三好家が関わる全ての悪事が松永が仕組んだ事のように伝わるのは、それ程の権力を有していた証拠であろう。


 並み居る名門を押し退け頭角を現し三好長慶を支えた、或いは影で操ったとも取れる辣腕振りは、悪にせよ正義にせよ一流の武将であった事を物語っている。


 依ってあらゆる事に手を抜かず拘り抜き、真剣に取り組む遊び心の無さが今、この湯殿でも大いに発揮されていた。


「ああう……おお」


「良し!そろそろ頃合いであろう」


 年を取れば取る程、己の快楽よりも相手を心地好くする技を追求するのが楽しくなってくる。

 相手の気持ちを無視して己一人が昂り果てても虚しいだけだ。


 相手の呼吸を読み、身心共に一体化する事が健康的な性交の心得と説いた曲直瀬道三は流石である。


 若者のように直ぐに達っせずにいられるのは、曲直瀬道三の指導に基づく訓練の賜物だ。

 精を溜めておければ一晩に何回も致す事が出来る。

 そうした事を人々は、精力絶倫と呼ぶのかも知れない。


 溶け合うような一体感こそが性交の醍醐味である。

 松永は見事に呼吸を合わせ、同時に果てた。


「大丈夫か?心地好かったか? 」

 

 床に崩れ落ち肩で荒い息をする三郎を案じ、優しく声を掛ける。


「はい……極楽にいるかのような心地好さでございました」


 三郎はうっとりと松永を見つめると、その胸に凭れ掛かった。


 さも可愛いくて堪らないという風に髪を撫でてやりながら松永は考えた。


『断袖論も今度安土に参る時に献上してみよう。風変わりな物を好まれるから興じられるに違いない。面白い性具や媚薬も添えれば尚の事じゃ』


 黄素妙論は、以前信長に話したところ興味を持ったので既に写しを贈ってあった。


───


 湯殿から上がった後は自室で俯せに寝て、気に入りの若衆、弓削三郎ゆげさぶろうに肩を揉ませながら灸を据え、一見寛いでいるかに見えた。

 しかしその顔を見れば眉間に皺が寄り唇を噛み締め、激しい情交の後にしては全く楽しげではなかった。


「平蜘蛛を持って参れ! 」


 予期せぬ命令に、控えていた小姓がびくっと跳ねる。


「何故、平蜘蛛を?まさか安土に? 」


 弓削三郎は思わず手を止めた。


 問いには答えず松永は尚も思案を続けた。


 秘蔵の茶器平蜘蛛を、とうとう信長に献上すべき時か、三郎が言うように確かに迷っていたからだ。


 

 松永久秀が信長に臣従を誓ったのは永禄十一年(1568年)。

 長年忠実に仕えた主、三好長慶が亡くなり同じ家中を牛耳る三好三人衆と対立するようになったのは、将軍足利義輝が殺害された後からであった。


 足利義輝の殺害の主犯は、故三好長慶の甥の若き当主義継と三好三人衆、松永久秀の息子久通も名を連ねたが、松永は反対だった。


 足利義輝の殺害は彼にとっては寝耳に水であり、如何に邪魔だからと、秘密裏に毒殺を試みるならばいざ知らず、白昼の都の二条城を囲み将軍を討ち取るなど、あまりに無法な振る舞いと口論になった。


 足利幕府の権威が失墜したとて大義名分としては充分使い道はあったし、せめてもう少しやりようもあった筈だろうと。


 三好家がいくら畿内最大の勢力であろうと、群雄割拠する強者達に『将軍を弑したならず者』を討伐するという大義名分を与えてしまいかねない。


 しかし将軍の替えなど立てようと思えばいくらでもいた。


 殺害された義輝の弟で興福寺一乗院門跡であった覚慶こと義昭、義輝義昭兄弟の従兄弟に当たる義栄等。

 

 覚慶こと義昭は兄の義輝が殺害された後、三好三人衆により幽閉されていたが幕臣等の手により救い出され、近江の矢島村で上洛の機会を狙っていたようだ。


 それに対して三好三人衆は従兄弟の義栄を担ぎ上げた。

 

 中々上洛出来ない義昭より先んじて将軍になった義栄は三好三人衆の傀儡に成り下がり、松永久秀を討伐せよという教書を発してしまったのだ。


 義輝を堂々と殺害しておきながら、尚もその従兄弟を擁立する三好三人衆の行動は全く身も蓋もない。


 敵の敵と組む。

 糸のように縺れた勢力争いも、その仕組みを解けば分かり易いのかもしれない。


 松永と対立する三好三人衆と手を組む筒井順慶。


 それに対抗して、足利義昭を警護するという名目を得て上洛を果たした信長に、松永は接近し成功した。


 信長上洛の情報は伊賀に隣接する柳生谷からもたらされた。


 軍事力の中で最も大きな役割を占めるのは、鉄砲等の武器や兵の数よりも情報収集力である。

 どんな大軍を有していても、諜報活動で遅れを取れば、気付いた時には喉元に刃が当てられている。

 松永は、三好三人衆と筒井順慶に抗すべく信長の軍事力を頼んだ。


 

 柳生石舟斎宗厳やぎゅうせきしゅうさいむねよし

 徳川幕府の剣術指南役として名高い柳生一族の名は、この男から始まったと言えるだろう。

 まだ、この頃は柳生の谷に邸を構え、力有る者達に蹂躙され従う事を余儀なくされていた。


 筒井順慶の父、順昭に小柳生城を落とされ降伏した経緯から、松永が大和侵攻を始めた頃には筒井氏を見限り寝返った。

 配下には伊賀者が多く、婚姻関係も結ばれていた為、権力の動きに関する情報を逸早く手に入れる事が出来たのだ。


 柳生が松永に付いたのは、柳生宗厳の弟の柳生重厳(松吟庵)とは、茶の湯友達として非常に昵懇にしていたからというのもある。

 

 敵地に潜入する忍びが敵方に取り込まれ逆利用されるのが反間だが、それ以外の四種類の忍び(内間、郷間、生間、死間)の内どれでも反間に成り得ると考えれば、全く寝ても覚めても人を信用するのが難しい時代である。


 多くの裏切りに、得た情報の信憑性すら当てにならないというのに、漆黒に塗り潰された闇の中を手探りで進み、ひたすら戦い続けねばならない心境はいかばかりか。


 故に親しい柳生一族からもたらされた信長に関する情報は貴重だった。


 信頼出来る筋からの情報を得て、九十九髪茄子の茶入れと足利幕府伝来の名刀不動国行を信長に献上して臣従を誓い、筒井順慶を出し抜く事が出来たのだ。


 同時に将軍足利義昭の幕臣となる事も許され、大和一国切り取り次第の御墨付きを得た松永と順慶の立場はここでまたもや逆転した。


 信長は順慶の臣従を許さず、松永に積極的に軍勢を送り大和の支配を助けた。

 結果、筒井氏の配下だった大和の国衆の多くが、松永側に次々と落ちていった。


 だが、それも今や──


 己の失策で再び順慶に逆転された今の現状を何とか覆す方法はないものか。


 更なる臣従か──

 

 思考を巡らすうちに、松永久秀は親指の爪を噛み切り指先から血が僅かに流れた。


 または謀叛しか手はないのか──


 

 





 






 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る