無礼な言い様だが、森家に恩があるからと力を貸してくれる伴家の者に、今度は息子である自分も恩義を感じてしまい、強い態度が中々取れない。


 口は悪いが姉のように心配してくれているのは確かなようだった。


「…………」


 一体どう答えるべきか。

 明日は信長と顔を合わせなければならない。


 説明し難い思いを吐き出すべきか。

 

「若は信長公が嫌いなのかい? 」


「嫌いな訳がない! 」


 思いの他はっきりと答えられた事に自分で驚く。


「だったら!嫌いな主なら悩む気持ちも分かるけど。どんと身を任せれば益々可愛がられて寵臣として出世出来るんじゃないのかい? 」


「そんな……上様は大恩ある御主君。好きとか嫌いとか身を任せるとか……儂は上様を畏れ敬い、武士としてお役に立ちたいのじゃ。単純に好き嫌いでは片付かないのじゃ」


 射干は顎に指を当てて首を傾げる。


「信長公は単純に愛しいなあという気持ちで抱いたんだろうに。向こうが求めてるのは一先ず若が自分を慕ってくれる事だけだろうと思うがねぇ」


「そんな事があるか!御主君を好きだのお慕いするなど!それに、あの上様が儂を愛しいなど思われる訳がない!御主君は御主君じゃ! 」


 顔を真っ赤にして怒鳴り返す姿は子供丸出しである。


「でも、ご近習を遣わされてるくらいだから一夜限りには到底思えないけどねぇ。嫌だから、あたしに変わってくれって言われてもこればっかりは出来ないよ」


 当に彼の悩みの核心を突く発言は、虐めている訳ではなく素朴な疑問を投げ掛けているだけに過ぎない。


「う.......儂は儂は、心で上様にお仕えしたいのじゃ。身体を求められたら......うう……」


 奥手な彼からすれば身体を差し出すのは大層な一大事で、心を捧げるという言葉はさぞかし清く正しく感じられるのだろう。


 それに、まるで心と身体は別物のように乱法師は言うが、肌を合わせた者に心動かされるのも人であり、 身体だけ心だけの繋がりなど実際には無いと思っている。


 男と寝て情報を手に入れるくの一ですら、肌を重ね共に過ごす時間が長ければ長い程、相手に情が移ってしまうのだから。


 それにしても正直男として見るのは難しいが、後一二年もしたら性の手解きをしてやっても良いと思っていたところだったのに──


 いずれにせよ、余程相手に問題があるのでなければ、色事に関しては言い寄って来た相手に案外靡いていくものだ。


 力を持つ一握りの者達は、世の中の様々な物を自らの手で選び取る事が出来るが、弱者は皆、運命を受け入れ生きる他無い。


 射干など、その最たる者だった。


 相手が信長では逃れようはなく、観念して精々飽きられない努力をした方が良いのにと少し意地悪く思ってしまう。

 皆が平伏する権力者でも男は男。

 閨房において流石に小難しい理屈や算術は必要ないだろう。


 こんな事くらいで衾を被って出仕拒否しているのは、つまるところ性に対する知識が未熟過ぎただけの事。

 深窓の姫君とて書物で知識を与え、閨での心得を教え込んでおけば、こんなものかと特に動じず男に脚を開けるものだ。


「嫌なら仮病を使う、若しくは閨でどのような振る舞いをすべきかを書物でも読んでおけば、覚悟を決めて御相手が務められるんじゃあないのかい? 」


 からかうような言い様だが、男性経験豊富な彼女でさえ男同士の交合だけは知識でしか語れない。


 『身体ではなく心を捧げる』などと言ったところで、先日のように『心だけでなく身体を求められたら』抗いきれないのが現実と、乱法師は認めたくないが分かっている。


 大人の男との単純な膂力の差だけでなく、寧ろ力付くではない優しさで抱き締められ、押し倒されてからは声さえ上げる間も無く行為が始まっていたのだから。


 意外と親しみ易いと思い始めていた昼の顔とは全く異なり、やはり信長は恐ろしいと感じた。


『また、荒々しい振る舞いに及ばれたら...…』


 到底、言葉だけで退けられるような相手ではない。


「もう良い!家臣ではないとは申せ、勝手に盗み聞きして勝手な事を申して、いい加減部屋から出て行け! 」


 黒雲の如く沸き上がる明日への不安に対して、これ以上あれこれ言われたくないと、障子を開け出て行くように促す。


「はいはい! 」


 あっさり射干が部屋を出て行った後、彼女の言葉がぐるぐると頭の中で回り、一つの言葉がぴたりと中央で止まった。


「書物、か」


───


 白緑と女郎花(薄黄緑)、山吹色の三色の粗い斜縞模様の上に、雪輪が金糸で刺繍され、輪の中は鹿の子絞りと泳ぐ魚が辻が花で桜色や水色で染められた涼しげな小袖。

 真夏であるので肩衣袴は着けずに、銀色の地に青海波模様が赤い糸や紺色、紫等で刺繍された帯を締め、その先を後ろに垂らす。


 髪は襟足にたぼを大きく作り、茶筅髷に平元結が愛らしく、擦れ違う侍達が思わず目を止める程、初々しい小姓姿の乱法師であった。


 あくまでも夏らしく軽やかで華やかな装いとは対照的に、顔は緊張で強張り少し青褪めていた。

 信長の住まう仮御殿に近付くにつれ、動揺を必死に隠そうと顔をきりりと引き締めてみるものの、向かう足取りも心も重かった。


 安土への築城は織田家の重臣丹羽長秀を総普請奉行として、昨年の天正四年から始められた。

 城の巨大な外郭や、安土に土地を賜った家臣達の邸の普請は随分進んでいるが、城自体の完成までは後数年は掛かりそうだ。


 その為、岐阜城から茶道具だけを携えて安土に移ってきた信長は、始めは宿老の佐久間信盛の邸に居候していたが、今は仮御殿に住んでいるという訳だった。


 先月奉公を始めたばかりの新参者である癖に、くだんの理由で五日ぶりの出仕となる為、平静な顔を取り繕っていても、かなりの居心地の悪さを覚悟して来たつもりだった。

 しかし小姓頭達の己に接する態度に以前と特に変わった様子は無く拍子抜けした。


 


 


 


 


 





 


 


 

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