第143話.闇に沈んだ過去2

 


「お父様の目にも、魔素がよく見えるの」


 挨拶に行く直前、ティアはそう言っていた。


「人の身体の中には、必ず魔素が流れているでしょう?」

「……魔素は、私のような魔力なしの身体にも本当に流れているのか?」

「ええ、もちろん。セオドリクの身体に流れる魔素も、私には見えてるわよ」


 ティアが悪戯っぽく笑う。


 大気中には、全ての生命力の源と呼ばれる魔素が漂っている。

 そして魔素は、木や植物、石などの物質や人間の身体などにも宿るとされている。

 取り込まれた魔素は循環し、人間の場合は練り上げられて徐々に魔力へと変化していく。


 魔素を取り込み、長い時間をかけて水・炎・風・土・光・闇――六系統魔法のどれかの系統に濃く染まったものを魔石と呼び、それが魔道具の動力として使われている。


「ティアが魔石なら、私は煇石ということか」

「そんな風に自分を卑下しないで」


 困ったような笑み。

 セオドリクの胸に罪悪感が芽生えたが、訂正する気は起きなかった。


 魔素を魔力まで昇華できず――魔素を溜め込むだけのクズ魔石のことを、煇石と呼ぶ。


 だがティアが言いたかったのは、彼女の父親には嘘が通じないということだろう。

 体内の魔素の流れを見られてしまえば、セオドリクに魔法が使えないのは一目瞭然だろうから。


(アイウス神官長相手に、嘘は吐けない)


 セオドリクは正直に、自分が魔法を使えないと彼に言わなければならない。

 それは同時に、不正によって魔法学院に入学したことも知られるということだ。


 教会の権力者に公爵家の弱みを自ら露呈するなど、一族の人間が知れば絶対に許されない行為だ。

 だから、セオドリクはティアに嘘を吐いた。家門の人間の同意は得ているから平気だと説得した。


 しかしティアの父――アイウス神官長からの返事は、残酷なものだった。


「この子は、強い魔力を有する男に嫁がせる。お前では役不足だ」


 その代わり、秘密をばらまいたりはしないと神官長は約束した。

 だがそんな約束にはなんの意味もない。セオドリクはただ、ティアと一緒になりたかっただけだ。


 帰り道、どこかぼんやりとしているティアの手を、セオドリクは握った。


「駆け落ちしよう」


 ティアは頷いてくれるだろうと思った。

 この一年間で気持ちは通じ合っていた。セオドリクがティアを愛するように、同じだけの愛情と安らぎを、彼女は与えてくれていた。


 ティアとの生活を想像する。

 公爵家の跡取りとしての恵まれた立場を失っても、失った以上のものが待ち受けているだろうと信じることができた。


 だが、ティアは首を横に振った。


「……できないわ」


 セオドリクは愕然として、細い肩を揺さぶった。

 痛かったのだろう、ティアは顔を顰めた。それでも、気持ちが昂ぶって力を緩められない。


「父親の言いつけに従って、私以外の男と結婚するっていうのか」

「あなたが好きよ。本当に好き。だけど、家族に祝福されない結婚はできない」


 結婚とは、両親が決めるものだ。

 自分の意志は関係ないのだとティアは言い募る。まったく貴族令嬢らしい態度だった。吐き気がした。


 セオドリクはティアをこんなにも想っている。

 それなのにティアにとっては、簡単に諦められる程度のことだったのだ。

 愛おしさを押しつぶすような勢いで、胸にどす黒い感情が広がっていく。


「永遠に憎んでやるからな」


 震えるティアを置き去りにして、セオドリクはその場を去った。





 学院を卒業したばかりのセオドリクは、目に見えて憔悴していった。

 話しかけられれば答えはするし、反応をする。だが、それだけだ。

 まるで人形のようだった。自分でもそう思ったのだから、家族の目にはよっぽど奇妙に見えていたのだろう。


 ある日、父の書斎に呼び出された。


 見せられたのは、古代遺跡から出土されたばかりだという魔道具だ。

 首飾りの形をしたそれは、他ではまだ確認されていない未知の魔道具だという。奇跡的に同じものが二つ見つかったのだと語る父は、どこか自慢げだった。

 もちろん、古代遺跡で発掘された魔道具を個人が許可なく持ち帰ることは禁じられているが、遺跡の調査員にも家門の人間を紛れ込ませている。たまにこうして密かに得た魔道具を、父がコレクションにしているのは知っていた。


