第32話 雨は美学
金曜日がやって来た。
かなえは、先週の鋤柄への問いの答えを知るために、あの店へと向かった。
しばらく歩いていると、一軒の店が見えてくる。
店の戸には、のれんがかけられており、そこには『おあいそ』とある。
奇妙な寿司屋は、今日も同じ場所に存在していた。
かなえは、店の戸を開けた。
数人の男性客が黙々と回転寿司を食べている。かなえに目を向ける者はおらず、店内は異様な空気が漂い静まり返っていた。
奥では店主らしき人物が寿司を握っている手が見える。
かなえは店内を見回したが、まだ小鯖の姿はなかった。
かなえは、あいているカウンター席に座った。
今日も、回転レーンに乗った寿司が目の前を通過していく。
しばらくすると、回転する寿司レーンの中に一冊のノートとボールペンが乗った皿が現れた。
やがてそれは、かなえのもとへと回ってくる。
そこには、『書いたらお戻しください』とあった。
かなえは動いているレーンから、ノートとボールペンを手に取った。
かなえは、ノートを開く。
そこには、“鋤柄直樹(仮)”からの続きの“文字”が書かれていた。
『僕は雨の日が好きです。きっと特別な出逢いがあなたにも待っているはず。』
それが、“わたしにも見えますか?”の答えだった。
雨の日……
思い返せば、鋤柄さんとの出逢いは、雨だ。
全ては、一本の傘から始まった。
『ことだま』で傘を借りたわたしは、その傘を返しに再び『ことだま』を訪れた。
そして、“鋤柄直樹(仮)”が綴るノートに触れることになる。
雨が嫌いだと言う人は沢山いる。でも、人間は雨がなくなってしまったら死に絶えるだろう。
わたしは、雨が美しいと感じる日がある。
雨にうたれるその姿は、時として美しい。
わたしの脳裏には、いつもビニール袋を被り、雨の中を走る鋤柄さんの後ろ姿がよぎるんだ。
雨は美学だ。
“雨の日にスーパーでビニール袋だけもらい、傘を買わずに濡れて帰る人生。人に頼らず、物に頼らずに。”
そんな鋤柄さんが、雨の日が好きとは思わなかった。
それとも、雨にうたれるために、傘を持たないのだろうか?
鋤柄さんは、甘くないエビより甘エビが好きだ。
この甘エビだって、ただの甘いエビではないのかもしれない。
天にも昇る美味しさ、“天エビ”かもしれないし、もしくは、雨にうたれたい“雨エビ”なのかもしれない。
だから、鋤柄さんは甘エビが好きなのだろうか?
店の戸が開く音がした。
まさか、鋤柄さん!?
かなえは慌てて戸の方を振り返った。
現れたのは、お決まりの登場、小鯖だった。
小鯖は、かなえを見つけると当たり前のように隣に座った。
「あれ?先週だけだったのかな。今日は小鯖フェアはやってないですねぇ」
「煮込まれたかったんですか?」
「え?」
「あっ、いや……。好きな天気ってなんですか?」
「え?突然ですね。そりゃ、やっぱり王道の晴れでしょう。なんですか?デートのお誘いですか?」
「いいえ、まったく」
「ま、かなえさんとの出逢いは、青天の霹靂ってところですかね」
青天じゃなかっただろう。
雨が降りだした夜だ。
傘がない鯖男は、『おあいそ』の店先で傘を借りた。
その傘を返しに来て、わたしと再び出会う。
そこだけ見たらドラマチックだ。
だけど、この鯖男はやっぱり嫌だ。
割とイケメンかもしれないのに。
「僕は、雨の日が嫌いですよ。とくに突然の雨はね」
「!!」
「でも、この店には傘があってよかった。借りれるし。まっ、ぼろだったけど」
やっぱりこの鯖は無理過ぎる!
鋤柄さん、煮込みましょう!!
ノートにある“鋤柄直樹(仮)”の“文字”に返信でもするように、かなえは続きを書いた。
『わたしは昔、雨の日がそこまで好きではありませんでした。けど、『ことだま』に行って好きになりました。雨は美しい。鋤柄さんにとって甘エビは、もしかして天エビですか?それとも、雨エビですか?』
かなえはノートを閉じると、回転するレーンにノートとボールペンを戻した。
わたしにも、特別な出逢いがありますように。
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