第5話


今にも天気が崩れ出しそうなある日の午前中のこと。

公道を挟んだ駅近くの駐車場に停まる車。その運転席に外の景色を眺める男の姿があった。


名前はスピル・カンクト。遺伝子操作を行った人間の最高例とも言うべきDr.ゼラのデザインコレクションの一人だ。


純粋な国民からは忌むべき悪と苛まれ、同じように遺伝子操作された同胞からは希望の光と持て囃される。そんな良くも悪くも『逸材』な男がこんなところにいることなど誰も知る由もなかった。


コペル王国の北に位置するここ都市サティランは常に気温が低く毎日、冬のような寒さが続く。

今日もこの気温ならば曇天からいつ雪や霙が降り出してもおかしくはないだろう。

傘を片手に小走り通り過ぎていく人々を見ながらスピルは手に持っていたブラックの缶コーヒーを口に含んだ。

すると後部座席のドアが開き一人の黒スーツ姿の男が入ってくる。

男の名はミドラル・アドマーク。三十代の男だ。


「状況は?」


客人が座席シートに腰掛けるや否やスピルが尋ねた。普段から合理的な言動が多いがここまできたらただのせっかちだ。


裏社会で血の気の多い仕事をしているスピルにとってミドラルは依頼人。それもスピルをデザインコレクションを知った上で協力を仰ぐ、遺伝子操作されたデザイナーズチャイルドの集団『過劇団』のリーダーだった。


「まだ、見つけられていない。確かにここにいるはずなんだが」


ミドラルは一枚の写真を差し出す。その写真には一人の中年男性が写っていた。


「デオトラ・オルタ……軍上層部の肩書きを持つ上級貴族か。男爵が相手なら周りに護衛がいるから簡単に見つかると思うがな」

「そう急かさなくても早急に見つける。君は連絡があるまで待機しておいてくれ」 


ミドラルは結露で肩に付着した水滴を手で払いながら説明する。


「でも何故、一代貴族がこんな辺境の地に?」


普段なら王都で優雅に紅茶でも飲みながら楽な仕事をしていそうなイメージだ。フィールドワークなど雑多の部下にでもやらせるだろう。

何かのっぴきならない事情があるのは当然の予測だ。


「なんでも近々、この付近で隣国と戦争するらしい。デオトラは男爵でありながらも軍の少将という側面も持っているからな。下見も兼ねての束の間の休暇といったところだろう」

「戦争か……」


スピルは小さく呟き外を見る。

こんなにも穏やかに時間が進んでいる街も数ヶ月後には避難区域に指定されているのかもしれないと思うと心底嫌気が差した。


「そんなことより……本当にいいのか?」


ミドラルが不思議そうにスピルに尋ねた。


「何がだ?」

「男爵を暗殺するなんて正気の沙汰じゃない。腕が確かなのは認めるが下手すれば王国を敵に回すことになる」

「安心しろ。既に王国からはテロリスト扱いだ。英雄になれないのなら暗黒面で革命家になるさ」

「だが、方法は他にもあるはずだろう。君一人が汚れ役を引き受ける必要はない」

「生憎これが生業なんだ。金を積まれている以上、最善の形で依頼人の希望に沿う。それに、お前たちも王国に不満があるから立ち上がったんだろう。国を変える人間がこんなちんけな首ごときで命を掛けてはいる場合でもあるまい」

「……わかっている」


男は悔しさを滲ませ言葉を紡ぐ。 


「俺たちデザイナーズチャイルドが虐げられるこの国は間違っている。俺たちだってただの人間だ。優劣なんてないはずだろう」

「全くだな」


王国に復讐する為の過激な思想を持ちながら劇団員のように日がな一般市民のフリをする集団、人呼んで過劇団。正しく彼らに相応しい名前であった。


「生まれてきたからには必ず自由を掴み取る」

「俺らは新時代の犠牲と言ったところか」


昔、Dr.ゼラは言っていた。『君たちは王国の希望を背負っているのだ』と。

スピルも彼の期待を胸に頑張ってきたひとりだ。だから、ここ数年でデザインヒューマンプランを無かったことにし、全責任をDr.ゼラに擦りつける形で裏切ったこの国が許せない。


「もしこの計画が上手くいったら君も私たちの仲間にならないか? デザインコレクションが過劇団に加われば今より多くの仲間が募れると思う。そして、何より心強い。王国に喧嘩を売って街を歩けなくなるよりも有意義な余生が送れるんじゃないか?」


