第122話.抱き上げる腕
エ・ラグナ公国は、アルヴェイン王国から南方に位置している。
国は年中暑く、日照りによる干ばつや乾燥化が激しい。国土の四分の一は砂漠地帯とされ、それは年々広がりつつあるとされている。
年間を通して降水量は少ないが、三方を海に囲まれているため湿度は高い。そのためか、湿気を孕んだむわりとした風が吹いては大量の砂塵を舞わせるのだ。
そして港には今日も、旅船や漁のための定期船が出たり入ったりを繰り返している。
船員のかけ声や汽笛の響く中、停泊した大型船からはひとりの少女が下船していた。
観光客たちに紛れていたルイゼは、ふぅと息を吐く。
(暑い……)
雲ひとつない青空を見上げる。
手庇をするが、燦々と降り注ぐ日射しが防げるはずもない。
しかし思いがけず、熱風ではなく涼しい風が吹いている。
時折、額や頬に冷たい水滴も飛んでくる。ルイゼは本で学んだ知識を頭の中に思い起こした。
(乾燥対策として、公国の主要都市にはいくつもの巨大な噴水が設けられているのよね)
言うまでもなく乾燥地帯にとっては貴重な水源である。
だが、これを可能とするのは噴水の中央部に埋め込まれた水を噴出する魔道具だ。
エ・ラグナ公国の気候では多くの魔道具が動作不良を起こすが、たとえば水の魔石に対して「水を出し続ける」と命じるだけの至ってシンプルな魔道具であれば、年に数回のメンテナンスで十分に効果が持続する。
――アルヴェイン王国は風の魔石、西のカッサル共和国は土の魔石、東のイスクァイ帝国は水の魔石、南のエ・ラグナ公国は炎の魔石の発掘量が多い。
四国間では魔石の流通が行われており、特にエ・ラグナ公国と盛んに交流しているのは地続きのカッサル共和国。それに水の魔石を大量に保有するイスクァイ帝国だ。
大国相手に公国が輸出の武器にするのは、炎の魔石や宝石、それに魔物素材を加工して作った化粧品だ。
気候ゆえに魔道具の発展は望めないため、他の分野を伸ばし続けた。観光産業にも力を入れ、リゾート地としても人気がある国だ。化粧品を安く手に入れるためにとこの国を訪れる貴婦人も多いと聞く。
しかしルイゼはバカンス気分ではいられない。
早々に必要最低限の金銭を確保して、アルヴェイン王国に戻らなければならないのだ。
(……頑張らないと!)
自分を奮起させるように小さく拳を握る。
どうやってお金を稼ぐにしても、まずは視察が必要だ。
港の周りは観光客をターゲットにした屋台が多く出ている。日雇いの募集でもないかと探しながら、むき出しの地面を歩いていく。
そうして間もなく、ルイゼは気がついた。
(見られている?)
視線がいくつも向かってくる。その理由にも遅れて気がつく。
周囲の人々は肌の色が浅黒く、露出激しい薄着をしている。その衣装も本の中でしか見たことのないような、不可思議な紋様が入っていたり、色鮮やかな布を使っている特殊な物だ。
よくよく観察すると、頭に布を巻いていたり、腕や足に入れ墨を入れている住人も多いようだ。
対してルイゼは肌が白く、おまけに魔道具研究所の制服姿である。観光客にしても、奇抜な格好だと思われているのだろう。
しかし残念なことに、服を買うお金はない。というか、そもそも……。
「いらっしゃい、いらっしゃい!」
「今朝とれたての魚だよ。おまけもつけるよ」
「果肉入りのジュースはどうだい! よく冷えてるよ!」
軽快に飛び交う言葉の多くは共用語だ。
屋台では果実や魚、棘を抜いた多肉植物が売られている。探せば服を売っている店もあるだろう。
――だが、ルイゼが持つのは数枚の銅貨だけ。
(心許ない……!)
喉は渇いているが、一杯のジュースを買うのも躊躇うほどの手持ちである。
「どうしたの? お金に困ってるの?」
立ち尽くしていると、横合いから声をかけられた。
少し遅れて、ルイゼは振り返る。
地元住民だろうか。何やら楽しげにへらへらと笑っている二人組の男だ。
ルイゼの周囲を囲み、見定めるように上から下までじろじろと眺めてくる。
「アルヴェインからの船に乗ってたよね。観光?」
「なんか変わった格好してるけど」
困惑して、しばらく黙っていたルイゼだが……そこで彼らの目的に、はっと気がついた。
(――追い剥ぎ!)
「すみません。用事があるので失礼します」
「いやいや、ちょっと待って。少し話そうよ」
急いでその場を立ち去ろうとするものの、無理やり進行方向を塞がれる。
ルイゼは困った。大の男二人が相手だとしても、ルイゼの闇魔法であれば対処できるだろう。
(でも、ここで騒ぎを起こすのは避けたい……)
街中で魔法を使うのが御法度であるのは、どの国でも共通だ。
魔法を行使した結果、捕縛されるようなことになっては目も当てられない。
そのためルイゼが選んだのは、言葉での説得という方法だった。
「私、お金はほとんど持っていません。ですので時間の無駄かと思います」
あまりにも素直な告白だったが、なぜか二人は一斉に噴き出した。
嘘ではないのに、どうして笑われるのか。
「違う違う。君が可愛いから声をかけただけだよ!」
「はぁ……」
「ちょっとだけお茶しよう。奢るからさ」
さすがにそれで乗り気になるルイゼではない。
どうすれば納得してくれるのだろうと頭を悩ませて考える。それを無遠慮に見つめる男たちが、まさかその様子すら面白がり楽しんでいるのだと、ルイゼが思い至ることはない。
ルイゼには届かない程度の音量で、ひそひそとやり取りをする。
「……マジで貴族のお嬢様っぽいな」
「どうする? 他も呼ぶか?」
「上玉だぞ。俺たちだけで……」
何やら会話に夢中になっている彼らを、ちらと見上げる。
ルイゼは静かに動き出した。この場を逃げようとしたのだが、さすがに気づかれてしまう。
「だから、待てって――!」
「……っ」
強引に腕を掴まれ、引き戻される。
痛みに顔を顰めると同時に、だった。
「おい。ラグナの男なら、女は大切に扱えよ」
ひらりと翻った腰布が目に入る。
そう思ったときには、腕を拘束していた手の感触は消えていた。
代わりに、身体が唐突に浮き上がる感覚。
「きゃっ……!?」
短い悲鳴を上げるルイゼ。
高く抱き上げられたらしいと気がついたのは、腰に回された両手の温もりがあったからだ。
「もう大丈夫だぜ、お嬢さん」
親しげな声音に、ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと。
褐色の肌の青年が、呆然とするルイゼを見上げてにかりと笑っていた。
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