 だが、使い方すら分からない道具など、なんの役に立つというのか。


「これをお前にやる」


 ありがとうございます、というようなことをセオドリクは返した。


「それとお前の結婚相手を見繕っておいた。釣書を見て、好きな相手を選べ」


 分かりました、というようなことをセオドリクは返した。


 間もなく、いちばん上に置いてあった釣書の女とセオドリクは結婚した。

 その数年後に子どもが生まれた。周囲は父親によく似た子だと口を揃えていたが、セオドリクにはよく分からなかった。愛していない女との間に生まれた子に、関心が芽生えることはなかった。


 それよりもおもしろいのが、女は魔力に優れた家系の生まれにも関わらず、生まれてきた子どもにも魔力がなかったということだ。

 ここまで来るとむしろ笑えてくる。自分の血は、どこか、呪われているのではないか。

 だからティアも、セオドリクの手を、取らなかったのではないか。そんな馬鹿なことを、毎日のように考えていた。


 灰色の日々の中、セオドリクの妻になった女は何度も話しかけてきた。

 最初は控えめな態度だったが、月日が経つごとにその声は変貌していった。


 ――あなたは一度も愛を囁いてくれない。

 ――贈り物のひとつもしてくれない。

 ――子どもができれば愛してくれると思ったのに。


 ヒステリックな叫び声を聞くたびに、セオドリクは苛立ちを感じた。

 どうしてこんな女と結婚したのだろう。せめて従順で無口な女を選んでおけば良かった。

 その悲鳴のような声に、神経を逆なでされる。背筋を這い上がる不快感を覚えながら、セオドリクは鍵つきの棚に仕舞っていた魔道具を取り出していた。それが装身具の形をしていると思い出したからだ。


(これでも渡しておけば、少しは静かになるだろう)


 首飾りを手にしたセオドリクは、涙目で睨みつけてくる女に言い放った。


「これをやるから、今後は私に寄りつくな。目障りだ」


 また、何か叫ぶだろうと危惧していた。

 だが、セオドリクがそう口にしたとたん――歪んでいた女の顔が奇妙に、平坦なものに変わっていく。


 あまりに不気味な変化から、セオドリクは目を離せずに注視していた。

 奇しくもその日が、初めて女の顔を数秒間も眺めた日となった。


「……はい、承知しました」


 頷いた女は首飾りを受け取ることもなく、大人しく部屋を辞した。


 それから、女はセオドリクに寄りつかなくなった。

 社交的な付き合いには励んでいたが、セオドリクには近づかないようになったのだ。


 今さら貞淑な妻の振りを覚えたのか。あるいは不倫相手でも作ったのか。最初はそんな風に思っていた。

 だがそんな日々が数日どころか、数週間、数か月と続くうちに、何かがおかしいと気がついた。

 きっかけとして思いつくものは、たったひとつしかない。


「……魔道具のせいなのか?」


 他者の意志にそぐわない命令でも、長期的に聞かせることができる。

 だとしたら、魔道具が持つ力は強大だ。これがあれば、たいていの願いは叶うだろう。


 だが実証しようにも、魔道具は手元に二つしかない。

 そして強力な効果からして、何度も使える魔道具とは考えにくかった。

 昨年末に死んだ父の遺産も漁ってみたが、やはり同じものは持っていないようだ。


 そんな折のことだった。

 セオドリクの耳に、ティアの出産の報が届いたのは。



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