第112話.エリオットの思い出

 


「どうしてエニマ様が、こちらにいらっしゃるのですか?」

「どうしてって……ただの偶然だけど」


 ルイゼの問いかけに、エリオットは戸惑った様子だった。

 だが、ルイゼはそういう意味で訊いたわけではなかった。


(だってエニマ様は、カリラン様によって暗黒魔法で操られていた……)


 シャロンは確かにそう言ったはずだ。

 シャロン自身は意識を失っているし、ルキウスに壊れた魔道具を差し出してもいた。

 だが他に魔道具があるかもしれないし、術者が倒れているからといって魔法が作動しないとは限らない。


 つまり現在も、エリオットはシャロンの命令に従って動いている可能性があるのだ。

 それなのに今、捕縛もされずにエリオットが神殿を歩き回っているということは。


(ルキウス様も、何かおかしいと思っていらっしゃるんだわ……)


 ルイゼが何かに引っ掛かったように、ルキウスもまた心に迷いがあるのかもしれない。

 それならば、とルイゼは決める。


 今、ルキウスやイザックは神殿側とシャロンについて協議しているはず。

 身動きが取れない彼らの代わりに、今は自由に動けるルイゼが、エリオットやシャロンのことを探るべきだ。


「エニマ様。あなたのお話を聞かせていただけませんか」

「あたしの話?」

「はい。エニマ様と、カリラン様のお話を」


 出し抜けの要求に、エリオットは面食らったようだった。

 だが、やがて彼女は小さく頷く。


「……そうね。あたしもちょっと頭の中を整理したいと思ってたの」


 先ほどまで神官長の座っていた席に、エリオットが座る。

 彼女の兎の耳のように結った髪の毛が揺れる。

 シャンプーの残り香だろうか、カモミールの香りがふわりと漂った。


 こうしてすぐ隣に居ると、エリオットは普段よりもずっと幼げに見えた。

 きっと、ルイゼよりも誰よりも、混乱しているのはエリオットだろう。

 エリオットはシャロンと親しい様子だった。友人の意のままに操られていたと知って、強いショックを受けたはずだ。


 やがて、数十秒の沈黙の末にエリオットが話し出した。


「もう知ってるかもしれないけど……あたし、エニマ子爵と、娼婦の母親の間にできた子どもなの。母親は跡取りの居ない子爵に取り入ろうとして、あたしに男の名前をつけて子爵家に連れて行ったのよ」



 ――『母親が、跡取りの居ないエニマ子爵に取り入るために、男児だと偽ってエニマ家に連れて行ったそうなんです。結局すぐに嘘は看破され、母親は屋敷を追い出されたそうですが……幼い娘を哀れに思ったのか、エニマ子爵は娘だけはそのまま家に置いたんです』



 ルイゼが思い出したのは、マシューの話だった。


「マシュー様から聞きました」

「あいつから?」


 エリオットが顔を顰める。

 ルイゼは謝ろうとしたが、エリオットは「まぁ、いいけど」と息を吐いた。


「マシュー様とエニマ様は、お知り合い……なんですよね?」

「そうね。別に親しくはないけど。シャロンとマシューが知り合いで……娼婦の娘がシャロンと仲がいいのが、あいつは気に食わないみたいね」


 エリオットはどこか苦々しげだ。


 シャロンの父であるトゥーロ・カリラン公爵は魔道具が好きで、魔道具祭にも出資していた人物。

 そしてマシューの父であるデイヴィッド・ウィルク男爵は魔道具研究所の所長だ。


 そんな父親同士を持つからこそ、家格は違うものの両家には付き合いがあるのだろう。


「マシューがどう話したか知らないけど……エニマ家に連れてかれたとき、あたしまだ三歳だったの。何がなんだかよく分かってなかったわ。気がつけば母は居なかったし、義理の母だって人にはこっぴどくいじめられるし。まぁ、あたしの存在を、子どものできない自分への当てつけのように感じたんでしょうね、同情はしないけど理解はできるわ」


 何も言えずにいるルイゼに構わず、エリオットは静かな声で続ける。

 ワインレッドの瞳は過去を思い出すように遠くを見ていたが、そこに温かな思い出は浮かんでいないようだった。


「屋敷の使用人たちにも放っておかれたわ。エニマ子爵はあたしを追い出しはしなかったけど、見向きはしなかったから……だから小さい頃から、頼れるのは自分だけだった。便利な魔道具なんてひとつも使わせてもらえなかったから、全部自分で必死にやったわ。洗濯も部屋の掃除も。いちばん大変だったのは食事の確保ね。使用人が全員寝静まったのを見計らって、こっそり厨房に忍び込んで生の野菜をかじってた」


