第33話 ホンモノの鋤園

月曜日、オフィスに行くと桃華がうなだれていた。


「!?」


「あ、かなえ先輩。おはようございます。ちょっと、聞いてくださいよぉー」


「何?どうした?」


「わたし、あっさり振られました」


「振られた!?」


「はい。次、会う約束したって言ったじゃないですか、大河原さんと」


「うん」


「日曜日、大河原さんに会って言われたんです。鋤園さんを受け入れられないかもしれないって」


「!!」


「あの時は、鋤園さんに逢えた喜びで舞い上がってたけど、冷静になって考えたら、こんなおじさんが、こんな若い子と会うなんて気が引けるって」


そうか。大河原さん、やっと正気に戻り冷静さを取り戻したのか。

それに、桃華は“鋤園直子(仮)”ではない。

本当の“鋤園直子(仮)”は、何を隠そう、今この話を聞かされているわたしなのだ!


「大河原さんって、かなえさんの元カレだったんですね」


「えっ!?そんなわけ!!」


「いや、いいんですよ、そんなこと」


「いや、全然付き合ってないし!」


「婚活パーティーだったんですってね?」


「そ、それは……」


「別に隠さなくていいですよ。全部聞いたんで」


「はっ!?」


「大河原さんの片想いだったって」


「あぁ……」


「もったいない」


「どこがよ!鋤柄さんじゃないのに!!」


「ん?スキガラ……??」


「あ、いや、その……、あんなの好きになる……その、柄でもないってこと!」


「こんな若い方だったなんて、そんな方にわたしは婚約破棄みたいなことを書いたノートを見せてたんですねって、恥ずかしそうにしてました。だから、いっそ付き合うなり、なんなら結婚しませんか?って言ってみたんですけど、それはないって……」


「そう、だったんだ……」


「あーあ。わたしはただの知人Bでした」


「まぁ、ねぇ……?いきなり結婚はさすがに抵抗あると思うよ?おじさんとか関係なく……」


「やっぱり何度考えても、イメージしてた鋤園直子さんと違うって。まぁ、実際違うんですけどね?若ければ、おじさんはなんでも好きだと思ったんだけどなぁ」


イメージと違う……。

それは当然だ。桃華は“鋤園さん”ではないのだから。

けど、会って思っていたのと違うと言われるのは、桃華に限った話ではない。

“中条かなえ”も同じではないか?

もし、やっと念願の鋤柄さんと逢えたとしても、“かなえさんを受け入れられない”“イメージと違う”と言われたら、わたしは果たして立ち直れるのか?

膝から崩れ落ち、ラーメンは伸び、シャリは喉に詰まり、絶望から立ち直れない気がする。

そして、傷付いて寝込んでしまうのではないだろうか。

なら、やはりこれは、永久に“逢えないべき”なんだろうか。

けど、鋤柄さんはとっくにわたしのことを、どこかから見ているかもしれない。

見ているうえで、ノートに返事をくれ続けているのなら、それはどういう感情!?

内向的なのか?それとも、この状態をずっとニヤリと楽しんでいる!?

そんなわけない!鋤柄さんがそんな人なわけない!!


「わたし、鋤園さんってどんな人だと思ってたんですか?って、大河原さんに聞いたんですよ。そしたら、きっと人生苦労してる人で、重い何かを抱えてる人だと思ってたって言ってました。わたしはその重さを出せなかったようです」


「……!」


「本当の鋤園さんって、一体どんな人なんですかね?結婚してるのかな」


「それは……」


「見てみたいなぁ。もし既婚者なら、ノートの返事書かないかもしれませんよね?ほら、逢って不倫に発展しちゃってもヤバイですし!」


「まさに、肩身の狭いプリン!!」


「えっ?」


「あ、いや、そうだね……」


「なんだか、わたしが本当の鋤園さんに会ってみたくなりました!」


だから、それはね……。わたしなんだよ!!

もう、とっくに会えてるんだよ!!


鋤柄さんが逢ってくれないのは、既婚者だから?

でも、男は平気で浮気したがるんじゃないの?それはわたしの偏見?

それとも、こいつと不倫したら、どこまでもしつこい女っぽいなとか思われてる?

逢って不倫に溺れてしまったら、それこそわたしはおしまいだ。

うわぁ、嫌だ!既婚者とか嫌だ!そんなの無理過ぎる!鋤柄さん、どうか独身であれ!!



