第147話.消された呪い

 


「ルキウス、殿下……もう戻っていたのですか」

「ああ。お前の企みを潰しにな」


 取り繕ったように笑みを浮かべるセオドリクだったが、服の下の心臓は尋常でないほど騒ぎ立てていた。

 木の葉が裏返るようにして、突如として目の前に現れたルキウス。その仕組みがまったく見抜けないのだ。


(どこから、現れた?)


 月光によって青白く浮かび上がるルキウスを、余すところなく観察する。

 だが、分からない。何かの魔道具を使ったのか。しかしそれらしい装身具もつけていないようだ。


(いや……取り乱すな)


 ふぅ、とセオドリクは密かに息を吐く。

 今さら関係のないことだと気がついたからだ。ルキウスが何をしても、動揺することはない。


 なぜならば――、


「私の企みを、潰す?」


 セオドリクはにやりと笑ってみせる。


「残念ながらそれは不可能です。なぜなら――


 そう。既にセオドリクは、目的のほとんどを達成しているのだから。

 ルキウスがこの場に居るということは、周囲は包囲されているのだろう。だが今さら自分が殺されたところで、何も変わらない。


 セオドリクは不遜に告げるが、ルキウスの表情は揺らがない。


「お前の企みというのは?」

「決まっているでしょう。暗黒魔法を使ってレコット家を破滅させることです。ひとつ残念なことは、神官長に手出しできなかったことくらいですが」


 ティアとセオドリクを引き離した元凶とも呼べる男だ。

 中央教会は、万人に開かれるとされる治療のための場所である。忍び込む機会はいくらでもあったが、神官長に手出しすれば、ルキウスに多くのヒントを与えることになる。それは避けたいから、後回しにしていた。


「ハリーソンに伝えた死の刻限は、あなたがたを焦らせるための偽りですが……一度発動した呪いは消えませんよ。リーナもガーゴインも、それにカーシィ卿も、遠くないうちに死ぬ。そして私もいずれ死ぬでしょう」

「ほう。誰が死ぬと?」

「だから――」


 滑らかに動かしていた唇を、ぴたりとセオドリクは止めた。


(……今の声は?)


 ルキウスでも、ガーゴインのものでもない。

 嗄れた男のそれを、つい数十分前に聞いた記憶がある。だが、それでも、信じられない。


 沈黙するセオドリクを嘲笑うかのように、部屋のドアが開け放たれる。

 そこに立っている長身の男を前にして、セオドリクは愕然と目を見開いた。


「ロレンツ・カーシィ?」


(そんな――馬鹿な)


 あり得ない、とセオドリクは首を振る。


 ロレンツは今も、セオドリクの暗黒魔法に操られているはずだ。

 見張りの人間を客館から全員追い出し、ガーゴインとリーナを無防備な状態にしたのはロレンツだ。

 その後は鍵束を素直に差し出して、辺境伯家の屋敷の方角へと去って行った。彼自身の意志に沿わない、王家への明確な裏切り行為を働いたのだ。


 そんなロレンツが、この場に現れるはずがないのに。

 それなのに、目の前に屹然と立つロレンツの目には、一切の迷いがない。先ほどは確かに澱んでいたはずの瞳に、彼自身の強い意志が窺えるのだ。


 恐る恐る、セオドリクは胸元に手を入れた。

 ルキウスたちは止めない。止める必要もないと言いたげに、こちらを眺めている。


 取り出したのは、首に提げている魔道具だ。

 だが、その様子がおかしい。


(……どういうことだ)


 魔法が発動しているとき、必ず中央の煇石が澱んだ光を発する。

 それが今は停止している。ただの石のように黒ずんでいるだけだ。


 それでも苦し紛れに、セオドリクは口にする。


「私を動揺させるための、別人、ですね。……これも何かの魔道具でしょうか?」


 ふっ、とルキウスが笑う。

 セオドリクの全身が噴き出した汗に濡れる。胸中の焦りを、灰簾石の瞳に全て見抜かれているような気がしてくる。


「魔道具の種類は多彩なれど、未だそんな魔道具は生まれてないな」

「変装の魔道具があれば、確かにおもしろそうですが」


 澄んだ美しい声が、セオドリクの耳を打った。

 はっと顔を強張らせ、ロレンツのほうを向く。


 その後ろから進み出てきたのは、そっくりな顔立ちの少女を連れた――、


(ティア?)


 否、違う。

 ティアは死んだ。それこそ、この場に居るわけがない。


「ルイゼ、それにリーナ……か」

「おじさま……」


 リーナが複雑そうに、セオドリクのことを見ている。

 そんな彼女を気遣うように、ルイゼがその肩に手を置いている。


「セオドリク。あなたの願いは叶いません」

「……なんだと?」

「カーシィ卿だけではありません。リーナやお父様に現れていた暗黒魔法の後遺症は、すでに完治しています」


 セオドリクは笑い飛ばそうとした。

 だが、ぎこちなく口端が引きつっただけだった。ルイゼの言葉を否定できない。


(まさか)


 ルイゼの優秀さは、セオドリクもよく知っている。

 魔法学院ではリーナの替え玉として、当時のルキウスに比肩するほどの成績を取っていた。

 イスクァイ帝国の魔法大学からも推薦状を得ていた、本物の才女だ。密かに情報を得て、魔道具研究所でもその能力を遺憾なく発揮していたという。


 つまり、導き出される答えは。



「まさか、君が――治療用魔道具を完成させたというのか?」



 そんなセオドリクの問いに。

 ルイゼは、涼やかな声で答えた。







 一瞬、セオドリクは拍子抜けする。

 だがルイゼの言葉は、そこで終わりではなかった。



「私が造ったのではありませんが。……治療用魔道具は、とっくに完成していたんです」



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