(だから、エニマ様は……)


 エリオットが魔道具を嫌う理由。その一端が、ルイゼにも分かった気がした。

 魔道具はエリオットにとっては、親に恵まれ、愛された証だったのだ。

 それをひとつも与えられず、使うことを許されなかった子どもの頃の記憶は、彼女が魔道具を厭うに十分なものだっただろう。


「シャロンに会ったのは、あたしたちが六歳の頃」


 ぼんやりしていたエリオットの双眸に、ふと光が宿ったのにルイゼは気がつく。


「エニマ子爵が子爵邸で開いたパーティーに、トゥーロ様と一緒にシャロンが招かれてた。あたし、社交界デビューもしてないから……子爵令嬢として公式なパーティーなんかには出られないから、その日も窓からぼんやり外を眺めてたんだけど。そうしたら、シャロンが庭を歩いてきたの」

「お庭を、ですか?」

「迷ったって言ってたけど、きっと暇を持て余したのね。それでいろんな話をしたんだけど、シャロンったら」


 そこでエリオットが言葉を切る。

 どうしたのだろうと思えば、彼女は肩を揺らして笑っていた。


 そんな風にエリオットが笑っているのを目にするのは初めてで、ルイゼは目を見開いた。


「『あなた、それにしたって痩せすぎだわ。死んじゃうからついてきなさい、助けてあげる』なんて言い出して……ふふっ。あたしを内緒で連れ出して、公爵邸まで帰っちゃったの!」

「えっ!」

「びっくりでしょ? そのあともすごかったわよ! お風呂場に連れて行かれて、ごはんを食べさせられて、可愛い服に着替えさせられて、夜はシャロンに抱きしめられて同じベッドで眠ったわ。もう、本当にめちゃくちゃ……」


 衝撃の展開に驚いて、ルイゼまで身を乗り出してしまった。


「そのあとはどうなったんですか? 大丈夫だったんですか?」

「大丈夫も何も――、」


 くすくす笑いながら続けようとしていたエリオットが、はっと息を呑む。

 慌てて姿勢を整えて咳払いをしているのは、ルイゼ相手に相好を崩していたのが恥ずかしくなったのだろうか。


「……まぁ、すごく大変だったわね。大変だったけどエニマ子爵の立場じゃ、トゥーロ様に強く言えないから。トゥーロ様もシャロンもいつでも遊びに来るようにって言ってくれたから、毎週のようにカリラン公爵家に遊びに行ったわ。あたしが魔法省で働き出してからも、毎週とはいかないけどよく遊びに行くし」


 考えていた以上に、エリオットとシャロンは深い絆で結ばれていたのだ。

 それにトゥーロも、魔法省の職員として働くエリオットを温かな目で見守っていた。カリラン公爵家こそ、エリオットにとっては本当の家族のような存在だったのかもしれない。


「あたしにとってシャロンはいちばん大事な人。シャロンにとっては、そうじゃないのは分かってたけど……それでも良かったの。傍に居られたら、あたしはそれだけで十分だったから」


 そう、柔らかな表情で締めくくる。

 エリオットの横顔を、ルイゼはじっと見つめた。


(エニマ様にとってのカリラン様は、私にとってのルキウス様に、少しだけ似てるのかもしれない)


 実の家族に虐げられながらも、心の支えになった人。

 誰よりも大切で、まぶしいほどに輝く人。それがエリオットにとってのシャロンだったのだ。


 ようやくエリオットの心に、ルイゼは近づけたような気がしていた。


 だが、エリオットの表情が次第に曇っていく。


「――だから、正直に言うと今も信じられない。シャロンがあたしを魔法で操ったなんて」

「エニマ様……」


 歯噛みする彼女を見ていると、ルイゼの心もひどく痛む。

 しかし同時に、やはり思うのだ。何かがおかしい、と。


(エニマ様にご協力いただければ、引っ掛かっている何かの正体が分かるかもしれない)


 そんな思いで、ルイゼは彼女に訊いた。


「エニマ様、教えてください」

「教えるって……何を?」

「具体的にエニマ様は、今までカリラン様のどんな命令に従ってきたのですか?」


 エリオットは唖然としている。

 どう説明すれば分かりやすいだろうか。ルイゼは必死に言葉を探す。


「つまり……カリラン様はご自身のことを、ルキウス様の婚約者だと仰っていましたよね?」

「ああ」


 ようやく合点がいったように、エリオットが頷く。

 しかしそのすぐあと、彼女は思いがけないことを口にした。



「それが嘘なのは、あたしにも最初から分かってたわよ」



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