「まっ、結局、文字だけだから、見えないから、それが一番の魅力なんでしょうね」


そう、見えないことが一番の魅力なんだ。そんなの分かってたじゃないか。

だけど、鋤柄さんは本当に存在していて、絶対この地球のどこかにはいるんだ。

わたしが怪人だったら、欲しいものは全部手に入れる。

でも、わたしはどうやら人間だった。




火曜日、かなえの足は、あの店に向いていた。


暗闇の中に、明かりがついた一軒の店が見えてくる。

店の戸には、のれんがかけられており、そこには『ことだま』とある。

奇妙なラーメン屋は、今日も同じ場所に存在していた。

かなえは、店の戸を開けた。


数人の男性客が黙々とラーメンを食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。

店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。

奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。

かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。食券を厨房のカウンターへと出した。

食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。

かなえはテレビの横の席に目をやった。

そこに、大河原の姿はなかった。

かなえは、お決まりのテレビの横の席に座った。


テレビでは、『真剣怪人しゃべくり場』が始まった。


  ×  ×  ×


エモーション「この番組は人間の生態を調べる実験を繰り返した怪人が、現代を生きる人間と対談し、疑問を解消していく番組だ。司会はわたし、怪人エモーションだ!そして、怪人代表はアルマ。人間代表は、改造人間シオンでお届けする」


シオン「お馴染み、人間の感情を持つシオンです」


アルマ「常に感情に振り回される人間が滑稽なアルマです」


エモーション「さぁ、それでは今週の議題といこう。今回は人間が人間に与える評価についてだ。“天才”と呼ばれる人物は、どうやら死んでから評価されることが多いらしい。画家、音楽家など、芸術家と呼ばれる種族は、だいたい死んだあとに評価されている」


シオン「確かにそうですね。偉大な人ほど、亡くなられた後に絶賛されることが人間界ではあるように思います」


アルマ「そもそも低能の凡人が、天才を評価しようなどおこがましいと思わないのでしょうか?」


エモーション「凡人には理解が及ばないため、変人として扱われ、この世界から抹消される事例が歴史的にも多いようだ。あとから評価してなんの意味があるんだ」


シオン「でも、あとからでも、評価されて認められたら嬉しいものじゃないですかね?どうでしょうか?」


アルマ「個体、本体が死んでるのにですか?死んでも感情はあるんですか?」


シオン「いやぁ、それは……」


エモーション「わたしは歴史に刻まれたいわけじゃない。生きている間に評価されたいんだ!!!」


シオン「えっ!?エモーションも評価されたいんですか!?」


エモーション「凡人に評価されたところでなんの意味があるのか。だが、死んでからでは、自分の勇姿を自分で見て浸ることができないだろう。しかし、怪人は死なないのだ!死とは無縁だ!!」


シオン「なら、関係ないのでは……」


エモーション「しかし見たところ、紙幣には死んでからしかなれないのか?」


シオン「紙幣!?」


アルマ「紙幣は紙切れでありながら、どんな人間でも欲しがる代物。紙幣に印刷されれば、すべての人間に崇めたてられます!」


エモーション「あれは、生前本人に許可を取っているのか?わたしも“諭吉”と呼ばれたいものだ。紙幣となって、人間の脳に“諭吉”のように刷り込むのだ。印刷されるなら、絶対に一万円札がいい!!!」


  ×  ×  ×


なんだこれ……

死なないことが裏目に出るパターンもあるのか。

怪人エモーションはお金となって、人間に愛されたい??

いや、そもそも怪人は“愛”を知らないはずだ。

その感情に名前をつけたなら、それはなんと呼ぶのだろう。



かなえは、テレビの横にあるノートとボールペンに手を伸ばした。

ノートを開くと、大河原からの“今度、一緒に怪人の討論番組を見ませんか?このノートがあるテレビの横の席で。”の続きは、何も変わることなく“白紙”のままだった。

かなえは“文字だけの君”、大河原の“文字”を見つめていた。


嘗て鋤柄さんからの続きの“文字”がない時、わたしはいつもジタバタした。

このノートが、このままで終わっていいわけがない。本当の、ホンモノの鋤園として。


ノートにある“文字”に返信でもするように、かなえは“鋤園直子(仮)”として続きを書いた。


『見えないことは魅力のひとつ。でも、文字だけだったから逢いたいと思ったの?わたしは違うと信じたい。信じていれば、いつか姿が見えるものですか? 鋤園直子(仮)』


それは、“文字だけの君”大河原に向けたメッセージというより、嘗てこの場所に置かれていた、古くぼろいノートの“文字だけの君”、“鋤柄直樹(仮)”に向けたメッセージでもあった。




その日の、深夜のことだった。

ラーメン屋『ことだま』の客が、誰もいなくなった真っ暗な店内。

明かりを手に持った男が、ゆっくりとテレビの横にあるノートに近づいてきた。

ノートの前に立ち止まると、男の手はノートを開いた。

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