第124話.笑う男
最初に目に入ったのは、見慣れぬ豪奢な飾りの下がる天井だった。
起き抜けの瞳には眩しいと思うと、なんと天井自体が鏡張りになっている。
黄金のフレームに縁取られた鏡。磨き上がられた鏡面から見返してくるルイゼは、やはり見覚えのない白いゆったりとしたロングドレスを着てベッドに寝ていた。
(意識を失う前は、確か町中で……)
絡まれていたところを、見知らぬ金色の目をした男が助けてくれたのだ。
あのときは頭がクラクラとして、とても気分が悪かった。しかし部屋の中は、外と比べていくぶんか涼しい。
――それにしても、ここはどこなのだろうか?
「お目覚めですか」
横合いから声をかけられた。
驚いて目を向けると、恰幅の良い女性の姿があった。
ゆっくりと身体を起こされる。杯に入れた飲み物を、ベッドの横からそっと手渡された。
「水で薄めた果実水です。アルヴェイン王国の方のお口に合えば良いのですが」
何か入れられているかもと思うが、その考えは即座に捨てる。
しかも身ひとつで海を渡ってきたルイゼが、伯爵家の人間とは思わないはず。
(私を害するつもりなら、とっくにそうしているわよね)
意識を失っている間にどうとでもできたはずだ。
遠慮なくルイゼは杯を口元に傾けた。
渇いた喉を、冷たい果実水が潤していく。
鼻を抜ける香りは柑橘系に似ている。舌を流れていく水にはとろみがあり、甘い。
気がつけば杯の中身をすべて飲み干してしまっていた。
「とても美味しいです。なんの果実ですか?」
「ライマという実を中心に使っています。この国で品種改良した黄色い果物です。丸い実の中にたっぷりと液状の胚乳が溜まっております。日持ちはしないのですが、我が国では広く親しまれている果物です」
ルイゼは興味を示したからか、嬉しげに教えてくれる。
「お食事はいかがされますか」
「いえ、大丈夫です。あの、ここは……?」
訊くと、女は誇らしげに胸を張って答えた。
「我が国、エ・ラグナ公国の誇る宮殿――ムシュア宮にございますわ」
◇◇◇
数人の侍女に湯浴みと着替えをさせられたルイゼは、鏡の前に立たされていた。
強い赤色とピンク色を基調とした衣装。
胸元には澄んだターコイズのネックレス。施された装飾にも贅沢に金糸を使っている。
靴はヒールがなく、ぺたんとしている。とにかく独特な格好だが、ただただルイゼが思うのは。
(お、落ち着かない……!)
肩と背中の一部の布が妙に薄い。というかちょっと透けているのだ。
アルヴェイン王国の貴族令嬢であるルイゼは、嫁入り前の女性はなるべく肌を隠すものだと教育されている。リボンやフリル、レースを用いて露出を控えるのが常だ。
しかし公国では、女性は婚姻前だろうとなるべく肌を晒して、良き結婚相手を自ら選び取るべしとされている。
本で読んでそういった独自の文化を知ってはいたし、興味深いとも思っていた。が、自分がいざその中に飛び込んでしまうと、羞恥のあまり真っ赤になってしまうルイゼである。
「よくお似合いですわ」
恰幅の良い女が満足そうに頷いている。彼女は侍女長だという。
「あの、最初に着てきた服は……」とルイゼは何度か訴えたのだが、その訴えは彼女によって却下されてしまった。
ちなみに、侍女長が最初に持ってきた服はもっと肌が出ていた。必死にお願いして、どうにかまだましなものに変更してもらったのだ。
彼女に連れられ、ルイゼは縮こまりつつ長い回廊を進んでいく。
誰に会いに行くのかは聞いていない。というのも、それを確認するだけの余裕をルイゼは失っていた。
(うぅ……! こんな格好、ルキウス様に見られてしまったら……!)