過劇団のリーダーに据えても構わないと言うミドラルの要望にもスピルは一切表情を変えない。


「悪いが断る。俺は王国を変えたいんじゃなく潰したいんだ。今回は利害の一致で協力することを決めたが根本は異なる。俺が本来いるべきなのは戦場だ。それにあんな烏合の衆、俺には持て余すだろう」


「そうか。君にもやるべきことがあるのなら執拗に勧誘することはしない。でも、もし気が変わったらいつでも声を掛けてくれ」


スピルの目を見ればどれほどの覚悟があるかが伝わってくる。鈍く輝く瞳だ。

無理強いな勧誘は逆効果でしかない。


「なんにせよ、できるだけ早くこの仕事を終わらせるべきだ」

「分かっているさ。君の仕事を増やすわけにもいかないしな。これで失礼するとしようか」


そう言ってミドラルは長い筒状の箱を後部座席に置いた。


「これは?」

「不要かもしれないが持っていてくれ。どこかで使えるかもしれない」


後ろに手を伸ばし手触りを確認する。箱の材料はシリコンらしく、表面からでも力を加えれば中の物体の形を捉えることができた。

形でものを悟ったミドラルは呆れ笑いをする。


「今時、剣は流行らないんじゃないか」

「まあな。戦利品だが、我々も使わない余り物だ。切れ味は鋭いから捨てるにも勿体ない。有能である人に活かして欲しいのさ。持っていても損はないだろ」


そう言い残し、忙しなくミドラルは車から降りると駆け足で街の中に消えて行った。


その後、特に用事もなく、ただひたすらにコーヒーを口に運び、景色に目を向ける。すると、バックミラーにこちらに寄ってくる人影が映った。

しばらく見守っているとおよそ隣の位置で足が止まり、窓を叩かれる。

仕方なしにゆっくり窓を開け、対応することにする。

本心は、面倒なので今すぐ車を出したいが、見たところ軍の警備員だ。ここで逃げ出すような行動をとれば怪しまれ、これから仕事に支障が出る。


「すみません。地域安全の為の調査に協力して下さい」

「あぁ」

「身分証明書の提示をお願いします」


スピルは言われた通りに運転免許証を取り出し警備員に渡す。

戸籍を確認し、免許証の宣材写真と実物をじっくり見比べる警備員。あまりの長さにあくびが出る。


「ご協力ありがとうございます」


警備員は特に疑うこともなく、警戒心も薄い。

スピルは平静を装い警備員に尋ねる。


「この辺で何かあったのか?」

「いえ、ただの安全強化です」


仮面のような柔和な微笑を崩さない警備員の顔は明らかに虚言であることを示していた。

何か王国側に不都合でもあったのかも知れない。


「そうか」


円滑に事が進み、車を出そうとしたとき、警備員が後部座席に目をやり何かに気づいた。


「後ろにある荷物はなんですか?」


すぐに先程のミドラルの言葉が頭をよぎった。

持っていても損はないだと。手に入れてすぐに不都合が生じたじゃないか。

心の中で壮絶な舌打ちをかますスピル。


「ただの箱だ。大した物は入ってない」

「確認させてもらってもよろしいですか?」


当然そうなる。むき身の剣など見られたらすぐさま連行されることだろう。

だが、ここで動揺は見せない。普段通りに対応し、隙をつくる。


「わかった。ちょっと待ってくれ」


後ろを振り向き荷物をあえて辛い体制で掴む。


「──あれ、何か引っかかっているようだ。なあ、後ろのドアを開けるから横から引っ張ってくれないか?」

「あー、はい。わかりました」


がたがたと荷物を揺らすスピルを見て警備員も快く了承した。

ドアが開き警備員の身体が半分入る。それを確認したスピルは身を乗り出し、箱から剣を抜き取ると警備員の首元に思い切り刺しこんだ。


「……ぐあぅ」


思うように声を出すこともなく生き絶えていく警備員。無理もない。こんな不意打ち警戒できるわけがない。

身体全体を入れるべく車内に引き摺り込むと胸元からトランシーバーが落ちた。

