応援コメント

六月二日 横浜と長崎で港はじめました」への応援コメント

  • もし、この条約締結が結ばれた時に田沼意次が大老だったら、もしかしたら丸め込まれなかったのでは…と思ってみたり。
    坂本龍馬が生きていれば土佐海援隊がもっとうまく商売したりして…と思ってみたり。
    渋沢栄一、五代友厚がもし幕末に死んでいたらと思うと恐ろしいですね。

    しかし、ひどいですね、この錬金術。

    ちなみに、坂本龍馬が志士たちと真剣に議論していた時に『贋金を作れば幕府は簡単に倒せる』と言ってニヤッと笑ったのを見た桂小五郎が殴ってやろうかと思ったという話がある(なんの資料か覚えてないので間違えならすいません)らしいです。

    作者からの返信

    化け猫ニャン吉さま 本当に歴史のIFをぜひ見たい事案ですよ、これは。
    国家の舵取りがいかに大変かは勿論なんですが、基本的に鎖国姿勢で単一民族で成り立つ島国だったから、お人好し集団だったのかななんて思ったりもします。
    もっともその後の失敗から学ぶ速さも、ある意味評価されるべきなのかもしれませんが……。

    龍馬さん、頭はキレるけど(当時の)武士としては発想が鬼畜すぎる(笑) この時に小五郎さんに殴られていれば、その後に刀で斬られることもなかったのかな……
    ただ、これくらい鬼畜変人(褒め言葉)だったら外国勢も煙に巻けたかもしれませんね。あ、これもIFか……。

  • へぇー、勉強になります。
    こういう話を知っていて授業を受けたら、もっと理解できたんだろうなぁと思いました。
    学生だったのは、もうニ十年前ですが(笑)

    作者からの返信

    塩塚不二夫さま いえいえ、お粗末様です。
    ただ教科書を追うより、身近な例えで話してもらうと理解できることって多々ありますよね。(かくいう私も、学生当時に為替の話されて興味持ったかは謎ですが……汗)

  • このへんの事情難しいですよねー

    経済史苦手です。
    ここが、怒涛の幕末期を迎えるターニングポイントなのはまちがいない。

    作者からの返信

    澄田こころ様 本当に難しい舵取りだっただろうなと思います。
    井伊大老だって結局殉職(?)してますし。
    しっかし時代とはいえ、やりたい放題な人は本当にやりたい放題ですね(苦笑い)