羞恥に頬を火照らせ俯きがちに歩くルイゼは、そんな自身の姿がすれ違う官吏の目を存分に引きつけていることには、まったく気がついていなかった。
回廊の先には大きな扉があり、その両脇には槍を持つ兵が控えていた。
侍女長が合図すると内開きの扉が開かれる。
「どうぞ、ご入室ください」
「は、はい」
そのときになって、そこで待つ人物は誰なのかとようやく疑問に思ったルイゼだったが、振り返ったときには無情にも扉は閉められていた。
焦っていると、何やら部屋の奥から話し声が聞こえてくる。
「っですから、正体を隠して街をうろつくのはやめろとあれほど!」
「はぁ? 別に顔も名前も隠してないだろ。むしろバンバン出してる」
「そういう問題ではありません! ご自身の立場と地位を理解しろと! 僕は言っているのです!」
というよりこれは、言い争う声だろうか。
今さらながら入って大丈夫だったのかと不安に思うが、案内されてきたのだから致し方ない。
何本もの柱に支えられた室内をゆっくりと進んでいたルイゼは、そこで固まった。
謁見の間――その玉座に座る人物に見覚えがあったからだ。金色の瞳をした野性的な風貌の男性。
「おお、アンタか。体調は……」
ルイゼが何か言う前に、目を見開いた彼はぴょんっと椅子から飛び降りる。
「ちょっと!?」とその前に立つ小柄な影が叱りつけるのも気にせず、その人物はルイゼの元まで駆けてくると。
「いい。いいぞ! すごく。美しいな!」
瞳を輝かせて出てきたのは、率直な褒め言葉だ。
普段ならば落ち着いて微笑みを返せるのだが、なんといっても今のルイゼは防御力が弱すぎる。肌の出ている肩や胸元をまじまじと見られるたび、もはやしゃがみ込んで顔を覆ってしまいたくなる。
(でも、怯んじゃ駄目だわ!)
ルイゼはそう自分に言い聞かせる。
アルヴェイン王国の人間だというのはとっくに気づかれている。つまり、国の人間として恥ずかしくない振る舞いを心掛けねばならないのだ。
どうにか呼吸を落ち着けたルイゼは、はにかんでお辞儀をする。
「ありがとうございます」
彼が「お?」という顔をする。ルイゼの反応が意外だったのだろう。
一難去ったと思いかけたルイゼだったが、そうではなかった。
彼はルイゼの肩から下がる薄い布を、これ見よがしに手に取ると――そこに口づけてみせたのだ。
「だが、露出が足りない。この手で布を取り去ってやりたいくらいだな?」
「…………っ!」
それでもルイゼは微笑みを崩さなかった。
が、顔色まではさすがに誤魔化しきれなかった。
「ハハ、照れているのか? 初心なところも愛らしい。さて、一枚ずつ脱がしてしまおうかな」
「やめんかセクハラ男!」
そんな男めがけて片方の靴が飛んできた。
彼は軽く首を傾けて躱してしまったが、ルイゼが助かったのは事実である。
思わず感謝の目で見てしまうと、目が合った小柄な男が真っ青な顔をしている。その場に片足で立っている。
「侍従長のナイアグと申します。ウチの陛下が本当に、不埒な行いをしまして申し訳ございません!」
「い、いえ。そんな……」
お国柄といえばそうなのだ。
公国の男性は情熱的で、女性を見れば求愛せずにいられない。アルヴェイン王国ではそんな風に言われている。海を隔てた国同士の文化はまったく相容れないもの。
「いつでも盛っている凶犬のような男なのですこの人は! なまじ顔と体格と地位だけは立派なものですから、毒牙にかかる女性が続出しておりまして……!」
「ナイアグ、お前、自国の大公をどこまで陥れるつもりだ?」
へらへらと笑っていた男が、ルイゼに名乗る。
「改めて……オレの名はフィアンマ・エ・ラグナだ」
貫禄に満ちた表情と声。人の上に立つもののそれに、自然とルイゼの背筋が伸びる。
――国の名を冠する人間は、その国の王族に限られる。
しかしルイゼが衝撃を受けたのは、目の前の彼が王族だから……ではない。
なぜならその名前をつい数日前、ルイゼはルキウスの口から聞いていたのだ。
(カリラン様の、婚約者……!)
エ・ラグナ公国の大公――フィアンマ。
シャロンを婚約者に望んでいるという人物の名だ。
驚くルイゼの目の前で。
彼は笑みと共に、ルイゼのことをこう呼んだ。
「遠路はるばるよく来たな、
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