番外編4.焦がれる東宮 (コミック1巻発売記念)
「……来たわ、あのお二方が」
王宮侍女として務める少女にとって、その声は号砲である。
茂みに身を寄せ合って隠れていた少女たちは、ごくりと唾を呑み込むと、振り返ってそぅっと顔を上げる。
「「「…………!」」」
誰も、はしたなく声を上げはしない。しかし隠しきれない興奮の呼気が漏れそうになり、全員揃って口元を両手で隠しながらも、瞬きを忘れて目の前の光景に見入る。
視線の先には、東宮から出てきた二人――第一王子と、その隣を歩く秘書官の姿があった。
――ルキウス第一王子が、アルヴェイン王国へと帰還する。
数週間前、この報が国内を駆け回ったとき、王宮内も当然のことながら大きく賑わった。
頭脳明晰にして容姿端麗なルキウスは、魔道具の開発者として国内外に名を馳せており、国内でも抜群の知名度を誇る王族である。
才覚に満ちた第一王子・ルキウスは、その才能からイスクァイ帝国にある魔法大学に長期留学していた。十年ぶりの帰還とあっては、盛り上がらないはずもない。
そして彼の秘書官であり、乳兄弟として知られるイザックもまた、爽やかな笑みがまぶしい美青年である。
実家はタミニール辺境伯家という由緒正しい名家。しかし秘書官という唯一無二の地位を勝ち取ったのは、ひとえにその優秀さゆえだろう。官吏登用試験には満点近い点数を叩きだし、圧倒的な実力でルキウスの側近に就いている。
そんなルキウスとイザックのことなので、当然のことながら女性人気が高い。毎日、出かけていく彼らを見つめるためにこうして庭園の影に隠れて見送る侍女が後を絶たないほどである。
「ああ、なんてかっこいいの……」
「お二方とも、本日もまぶしいほどに素敵だわ」
灌木に隠れながら、何人もの侍女が小声でさざめき合う。
少女も声こそ出さなかったものの、心の中で何度も頷いている。瞳の真ん中に映しだしているのは、ルキウスではなくイザックであったが、イザックに懸想する女子もさして珍しくはない。
ちなみに、東宮に配属される女はいない。例外は女性騎士だけだが、それも数えるほどだ。小間使いが男に限られているのには無論、理由がある。
少女が属するのは、いわゆる穏健派のひとつで、麗しの東宮を静かに、そっと見守ることに喜びを見いだすグループである。
しかし他の派閥には、二人とお近づきになりたい、そしてあわよくば……と目論む血気盛んな女子が数多く在籍している。
貴族の子女が王宮に仕える理由のひとつが有力な花婿探しであるから、むしろ欲望に忠実な派閥ではある。二人とも婚約者がおらず、色恋の話も聞こえてこないものだから、婿候補としては他を大きく突き放して頂点に君臨しているのだ。
以前、イザックを巡っての抜け駆け騒動が起きたときはひどかった、と少女は思い返す。
畏れ多くも彼に贈り物をしようと画策した侍女がいたのだが、そんな数人がバッティングしてしまい、最終的に興奮した彼女たちが平手打ちの応酬をして、巻き込まれた侍女まで突き飛ばされ怪我をした。
あのときは何人も王宮を辞する事態となり、一時騒然となったものだ。そんな血の気の多い侍女たちは一掃され、派閥もほぼ解散状態に追い込まれたものの、次々と侍女の募集はかけられる。いずれまた、あのようなグループが爆誕してしまうことだろう。
少女もいっとき、東宮で採用されたらと夢見たことはあったが、その出来事から思い知らされた。東宮にひとりでも侍女が配属されたなら、そのときは王宮に血の雨が降る。そんな事態が未然に防がれていることに、むしろ安堵するべきなのだと。
そして現在も、茂みに隠れているのは少女が属する派閥のみではない。
美しい月光のような銀髪をした麗人の隣で、明るい茶髪をした青年は太陽のような朗らかな笑みをこぼしている。
そんな見目麗しい青年二人に向けて、熱い眼差しを送る侍女も多いのだ。
「見なさい、ルキウス殿下を支えるイザック様の尊き笑みを……」
「他人を寄せつけないルキウス殿下だけれど、イザック様だけは例外なのよね……」
「お二方の間には誰も割り込むことはできないのよ……」
「十年間もただひとりの主君を待ち続けた、忠実なる秘書官……ときめくわね……」
全員が総じてうっとりとした顔をして、溜め息を吐いている。何やら帳面にペンを走らせている侍女までいる。二人ともに婚約者がいないのもあり、そういった噂もちらほら聞こえているのだった。
そんなこととは知る由もなく、イザックはルキウスに親しげな笑みを向け、ルキウスもまた、軽く口元をほころばせている。「きゃあっ」と小さな悲鳴を上げ、ばたばたと倒れる侍女たちの間から、少女はずっとイザックを見つめている。
――少女は以前、夜会ですれ違ったイザックに救われたことがあった。
酔っ払った男に飲み物をひっかけられ、ドレスが汚れてしまい、どうすればいいか分からず泣きそうになっていた少女に、イザックはハンカチを差しだしてくれたのだ。
そんな人間がいくらでもいることを、少女は王宮に務めに来てから知った。
改めてお礼を言いたいという小さな夢は、いつか叶うだろうか。否、本当は叶わなくてもいいと思ってもいる。
イザックにとっては些細なことだろうから、もう彼は覚えてもいないだろう。いざ話したとき、忘れられていたほうがよっぽど悲しい。それならば、こうして遠くから彼を眺める幸せを噛み締めていたいのだ。
こうして早朝から、すっかりエネルギーは充填できた。
今日も王宮では、長い一日が始まる。少女は気合いを入れるように、よし、と呟いて頬を叩いたのだった。
----------------------------
本日コミック1巻発売です、ぜひお迎えいただけたら幸いです!
また、2月20日にはノベル4巻も発売となりますので合わせてよろしくお願いいたします。
店舗特典など詳しくはこちら⇒https://kakuyomu.jp/users/yssi_quapia/news/16817330652496706023
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます