番外編3.秘められた図書館 (ノベル3巻発売記念)

 


 王立図書館の別館開設記念式典。

 それが開かれたのは、魔道具祭の準備が着々と進むある日の昼下がりだった。


 他国に比べ、アルヴェイン王国は魔道具開発部門で後れを取っている。

 そこで別館には、各国の魔道具研究者による蔵書を揃えて、貴族の子息や学生が通いやすいよう手配されることとなった。


 開会の挨拶を列席する関係者の列で聞くルイゼは、白衣を脱ぎ、落ち着いたドレス姿である。

 ルイゼが式典に参加しているのは、魔道具研究所からも数十冊の本の寄贈を行ったためだ。

 魔道具祭の準備は忙しないが、研究所の雑用部署として機能中の一律調整課より、ルイゼを派遣することに決めたのはエリオットである。上司からの命令なので、もちろん断れるはずもなかった。


(むしろ、自分から参加を志願したいところだったわ)


 式典といえども、ホールのオープン式典や華々しい進水式とはまったく異なり、図書館の式典とは正直なところ地味なものである。

 しかしルイゼにとっては、図書館は金銀より勝る宝物庫そのものだ。それも新たな図書館ができたとなれば、心躍らずにはいられない。


 関係者から簡単な挨拶が行われたあとは、ホールに移動しての会食となる。

 ぞろぞろと移動する人々に紛れることなく、ルイゼはその場にぽつんと残った。というのも挨拶まで参加するように言われているので、会食に顔を出す必要はないためである。


 そうして人気がなくなったのを確認すると、待ってましたと言わんばかりに真新しい別館に足を向ける。

 一般開放は明日からになるためか、受付も立っていない別館は静かなものだった。

 小さな埃がきらきらと舞う中、ルイゼはうっとりと頬を紅潮させて、本館横に造られた別館の本棚を見回った。収められた本には新書も多いからか、日焼け足り黄ばんだ本の多い本館よりも、漂う本の香りはどこか静かだった。


「素敵……」


 各国で開発された最新の魔道具一覧リスト、各系統ごとの魔道具解説書、魔法と組み合わせて使う魔道具の指南書……。

 少し見ただけでも、気になる本がいくつもある。ルイゼは背伸びをして本を取っては、うきうきと開き、のめり込みそうになったが――そこではっと指の動きを止める。


(長々と読書するわけにもいかないわよね。気になるものをチェックして、明日また借りに来ようかしら)


 実はこの行事にルイゼが派遣されたのは、少しは気分転換するように、というエリオットからの気遣いだったのだが――そこまでは気が回らないルイゼはしょんぼりとする。

 そのときだった。かさり、とページをめくる音が聞こえて、ルイゼは目を見開き振り返った。


(……どなたか、いらっしゃる?)


 自分以外にも、蔵書目当ての読書家が来ているのだろうか。

 足音は忍ばせるでもなく、毛足の短い絨毯に吸い込まれる。いくつも本棚の間を抜けて、別館の隅にやって来たルイゼは、そこで息を呑んだ。


 読書用に長机が置かれたスペース。

 そのソファ席に、ひとりの青年が頬杖をついて座っていたからだ。


(ルキウス様……)


 天窓から射し込む太陽の光が、その繊細な横顔を照らしだしている。

 灰簾石の瞳にかかる銀色の髪。長い指先は、組んだ足の上に置いた青緑色の装丁の本を柔らかにめくる。

 細身ではあるが引き締まった筋肉質な体躯には瑞々しい生命力が宿り、どんな人間も、彼に目を奪われずにはいられないだろう。


 ――なぜこんなにも、ルキウスは美しいのだろう。


 そぅっと本棚を掴み、その影に隠れるようにしながら、ルイゼはほぅっと溜め息を吐く。

 自分を面食いだと感じたことはないが、ことルキウスに関してだけは、ルイゼはいつまでも見慣れないし、何度でも魅了されてしまう。


 できることならば、いつまでもこうして本を読むルキウスを見守っていたい。

 そう思ったときである。


「……どうして隠れているんだ?」


 ――ぎくり、とルイゼの肩が強張る。


 しかしルキウスは本に目を落としているので、こちらには気がついていないはず。

 そう思って縮こまるルイゼに、追い討ちのように声が聞こえた。


「早く出てきてほしいな、俺の可愛い人」

「…………っ」


 どうやら、最初からお見通しだったらしい。

 観念するような気持ちで、ルイゼは本棚の間から出て行く。そうするとルキウスは本をテーブルの上に置き、にっこりと微笑んだ。


「待っていたよ、ルイゼ」

「え?」

「君が来ているとは思わなかったから、嬉しい誤算だったな」


 もちろん、王族代表としてルキウスが式典に参列し、挨拶している姿をルイゼは見ている。

 だが何十人もの参加者の中に頭が埋まっていたルイゼを、まさかルキウスが見つけているとは思っていなかった。しかもそのあと、ルイゼの来訪を待って別館に来ていただなんて。


「どうしたんだルイゼ。早く傍に来て」

「え、えっと……」


 ルイゼがぎこちないのは、無遠慮に彼の姿を眺めていた気まずさがあるからだ。

 もじもじとしつつ、ルイゼは大きく頭を下げた。やはり謝っておいたほうがいいと思ったのだ。


「すみません……ルキウス様に見惚れて、見つめてしまっていました」

「俺に?」


 意外な言葉を聞いた、という風に、ルキウスが目を丸くする。

 彼は思案するように、顎に指を当てた。


「……そうか。じゃあお仕置きしないとな」


 何やら不穏な言葉に、ルイゼはびっくりする。

 しかし許可も得ずにルキウスの顔をまじまじと眺めていたのは事実だ。仕置きがあるならば、甘んじて受けるべきだろう。


「は、はい。分かりました」


 緊張にこくりと息を呑むルイゼを、ルキウスが手招く。

 彼の指示通り、その傍までやって来たルイゼに対し、ルキウスがぽんぽんと自身の膝を叩く。


「ルイゼ、ここに乗って」


 そこでルイゼは硬直した。


(ここ、というのは)


 十中八九、ルキウスの膝の上――を指すのであろう。

 だが、一国の第一王子たる人を椅子にするなどと、不遜が過ぎるのではないだろうか。ルイゼは躊躇ったが、ルキウスは譲る気はないらしい。


「ルイゼ、早く」

「……わ、分かりました」


 ルイゼは覚悟を決めた。こうなったら、ルキウスの言うことに従う他ない。

 ぐっと奥歯を噛み締めつつ、ルイゼはルキウスを背にするように、そっと体重を彼へと預けて座り込む。心臓はどきどきと鳴っているし、額にはじんわりと汗をかいているが、そうしてなんとか指示通りにすると。


「……そうか。そっちを向いて座るか」

「え?」

「いや、これもいいな」


 ルキウスはひとりで何やら納得している。

 ルイゼの身体を包むように両腕を回すと、何事もなかったかのように本を開く。


「さて、一緒に読書しようか」

「は、はいっ」


 後ろから抱っこされているような姿勢では、もはや読書どころではなかったが――そう言える雰囲気ではない。

 ぺらり、と本がめくられる。だがまったく余裕のないルイゼは、ページに目を落とすこともできず、必死に息を殺していた。


(ルキウス様の身体、熱い……)


 密着しているから、より深くそう感じるのだろう。平気な顔をしているけれど、ルイゼを受け止めるルキウスの全身は熱を帯びていた。

 だが、それはルイゼも例外ではない。顔は火照って熱いし、心臓はばくばくと騒ぎ立てている。


 無論その速すぎる鼓動は、ルイゼを両腕に閉じ込めた人には聞こえてしまっているのだろう。


「……ルイゼ、集中して」

「ひゃっ」


 びくっ、とルイゼの肩が大きく跳ねる。

 というのもルキウスが息を吹き込むようにして、耳元に囁いてきたからだ。


「ル、ルキウス様っ……」

「君にしては珍しく、集中を欠いているな。ほら、ちゃんと本を持って」


 腰をねじって振り返り、抗議をしたつもりだったのに、ルキウスはにやにやと楽しげに笑うと、ルイゼの手に有無を言わさず本を持たせてしまう。

 そう厚い本ではないのに、両手が震えているせいか、うまくページを開いていられない。それでも一生懸命にページを繰ろうとするルイゼの耳を、再び熱い吐息が掠めた。


「……ほら、読み上げて」

「ゃっ……」


 ルキウスに押さえられた腰が、ひくっと跳ねてしまう。

 ルイゼの反応ひとつひとつを、ルキウスの腕が、声が探る。脇腹をくすぐり、髪をかき分けて、首筋に唇を埋めて、ちゅっと湿った音を鳴らされる。


「これはお仕置きだよ、ルイゼ。ほら、読んでみてくれ」

「……っっ……」


 息を荒らげながら、ルイゼは涙ににじむ瞳を白いページに向ける。

 読まなければ、いつまでも緩い愛撫が続けられてしまう。そう悟って、震える喉を動かす。ルキウスが指し示す文面を、必死に読み上げようとする。


「ほ、炎の魔石を使った魔道具は、エ・ラグナ公国の技術、開発局で主に――んぅっ」


 唇が耳朶を食んだ瞬間、ルイゼはもう、何も考えられなくなった。


 それ以上、とてもじゃないが本を持ってはいられなかったルイゼの手から、一冊の本がこぼれる。

 床に落ちる前にしっかりと本を拾い上げ、テーブルに置くなり、ルキウスはルイゼの顎を引き寄せて性急に唇を奪った。


「ん……っふぁ」

「……ルイゼ……」


 ルキウスの瞳には蕩けるような愛情がにじみ、腕の中の少女を愛おしげに見つめている。

 キスに翻弄されるルイゼの様子を心ゆくまで堪能したルキウスは、ようやくルイゼを解放した。

 ほとんど酸素不足になったルイゼは、荒い息を吐きながら、ルキウスの胸板をぽすりとひとつ叩く。


「ひどいです、ルキウス様」


 涙に潤む目で抗議されれば、うっとルキウスも言葉に詰まる。

 仕置きとはなんだろうと思っていたところに、こんなに破廉恥な真似をされるとは想像だにしていなかったルイゼである。

 しかも近辺には人気がないといえども、硝子張りの窓からは庭園が見えている。恋人同士の触れ合いを見たのは鳥か栗鼠くらいかもしれないが、それでも開放感のある図書館では、ルイゼの緊張感は並大抵のものではなかったのだ。


 ――という言い分は、声にせずとも伝わっていたのだろう。


 ルキウスはすっかり悲しげに眉尻を下げると、見上げるようにしてルイゼに向かって小首を傾げてみせた。


「……こんなことをする俺は、いやか?」


 次に言葉を失ったのはルイゼのほうだった。

 まるで飼い主に見捨てられた犬のような、愛らしい瞳と表情。それでも高貴さと気品が揺らがないのが不思議だが、今のルキウスを突き放すことなど、彼を手ずから作り上げただろう天の神にも困難だろう。


「ずるいです」


 ……結局、ルイゼには許すしか選択肢がなかった。

 ルキウスは淡く微笑むと、わずかに膨れたルイゼの頬を撫でる。


「君が見入ってくれるなら、この顔にも価値があるな」


 そうされる間に頬はしぼみ、代わりにルイゼの口元には緩やかな笑みが浮かび、二人は見つめ合って笑う。


(……本当に、ルキウス様はずるいわ)


 笑みをこぼした彼の、そんな無防備な顔を見られるのが自分だけだと思うと――どうしたって、ルイゼの機嫌も直ってしまうのだから。









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本日書籍3巻発売です。ありがとうございますー!

大量の加筆修正で読み応えある1冊に仕上がっているかと思います。ぜひぜひお手に取っていただけたら幸いです。

(1部書店様では特典として、数量限定の描き下ろしイラストしおりがついてまいります)

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