拾い上げると声が聞こえる。


『おい七班、報告がまだだぞ。異常はないか』


七班はおそらくこの警備員のことだ。応答がなければ厄介なことになる。

スピルはトランシーバーのスイッチを入れた。


「こちら七班。遅れてすみません。こちらも異常はありません」


声帯模写。スピルが昔から特技としている芸当だ。特に通話なら声の多少の差異など、気付くわけもない。

『了解』という声がトランシーバーから聞こえ安堵する。


身体に撥ねた血液を拭き取るとスピルは死体を乗せたまま車を出した。


しばらく車を走らせて気づく。

街の至る所に警備員が配置されている。一体、何に対しての警戒なのか。嫌な予感がした。




***


サティランの中心にそびえ立つ高級ビジネスホテル。その最上階にあるVIPルームにはミドラルが探す男、デオトラ・オルタがいた。


難しい顔をしながら軍事ログを確認するデオトラ。

周りの護衛たちも言葉を発さずに様子を伺っていた。

緊迫した空間でデオトラの貧乏ゆすりが次第に強さを増していく。


「これはどういうことだ?」


デオトラは強めの口調で周囲を咎める。見ている記事には護衛に着くはずだったある隊員がここに来るまでに何者かに襲われたという報告が書いてあった。


「……わかりません。隊員は一人の時を狙われたらしく。犯人を見たものもいないと」

「私がここに来るという情報が漏れていたということか。軍にスパイがいるとは只事ではないぞ」


偶然狙われたという可能性は極めて低い。軍人が一人のところを襲っている状況から見て犯人にはそれなりの情報網があるに決まっている。


「身内に我々に反抗するような輩がいますかね?」


護衛の一人が深く考えこむ。

するとその隣に立っていた別の護衛が口を開いた。


「そんなの決まっていますよ。不遇な扱いに嫌気がさして牙を向けてきた奴隷のあいつらですよ」


護衛はデザイナーズチャイルドを揶揄する形で周囲に説いた。軍には無理矢理兵士扱いを受けるデザイナーズチャイルドが多くいる。デオトラもかなり酷い扱いをしていた為、相当なヘイトを集めていた。


「ですが奴らが軍の機密情報を得る機会なんてありますかね? 仮に得られたとしても外に発信できる術は奪っているも同然な状態ですし」

「あの野蛮な猿共ならやり兼ねないだろう。こっちではまるで役に立たんが同胞の為なら無駄に知力を振り絞って行動する奴らだ。姑息な手を使って無能な上官の隙でもついたに決まっている」


護衛の断言にも近い物言いにデオトラも同調する。


「確かにそれしか考えられないだろうな。犯行も速やかで証拠も残っていない。一般人が相手ならもう少し抗った様子が有ってもいいはずだ」


殺された隊員は現場への移動中に人気のない場所で胸を滅多刺しにされていた。ついでに貴重品も全て盗まれている。これは確実に計画的な犯行であり、犯人は集団であることは明らかだ。


「Dr.ゼラの作った粗悪品などさっさと捨ててしまえばよかったのだ。それを本部はいつまでもだらだらと……。大体、ミロ・マイアスの中尉昇進だってまともに説明されていないぞ」


デオトラは言っても何の意味もない護衛に不満をぶつける。当然返ってくるのは、困惑の表情だった。


本題に戻そうと護衛の一人が口を開く。


「ということはまだ我々は狙われているということですね。目的は権力を持つデオトラ様であると」

「ふん。丁度いい機会じゃないか。外に湧くゴキブリ共が群がった所を一掃してしまえばよい。スパイ探しはそれからだ」


すると今度は別の知的そうな護衛が発言をする。


「デオトラ様、それは避けるべきだと思います。敵の数も把握できていませんし、こちらも戦力が十分とは言えません。それにもし、敵にミロ・マイアスのような人間がいたとしたらこちらに勝ち目はありません。ここはひとまず冷静に待機をして応援を呼びましょう。事態が収まってから動くのが確実です」


