番外編2.秘密の女子会の秘密2

 


 首の角度を逸らすようにして、思わず上向ける。


 風に揺れる銀色の髪。

 高い鼻梁に、薄い唇。

 細められた灰簾石タンザナイトの瞳の中には、驚いた顔のルイゼが逆さまに映っている。


 目が合ったとたん――気の抜けた格好をしていたのが恥ずかしくなり、ルイゼは慌てて姿勢を正した。


「ル、ルキウス様」

「うん。ルイゼ」


 柔らかく笑うルキウスの背後には、秘書官のイザックの姿もある。


「よう、ルイゼ嬢」

「タミニール様も」


(どうしてお二人がここに?)


 女子会に参加できるのは、女子だけのはずだが……。

 と不思議に思っていると、イネスが溜め息を吐いた。


「まったく。人聞き悪いんだから、ルキウス殿下ったら」


 テーブルに頬杖をついたイネスが唇を尖らせている。


「どうしてここが分かったんです?」

「寮に行ったら、ルイゼの侍女にここだと言われた」


 ルイゼはその言葉に目を見張る。

 ルキウスは忙しい中、わざわざ寮まで足を運んでくれたのだ。

 彼に手間ばかりかけたのが申し訳なくなり、立ち上がって頭を下げる。


「ルキウス様、ご足労をおかけしてすみません」

「謝ることはない。俺が君に会いたかっただけだから」


 しかしルキウスがきっぱりと言う。

 それだけで、ルイゼの頬にはほわりと熱が宿る。

 いつもルキウスは真剣で、嘘のない言葉をくれる。だからといって、照れずに済むわけではない。


 二の句が継げなくなってしまったルイゼの両手を、ルキウスが取る。


 ――と、そこで揶揄するような声が割り込んだ。


「ユニ先輩、アマリ課長、今の聞いた!?」

「聞いた聞いた。ウチの男性陣には真似できない代物だな」

「すごいねー。呼吸するかのような甘い口説き文句だったね」


 品評されているような言葉の数々に、ルキウスは若干渋い顔つきになっている。

 とても落ち着いて話せる状況ではない。すると、その後ろからにゅっとイザックが顔を出した。


「イネスの姐さん、そこらへんでオレに免じて許してやってくださいよ」


 陽気に笑いながら、イザックがテーブルの下に置いたのは武骨な酒樽だった。

 イネスとユニの目の色が変わる。アマリは気にせずスコーンをもぐもぐしている。


「わお……深くていい香り。なかなか上等なワインじゃない」

「もちろんウチらに付き合うってことだよな、小僧」

「元よりそのつもりですって」


 胸を叩いたイザックが、それからこっそりとルキウスとルイゼを振り返った。

 潜めた声で言う。


「オレが女性陣の猛攻をどーにか凌いでやる……ルカ、ルイゼ嬢、お前らは今のうちに!」

「分かった。頼む」

「ありがとうございます、タミニール様っ」

「びっくりするくらい躊躇がないカップルだな!」


 まぁいいかと頬をかいたイザックが、空いたルイゼの席に座っている。


 そんな中、ルイゼはルキウスに連れられて、屋外スペースの隅にある四阿へと座った。

 今は女子会の最中なのだ。この場から離れるわけにはいかない。


 四阿の入り口には小さな花のアーチがついていて、右と左に分かれて座面があり、それぞれ二人ほど座れるようになっている。

 その隣り合った席に、ルキウスとルイゼは座った。試しに視線を投げると、黄色や赤色の花々に隠れて、イネスたちの座るテラス席はほとんど見えない。向こうからも植物に遮られて、こちらの様子は窺えないだろう。話し声もあまりよく聞こえない。


