目な顔をして内心は初心な主の反応を楽しんでもいた。


 しっかりと障子が閉められたのを確認するやいなや、直ちに畳に置かれた書物に飛び付く。


 緊張の面持ちで中を開いて見た途端。

 直ぐに閉じ、心を落ち着かせるように書物を胸に押し当てる。


 まず最初に彼の目に飛び込んで来たのは、尻を突き出す少年の後ろから、男がそそり勃つ男根を挿入しようとしている絵図であった。


「ああ何と淫らな……」


 いきなり男同士で睦み合う絵図は刺激が強過ぎた。

 しかし溜め息を漏らし、何と淫らなと口にしながらも、心は不快さとは異なる、ある種の興奮で高鳴っていた。


 真に不快であれば直ぐに処分してしまえば良いところ、彼は間違い無く読む気満々だった。


 今度は書物の違う項を開いてみる。

 またもや男同士で濃厚に絡み合う挿し絵に、思わず生唾をごくりと飲み込んだ。


 そして再び静かに書物を閉じる。

 何度かそれを繰り返した。


 文章よりも絵が多いのは、性に疎い主が理解し易いようにとの三郎の配慮だろう。

 そもそも男色本を探し求める事を依頼したのは、信長の予期せぬ寵愛に狼狽え、すっかり自信を無くしてしまったからだった。


 由緒正しい武家の子息として厳しく教育されてきた彼は、小姓勤めに対して臆する気持ちは無く、元服後は金山城に戻り兄と共に戦働きをするつもりでいた。


 ところが褥に押し倒された後は、あっさり気持ちが挫け、金山に帰りたいと兄の長可に訴えたが、惰弱な泣き言と取り合って貰えなかった。

 くの一の射干の言う通り、信長が再び行為に及ぶ可能性は否定出来ない。


 そう、全くの無知であれば行為に至る際の男性心理を読み解けず、気付いた時には衣を脱がされ抗えない状況に陥ってしまうという事態を避ける為、男色本を読む事にしたのだ。


 書物に書かれた文も絵図も想像以上に過激で生々しく、手が震え顔も身体も火照ってくる。


  項をめくる度に時に罪深さを覚えたが、重厚な書物に求める深い知識を凌駕する程、心を揺さぶり好奇心を掻き立てる。


 生まれてから今まで読んだどの書物よりも彼を熱中させ時を忘れさせた。


「斯様な淫らがましい事を皆が普通にしておるというのか? 」


 いつの時代も自然な男女の営みに関する事は幼児用の書物にも漠然とだが記されていた為、奥手な彼でさえ、そこそこの知識は持ち合わせていた。


 男色の知識が深まると、今度は男女の間でも似たような行為が行われている事を明確に認識せずにはいられなくなり、父母や兄や姉までこのような振る舞いに及んでいるのかと想像すると衝撃で目眩を覚えた。


 確実に世界は広がったが、完全に信長を受け入れ、己から進んで行為に及ぶには些かまだ幼かった。


 閨での振る舞いや心得を詳しく知ってしまった事で却って自信を無くし、再び怖じ気づいてしまう。


「はぁ...…」


 思わず溜め息が洩れた。


「はあ」 

 

「ん?あっ!!射干!! 」


 大声を出すと同時に、呼ばれた者は乱法師の前に華麗に降り立った。

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