「全く。結局貴様らも無能の集まりか。だったら早く応援を呼べ。私の時間は安いものではないぞ」

「はっ!」


護衛は全員一致でこの場に留まることが安全だと結論した。これから何か手を打ってくるであろう敵の影を感じながら守りを固める。



***


サティラン近郊に位置するレトロな雰囲気の漂う街カルナには都市から悠々自適な生活を送るべく人生をセミリタイアした高齢者が多く暮らしている。


カルナの駅のメインストリートに馥郁たる香りを漂わせるベーカリーファミロもそんな考えを持った老夫婦が営むパン屋であった。


そこで働く一人の青年、アクティ・バンカレンはアルバイトとして夫婦の手伝いをしている。

今日も早朝からパンを焼き、バケットに並べたのだが、昼過ぎにはそのほとんどが売れてしまっていた。


「うわぁ。今日、天気悪いのに結構売れましたね」


アクティがレジで作業するおばさんとその姪のサラに声を掛ける。


「うちは固定客が多いからねぇ。天気が悪い日でも仕事の休憩中に買って行ってくれるんだよ」

「それにアクティの焼くパンは美味しいしね」


おばさんにサラが付け足した。

サラは愛嬌のある天真爛漫な学生の少女だ。束ねたポニーテール陽気に振り回し、にこにことアクティを見つめる。

夫婦も共に優しく、アクティにとってここはとても心地の良い場所だった。


「そうだねぇ。御贔屓にしているお客さん達も前よりも今の方が美味しいって言っているよ」

「そんなことないですよ。僕はおじさんから教えてもらった通りに焼いているだけですから」

「あらぁ、それ聞いたらきっとお父さん喜ぶわよ」

「謙遜しなくていいのに。アクティは本当に優しいね。顔もかっこいいし。アクティがレジ立てばもっとパン売れるよきっと!」

「あはは。ありがとう。でも、僕は作る側だからそれはサラに任せるよ」

「私なんか目当てで来る人なんていないよー」


カウンターにぺたりとへばり付くサラ。

とても幸せな空間。彼らと交わす会話は大きくアクティの心を満たしていた。

すると、何かを思い出したようにサラが口を開いた。


「あ、そうだおばあちゃん。午後から私お出掛けしてくるからね」

「あらぁ、そうだったねぇ。どこへ行くんだい?」

「サティランだよ。ロイヤルホテルの隣に凄く大きいスイーツバイキングができたみたいでさ、友達から無料券貰ったんだー」


自慢気に話すサラにおばさんは優しい微笑を送る。


「でも、確か今サティランってこの間の事件で厳戒体制じゃなかったかね。犯人もまだ捕まってないとか。大丈夫かしら?」


昨晩、路地裏で人が襲われたというニュースは既にカルナ中にも広まっていた。ただ、軍人ということは伏せられて市民となっている。公にはデオトラがサティランに来ていることは秘密なので仕方のない対処だ。