「ルイゼ」


 ルキウスに呼ばれて、ルイゼは振り返った。

 そこで小さく咳払いをする。ひとつ、訂正しておきたいことがあったのだ。


「ルキウス様。あの、ルキウス様だけじゃありません、から」

「?」

「……私だって、ルキウス様に会いたかったです」


 それをずっと言いたかったのだ。


 ちゃんと言えたことに安堵して、ルキウスの肩に顔を寄せる。

 その香りをいっぱい吸い込む。香水をつけていないというルキウスだが、彼からはいつも爽やかな香りがする。ルイゼはこの香りがとても好きだ。


 しばらくして、ルキウスの手がルイゼの肩を抱き寄せた。

 ルイゼの鳶色の髪の毛を、指を埋めるようにして撫でてくれる。その優しい抱擁に、安心して身を任せる。


 四阿の中に風が吹き込んできて、二人の髪と服の裾を揺らす。

 夏も真っ盛りだが、植物のカーテンによって日射しの遮られた四阿は涼しい。

 でも、もっと涼しくなってもいいのだとルイゼは思う。それならお互いに寒くて、もっとくっつきたくなるかもしれないからだ。


「ときどき、ルイゼが怖い」


 やがて、ぽつりとルキウスが呟いた。

 その言葉に、ルイゼは閉じていた目を少しだけ開く。


「私が怖い、ですか?」

「可愛すぎて怖いんだ。こんなに俺を喜ばせて、どうするつもりなんだろうって」

「それは――ルキウス様、私の台詞かと」


 意外そうにルキウスが目を丸くする。

 そんな彼を、じぃっと上目遣いで見つめる。未だにこの距離で見るには、まぶしすぎる美貌の人を。


「ルキウス様はいつも可愛くて、美しくて、格好良いですもの」

「二十六の男に向けるのに、相応しい言葉とは思えないが」

「ルキウス様への言葉ですから」


 そんな風にルイゼが感じる相手はルキウスだけだ。


「……なら、褒め言葉として受け取ろうか」


 悪戯っぽくルキウスが笑う。

 髪を撫でていた手が、するりと下りた。

 耳たぶを捉えられる。親指と人差し指の間で弄ぶように挟まれて、背筋がぞわりとした。


「っルキウス様……」


 自分のものではないような吐息が、口から漏れる。

 そんな反応さえも楽しげに受け止めたルキウスが、ルイゼの顎を持ち上げて覗き込む。


 もはや触れたほうが早いような距離で、囁いた。


「キスしてもいい?」


 だめ、とはルイゼは言えない。ルキウスに嘘は吐けないからだ。

 でも、素直に頷くことはもっと難しく――うろうろと彷徨った視線を、四阿の外へと投げる。


「……この距離では……イネスさんたちに見えてしまうかもしれません」

「俺は見えてもいい」


 ルイゼの瞳がうっすらとにじむ。

 間近で覗き込んでいたルキウスはすぐに気がついたのだろう。息を呑んでいる。


「すまない、調子に乗った。君を泣かせるつもりでは」

「違うんです。ただ……」

「ただ?」

「幸せすぎて、怖いと思ったんです」


 ――たまに、今でも、夢ではないかと思う瞬間がある。


 現実のルイゼは、まだ狭い自室に閉じ込められるようにして魘されているのだ。

 目が覚めれば父の叱責が待っている。リーナに嗤われ、フレッドには呆れられる。

 周囲の人々には嘲りを浮かべられる。そんなはずはないと思っていても、時折、怖くなるのだ。


 ルキウスと再会し、憧れていた魔道具研究所に近づくことができた。

 幸せばかりの日々。でもそれも夢だとしたら、とっておきの悪夢へとすげ替えられる。


 そんな情けない不安をルイゼは口にはしなかった。

 だが、もしかするとルキウスはそれすら感づいたのか。


「もしもこれが夢だとしても、俺が迎えに行くよ」

「……?」

「もう一度、何度でも迎えに行く。だからルイゼはひとりにはならない」


 当たり前のように言う。

 何も気負っていないのは、それがルキウスにとって当然のことだからだ。

 そう分かるから、ルイゼは泣きそうになる。鼻の奥がツンとして、たまらなくなる。


(ルキウス様は、いつも)


 いつも彼はそうだ。

 いつだって、ルイゼがいちばんほしいと思う、宝物のような言葉をくれる。


 ルイゼは込み上げるものを押さえるように、ルキウスの服にしがみつく。


「…………してください」


 虫の鳴くような声だったが、しっかりとルキウスには届いたらしい。


 唇は、まず鼻筋に触れる。

 そこから頬に移って、味わうように唇を包み込む。


 温もりがゆっくりと離れる頃には、ルイゼの息は上がっていた。


「……唇が甘いな。何か食べた?」

「えっと、サヴァランと、スコーンと……っん」


 一生懸命に思い出して指折り答える合間にも、また塞がれる。

 角度を変えて、何度も口づけられる。後頭部を支えてくれる腕は優しいのに、口づけには余裕がなくなっていく。

 でも、それを愛おしいと思う。身体全体を揺さぶられるような、甘い疼きを心地よくすら感じるのは、それを与えるのが彼だからだ。


 どれくらいの時間、そうしていたのか。


 ぼぅっとするルイゼの髪の毛を、優しくルキウスが梳く。

 髪先に口づけている仕草は、触れ合いがゆっくりと終わることを示しているのだろうか。


 ――でも、まだ、と思う。

 まだ、触れていたい。彼の熱を全身に感じていたい。

 そんな途方もないほど大きな気持ちが、ありのまま言葉に出ていた。


「まだ……」


 そのとき自分がどんな顔をしていたかなんて、ルイゼ自身には分からなかったが。

 掠れた声で訴えれば、ルキウスは目を見開いて、


「……まったく、君は」


 言葉尻と異なり、蕩けるように笑う。

 右の頬にだけ浮かんだえくぼを目で追いかけていたら、また彼の口の中に閉じ込められている。


 ルイゼは酸素不足の頭で、ぼんやりと思った。


 何気ない顔をして、再び女子会に合流するのは――難しそうだと。












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本日、第2巻発売です!

ぜひぜひお手に取っていただけたら幸いです。

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