第111話.祖父との出会い

 


 ルイゼを母の名前で呼んだ老人。

 落ち窪んだその瞳の色は、だいぶ色褪せてはいるが、ルイゼの知る輝きに少しだけ似ていて。


 まさか、と思う。


(お母様は、緑柱色ベリルの瞳をしていた……)


 ガーゴインと結婚し伯爵夫人になるより前、ティアが中央教会に所属していたというのはミアから聞いたことがある。

 治癒魔法に優れたティアは"光の聖女"と呼ばれ、教会でも一目置かれた特別な存在だったのだと。


 つまりこの老人は、もしかしたら――。

 しかしルイゼが思うと同時、相手も同じことに気がついたのだろうか。


 苦悶か悲哀か。

 読み取れない何かに大きく顔を歪めると、杖を使って部屋から出て行こうとする。

 それに気がついた他の神官が「神官長」と呼びかけるが、彼は立ち止まろうとはしない。


「あの、待ってください」


 回廊を去って行こうとする背中に、慌ててルイゼは追い縋った。


「待って――私、ルイゼ・レコットといいます。あなたは……」


 ルイゼが名乗ると同時、法衣の裾の動きが止まった。


「……ルイゼ・レコット」


 嗄れた声が、輪郭をなぞるように名前を呼ぶ。

 振り返った彼は、懐かしい誰かを見る瞳でまじまじとルイゼを見ていた。


「ティアと、よく似ている。瓜二つだ」

「……あなたは……」

「――でもその目玉の色は、あの男と同じだな」


 一瞬、燃え上がるような憎悪の色が老人の瞳に浮かぶ。

 しかしそれは見間違いだったのか。驚いてルイゼが瞬きしたときには跡形もなく消えていた。


 逃げ出すのは難しいと思ったのだろうか。


「……ついてきなさい」


 神官長は後ろのテルを一瞥すると、薄暗い回廊を歩きだす。

 ひとりで来い、という意味だろう。少し悩んだが、ルイゼはテルに断りを入れ、ひとりで神官長についていくことにした。


(何か、お話しが聞けるかもしれない)


 幼い頃の母の話を聞けるかも、なんて淡い期待ではない。ルイゼが訊きたいのは、母を蝕んだ不治の病のことだ。


(原因不明の衰弱死で、お母様は亡くなった)


 不治の病だと医者は匙を投げ、最後は血を吐いて息絶えたのだと。


(私は、それが――と思った)


 リーナやガーゴインにも、同じような症状が現れているのだ。

 神官長はこちらを振り返ることなく、やがて回廊の先に現れた一室に入室した。

その部屋に患者は居なかった。ふらふらと進み、神官長は壁際に置かれた椅子へと座った。


 その隣にルイゼが座ると、数十秒の沈黙のあとに。

 空気が僅かに震えるだけの小さな声で、神官長が言う。


「ティアは、私の一人娘だ」


 ルイゼは静かに息を呑む。


(やはりこの方が、私にとってのおじいさま……)


 記憶している限り、会うのは生まれて初めてだ。

 それに子どもの頃、ティアの親族に会った記憶は一度もない。それについて、あまり深く考えたことはなかったが。


「ティアが子どもを二人産んだのは、知っていた。赤ん坊の頃、会ったこともある。だが……その片割れが、魔道具研究所で働いているとは」


 彼が皺だらけの手を、擦るように動かす音だけが響く。

 壁から這い寄るような冷気が辛いのだろうか。気遣いの言葉をかけようとしたルイゼだったが、その前に神官長が口を開いていた。


「妹を連れて逃げろ」

「……え?」


 唐突な言葉に、ルイゼは唖然としてしまった。


「逃げるって、どうして……」

「研究所や教会では、駄目だ。悪しき者の手が届かない場所に、お前たちは逃れなくては」


(悪しき者……?)


 何を言われているのか、理解ができない。

 だが、ぶるぶると身体を小刻みに震わせる神官長が――祖父が、ルイゼとリーナを思って忠告してくれているのは伝わってくる。


「神官長は、何かご存じなのですか?」


 思わず、ルイゼは身を乗りだして訊いていた。


「それは、母の死と関係があるのですか? 母は、誰かに……恨まれていたのですか?」

「あの子が、何か言ったのか?」


 探るような目つきで問われ、首を縦に振る。


「罪があるから、罰があるのだと言って――死んだのです。母は」


 目を見開く神官長。

 しかし次の瞬間には、弱々しく項垂れてしまう。


「…………あの子には、なんの穢れもなかった」

「知っていることがあるなら、どうか教えてください!」

「ティアは聡明で、美しい子だった。優しい子だった。お前はあの子によく似ている……」


 恐ろしげに口の中でぶつぶつと呟くだけになった神官長を、ルイゼは見下ろす。

 そうしながら耳を澄ます。一言一句、聞き逃してはいけないと思ったからだ。


「幸せに生きてくれるなら、それでいいと思っていたのに。まさかあんなことになるなんて……守ると言ったから、あの男に託したのに……」


(……お母様と、お父様のこと……?)


 しかしそれきり神官長は黙ってしまう。

 どうしてもこのまま引き下がれず、ルイゼは立ち上がると、冷たい床に膝をついた。


 痙攣するように震える老人の手を、ぎゅっと両手で握る。


「神官長――おじいさま」


 暗黒魔法のことには箝口令が敷かれている。

 だからルイゼの判断で詳細を話すことはできない。それでもどうにか、情報を引き出したかった。


「ガーゴインとリーナは、苦しんでいます。お母様と似たような症状を訴えて、今も苦しんでいるのです」

「……ティア……リーナ……」

「ティアと同じです。リーナは今も、戦っているのです……!」


 一瞬、何かを言いかけたように。

 ――はくはく、と口が動く。だがそこから聞こえる言葉はなかった。


 神官長はぐったりと疲れた様子だった。

 これ以上、何かを話してくれる気はないようだ。そう悟ると同時、ルイゼは手を離していた。


 すると杖を頼りに、覚束ない足取りで神官長が部屋を出て行く。

 その丸く小さな背中を、ルイゼは呆然と見送ることしかできなかった。


 急に、背筋をひどい悪寒が走り抜ける。

 心臓が不規則に脈打つ。恐ろしくて、その場に座り込んでしまった。


 神官長の話した言葉が、嗄れた声が頭の中を駆け巡る。

 逃げろ、と彼は言った。悪しき者の手が届かない場所にと。


 それはいったい誰のことなのだろう。

 今この瞬間も、誰かがルイゼやリーナの命を狙っているのか。

 そしてその何者かは、ティアの死にも関わりがあるのか――。


 考えれば考えるほど、恐怖でいっぱいになる。


(……ルキウス様)


 心細くて仕方なかった。

 ルキウスに会いたい。会ってこの胸の不安を明かしたい。


 物音がして、ルイゼははっと顔を上げる。


「ルキウス様?」


 震える声で、思わず呼んだ。

 だが――暗がりから現れたのは、待ち望んだその人ではなかった。


「……エニマ様……」


 ルイゼと目が合ったエリオットが、どこか気まずげに目を逸らした。



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