「大丈夫だよ。スイーツ食べてくるだけだし」

「……本当かい?」


優しい目が一変、心配そうな色に変わる。

それを見て気まずさを感じとったサラは周りを見渡しあることを思いついた。


「そんなに心配なら……アクティ連れて行くよ」


急な指名にアクティは驚く。


「え? 駄目だよ僕は。この後も仕事が残っているし」

「いいじゃん少しくらい。午後はお客さん少ないしおじいちゃん一人でもどうにかなるよ。ね? おばあちゃん」

「そうだね。アクティがいてくれるなら安心だけど……。

うん。いつも頑張ってくれているし今日くらい休んでもいいよ」


少し間が空き、あっさりと承諾が降りた。

おばさんの内にはサラにもしもの事があったらという心配の方が大きかったのだろう。

共働きである両親から預かっている可愛い姪。怪我もさせたくないはずだ。


「よっしゃ! ほら、じゃあ決まりね」

「え、えぇ」


と、有無を言わさずアクティの参加が決まったところで奥からおじさんの声がする。


「おーい、アクティ。ちょっと手伝ってくれるかー」

「あ、はーい」

「じゃあ出発は一時間後だからおじいちゃんにも許可取ってきてねー」


満面の笑みでウインクするサラ。


「わかったよ」


アクティは渋々誘いを受け奥の厨房に下がっていった。




アクティがいなくなってからしばらく。入口のドアが開き客が入って来た。ロングコートに手袋、細長い箱のようなものを背負った男性……スピルだ。


血のついた衣類は全て隠した。抜かりはない。

スピルは店内を見渡した後、パンを一つずつ吟味していく。


珍しい客にレジからおばさんが声を掛けた。


「ごめんねぇ。殆どお昼に売れちゃってねぇ。もう選ぶほど残ってはいないんだけど良かったら買っていっておくれ」

「……あぁ」


声を掛けられたことに少し驚きを見せたスピルだったがすぐにパンに目を戻した。

それを見て、今度はサラが話し掛ける。


「お兄さんかっこいいね。ここら辺の人?」

「いや違う」

「だよねー。なんか都会の人っぽいもん。どこの人? 何でここに入ろうと思ったの? その背負っているもの何?」

「……」


矢継ぎ早に質問を繰り出すサラにスピルは困惑した。できれば印象に残したくはない。

情報収集がてらに立ち寄った店で自分を掘り下げられるとは想定外だった。


「サラちゃん、お客さんが困っているじゃない。落ち着きなさい。ごめんなさいねぇお客さん」

「いや」


スピルはフランスパンをトレイに乗せレジへ差し出す。


「じゃあ、これを」

「はーい。かしこまりましたぁ」


サラは少しでも好感を持ってもらおうと可愛げを出してパンを包装する。


「なあ、仕事で初めてこの辺に来たんだが、サティランで今何かあるのか?」

「何で?」

「いや、なんだか厳戒態勢みたいに交通整理されていたから」

「……?」


首を傾げて考えるサラ。変わっておばさんが答える。


「あぁ、それはサティランに危険な人が潜んでいるからだよ。昨日、民間人が襲われる事件があってね。まだ捕まっていないんだよ」


その事件にピンとくる。


「襲われたのは一人か?」

「ニュースで見たのは一人だけだったねぇ」


スピルは瞬時に起こり得る可能性を模索した。そして、すぐに疑問が浮かぶ。

サティランに配置されている警備員の数。もし、この老婦人の言っていることが正しいとすれば過多ではないか?と。


「……そうか。感謝する。あと、おしぼりをいくつかもらえないだろうか」

「えー、なんで?」


不思議そうにサラが尋ねる。


「車内を少し汚してしまったんだ。すぐに拭けるものがほしい」

「あーそうなの。いいよ。六つでいい?」

「助かる」


スピルは小洒落た紙で包装されたフランスパンとおしぼりの入った袋をサラから渡される。

正直パンなどいらないが何も買わないとより不信感を煽りかねない。


「お兄さんなんの仕事しているの? ビジネスマンには見えないけど……公務員とか?」


好奇心旺盛に目を輝かせるサラに対しスピルは冷たく返す。


「まあ、そんなところだ」


これ以上掘り下げられまいと足早に去ることを決める。この手の女子はどうも苦手らしい。


「お兄さんもサティラン行くなら気をつけてくださいね」

「……あぁ、どうも」


素っ気なく返事をして店を出る。車に乗り込むとすぐにミドラルと連絡を取った。


『もしもし、何だ?』

「男爵は見つかったか?」

『足は掴んだもう少し待機していてくれ』


忙しそうにスピルをあしらうミドラル。後ろから過劇団の一員であろう声が聞こえてくるがどうも騒がしい。こちらにまで焦りが伝わってくる。


「いいや、俺も探す。人数は一人でも多いほうがいいだろ?」

『駄目だ。君には連絡があるまで待機と伝えたはずだ。男爵の捜索はこちらでする。勝手な行動取るなよ』

「そう言うな。お前たちも気儘に動けるわけじゃないんだろ。崇高な貴族様相手に随分と思い切った真似をしたそうじゃないか」


一般人が襲われたごときであの警備の数が動くとは思えない。いくらデオトラがあの街にいるとはいえ少し敏感過ぎる。となると、老婦人から聞いた公衆向けの情報の一部にフェイクを混ぜたとみるべきだ。


襲われたのは軍人で襲ったのは過劇団。


そう考えれば、つい先程のミドラルの余裕のない表情にも納得がいった。

スピルが今しがた真相に辿り着いたことをミドラルも瞬時に把握する。


『君に言わなかったことは悪いと思ってる。だが、仕方ないだろ。こっちだって背水の陣だ。なりふり構ってられるか』


ミドラルたちは万全な状態でスピルに預けたかった。デザイナーズチャイルドが不遇を受けるこの社会の中で彼らには金銭的な余裕はなく、やり手であるスピルの依頼へのプラスアルファは避けるべきことだ。


「別にそれに関しては言うことはない。だが、向こうは相当警戒しているようだ。焦って手順を間違えれば全滅だぞ」

『だから協力させろと言うのか』

「悪い話じゃないだろ。勿論、足は引っ張らないし金の問題も今すぐ催促する気もない。背水の陣というのなら使えるものは使っておいたほうがいいんじゃないか?」


どうやらミドラルはお金の心配をしていたようでスピルの提案に少し落ち着きを取り戻した。


『……わかった。では、ロイヤルホテルに向かってくれ。今のところ最有力候補だ。こちらでも怪しい場所を探ってるから見つけ次第必ず連絡しろ」

「了解。あと、渡された剣なんだが…これのせいで俺も少し強引なことをした。後処理を頼む」


後部座席に目をやる。

死体は未だ車内にある。警備が厳重なサティランでは移動中でも職務質問に捕まらないとも限らない。


『……おい、余計な仕事を増やさないでくれ』


安打も束の間、電話の向こうでミドラルが頭を抱えているのがわかる。


「仕方ないだろう。お前が渡した物なんだから。一体、何の意味があった」

『持ち手の部分を分解してくれればわかる』


スピルは言われた通り柄頭の部分を外す。すると中からマイクロチップが落ちてきた。


「何だこれ」

『言っただろ、戦利品だって。それは我々が仕留めた男の右手に埋まっていたマイクロチップだ』

「なんだ、最初から俺を頼るつもりだったんじゃないか」

『預けていただけだ』


スピルは再びサティランへと車を飛ばした。

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