第141話.最後の舞台

 


 男は、見慣れない景色の中を歩いている。


 森林を切り開いて作られた、エラの町。

 夜闇に包まれた町を照らすのは、月と星の明かりくらいだ。田舎らしく、配置された【光の洋燈】の数もみすぼらしい。

 こちらは整備された石畳の上を、男は確かめるようにゆっくりと歩いていく。


 急ぐことも、焦ることもない。

 すでに仕掛けを打った以上、到着はいつになっても問題ないのだから。





 ――名前を捨て、立場を捨てて。

 その日、男は住み慣れた王都から逃亡した。


 持ち出した硬貨は十分で、生活には困らない。

 顔さえ誰にも見られなければ、なんの問題もない。

 フードを目深に被った中年男が怪しまれないよう、荒くれ者の多い都市に潜んでいた。


 木の葉を隠すなら森の中。

 そもそも、自分を捜している人間は居ないのだから、そこまで警戒する必要もないかもしれないが……万が一、この顔を知っている人間と出会しては困る。


 そうして機会を窺いながら、必要な情報を入手する必要があったが、実際はわざわざ情報収集する必要はなかった。


 ――ルキウス・アルヴェイン。

 稀代の天才と呼ばれ、人々から賞賛を送られるルキウス。

 そんな彼に大きな欠点があるとするなら、国内に盤石な体制を敷けていない、という点が挙げられるだろう。


 理由は明白だ。

 ルキウスはこの十年間、魔道具の研究のため他国に留学していた。

 彼を王太子に、そしてゆくゆくは国王にと推す声は日に日に高まるばかりだが、ルキウス自身は数多の貴族たちと深い関係を築けていない。


 いくら彼を信頼している、すべてを捧げると口を揃えて言う輩が居たとして、ルキウスのほうも彼らを信頼していない。

 用心深い男であるから、国を揺るがす一大事が起こったとき、頼るべき相手というのは限られてしまう。


 十年以上の月日をかけて調査を終えていたから、なんら不安はなかった。


(ルキウスが国内で頼る相手は、簡単に絞れる)


 筆頭秘書官であるイザック・タミニールの実家か。

 あるいは広大なヤズス地方を治めるロレンツ・カーシィか。

 それとも大穴として、王妃の実家か――と、三つまでに絞り込んでいたが、見事に推測は的中した。


 暗黒魔法という未知の脅威に襲われたルキウスが真っ先に頼った味方は、ロレンツだった。


 カーシィ辺境伯家は、王家の忠臣として代々名高い家系だ。

 特に現当主であるロレンツはルキウスの剣の師でもあり、個人的にも親しくしている間柄。


 そんな辺境伯が、大きな客館の前にたったひとりで立っている。

 髭を蓄えたロレンツは、どこかぼんやりとした佇まいだったが、フードを被った男の姿が目に入るなり表情を改めた。


 男は歪んだ笑みを浮かべながら、ロレンツに近づいていく。

 念のため、周囲にも視線を走らせたが、伏兵を配置している様子はない。


「うまくいったか?」


 訊かずとも、返答は予想がつく。

 思った通りロレンツは満悦そうに頷いた。


「ご命令通りに。見張りの人間は全員、客館から追い出しました。今夜は何があろうと、絶対に近づかないよう言いつけております」


 おかしくなって笑いが込み上げてくる。

 忠臣だと誰もに称えられる立派な人物でさえ、暗黒魔法には逆らえないのだ。


「中に残っているのは?」

「ガーゴイン・レコット、リーナ・レコットの二名のみです」


 それも男が命じた通りだ。

 その名前を聞くと、ぞくぞくと背中に込み上げてくるものを感じる。


 ここまで来るのに十年かかった。

 恨みを募らせていた日々も数えれば、十年では足りない。


 長い、長い復讐の旅の果てに――見上げる客館は、相応しい舞台のように思えた。


 ロレンツが取り出した鍵束を、男は受け取る。


「よくやってくれた。あとで褒美をやる」

「ありがたき幸せでございます」


 深々と辞儀をするロレンツは、これ以上なく幸せそうだ。


(こいつもまた、死ぬ)


 何も知らずに、近いうちに血を噴いて死んでいくのだろう。

 哀れに思うが致し方ないことだ。ロレンツにはなんの落ち度もないが、ルキウスに協力した時点で彼の命運は尽きていた。


 男は哀れみを装った嘲笑を浮かべながら、客館の正面玄関を開ける。

 きっちりと鎖を巻きつけて施錠を終えると、裏口や別の出入り口も確認していく。

 ロレンツの報告通り、外に通じるすべての扉は固く閉ざされており、各階や各部屋の窓も外側から開く特殊な仕組みとなっている。


 どこにも逃げ場所があってはならない。

 この館を二人分の血で染めるのは、決定事項なのだ。


(できれば最初に、あと二人を殺しておきたかったが……)


 残念ながら、その機会に恵まれなかった。


 居場所が分かりきっている老人は、何かを吹き込まれたのか公の場にまったく姿を出さなくなった。

 もうひとりの少女については完全に情報が途切れており、王都に居るのかどうかも判断がつかなかった。


(まぁいい。ルキウスはエ・ラグナ公国に向かったのだから)


 急に公国に向かったのは、男の垂らした釣り針に引っ掛かったからだろう。

 天下のルキウスさえも男の策略に、まんまと嵌められた。未だにその自覚もなく、公国で調べ物でもしているのかもしれない。


 暗黒魔法を使えば不可能はない。

 どんな大国でも乗っ取れるし、どんな場所だろうと人々から見上げられる立場へと上り詰めることができる。


 ――そう。

 暗黒魔法が優れていればいるほど、ルキウスは誤解の罠に落ちていく。

 こんな危険物をいったい、どんな計略に用いるつもりなのかと、必死に考えずにいられなくなるのだ。


(十年間で造り続けた魔道具の九割以上が、まさか海の底へ沈んでいるとは思わないだろう)


 男は、富にも名声にも興味はない。

 懐に入る程度の魔道具が手元にあれば、目的は達成できる。

 そこをはき違えている以上、ルキウスの勝利はあり得ない。


 そしてルキウスが不在の今こそ、すべてを成し遂げるまたとない機会だ。

 だからこそ男は動き出した。もう、誰にも阻止されることはない。


 暗い笑みを浮かべながら、階段を上っていく。

 事前に聞いていた通りの部屋の前には、見張りの姿はない。

 鍵を開けると、男は自分の部屋に入るような気軽さで室内に踏み出した。


 膨らんだベッド。

 そこに横たわっている男に、微笑みかける。


「やぁ。壮健だったか、ガーゴイン・レコット」


 この手のうちから、すべてを奪った敵。

 死に損ないに向けて、労るような声をかけてやると。


 やがて、掠れた返答があった。




「生きていたのだな――、セオドリク・フォル」



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