第110話.中央教会

 


 夜の始め頃。

 すれ違う馬車のない暗い街道を、馬車は車輪を鳴らし進み続けた。


 もう何十回か――。

 数え切れないほど治療魔法を唱え続けていたルイゼは、同乗しているイザックに止められて魔法の行使を止めていた。


(少し……くらくらする)


 空気が冷え、冬の気配が近づく季節だというのに、ルイゼの頬には汗が伝う。


「ルイゼ嬢、辛かったらすぐ言ってくれ」

「……ありがとうございます、タミニール様」


 気遣ってくれるイザックに、笑みを返す。

 止めるのが遅かったと思っているのか、彼は申し訳なさそうな表情だが、ルイゼ自身が望んでやったことだ。


 四人乗りの馬車の前席にはイザックとテル、後席にルイゼとシャロンが座っている。

 といってもシャロンは身体を横にして、ルイゼの膝枕に頭を載せている状態だ。目覚める気配はなく、シャロンの目蓋は固く閉ざされ、眉は苦しげに寄っている。


 多少、呼吸は落ち着いてきただろうか。

 血で汚れている彼女の顔や顎を、そっと手巾で拭う。衣服の胸元も黒く染まっているが、こちらは洗濯しなければどうしようもない。


(やっぱり暗黒魔法の後遺症に、通常の治療魔法は効果がない……)


 リーナやガーゴインの治療を担当していた王立治療院から、既にその話は聞いている。

 しかし実際にシャロンに治療魔法をかけたことで、その事実を強く実感した。


 怪我や欠損であれば治療魔法は通用する。

 しかし病気の類に治療魔法は効果がない、というのが常識だ。


 やはり暗黒魔法は病気に近いと考えるべきなのだろうか。

 ならば、治療用の魔道具を造ることなんて――無理なのではないか。


(……いけない。後ろ向きに考えてばかりじゃ)


 首を小さく横に振る。


 リーナやガーゴイン、それにシャロンを救うためにも、必ず魔道具は完成させなくてはならない。

 ルキウスはルイゼがそれを成すと信じてくれている。今さら事実を突きつけられたくらいで諦めるわけにはいかないのだ。


 拳を握っていると、鼻腔が嗅ぎ慣れない香りを感じ取った。

 潮騒が遠くから聞こえる。ルイゼは俯けていた顔を上げた。

 窓はカーテンで隠されているが、きっとそこには星明かりを反射する大海原が広がっているのだろう。


(中央教会の近くには港があるのよね)


 アルヴェイン王国には三つの港がある。

 その中でも、王都から最も近いユニリアの町――即ち、中央教会のあるこの町の港が、規模から言うと最も大きい。

 他国の船も入ってくる大きな港町は、交易拠点として栄え、昼間は活気ある大声が飛び交うものの、紫紺色の夜空の下では静まりかえっている。


 中央教会に辿り着いたのは、走り出して四十分ほど経ってのことだ。

 各地にある教会の総本山とされる中央教会は、石造りの巨大な建造物である。


 急病人が居ることは早馬で知らせてあったようで、すぐに法衣を着た男性たちが近づいてきた。

 まずシャロンが担架に乗せられ、神官たちの誘導の元、騎士によって運ばれていく。


 イザックの手を借りて馬車を下りたルイゼは、さっそく訊いてみる。


「タミニール様。私もカリラン様についていっていいでしょうか」


 数秒だけイザックは悩んだようだったが、彼の判断は迅速だった。


「テル、ルイゼ嬢についていってくれ。ルカにはオレから伝えておく」

「分かりました」


 気心の知れた相手がついていてくれるなら安心である。

 ルイゼはテルと頷き合い、担架を追って教会へと入った。


 荘厳な教会の内部は、身体を震わすような冷気に満ちている。

 三階建ての吹き抜けの建造物を見上げれば、窓に使われたステンドグラスからは青白い月光が漏れていた。

 エ・ラグナ公国から持ち込まれた品だろうか。公国のガラス工芸品は緻密なデザインのものが多く、そこに描かれた女神像も息を呑むほど美しい。


「こちらです、ルイゼ様」


 テルに先導され、ルイゼは入り口奥の回廊を進んでいく。

 入り口から続く回廊にまばらにある明かりは、すべて頼りない蝋燭の炎が揺らめくもの。

 足元も覚束ないのがどうにも気になり、ルイゼは短く光魔法を唱えた。


「『ライト』」


 手のひらから生み出された球体が浮かび上がり、ルイゼとテルの周囲を照らし出す。


 光を頼りに長い回廊を進んでいくと、ちょうど空っぽの担架を持つ騎士たちが目に入った。

 教会の神官は全員が治療魔法使いだ。ここに来るまでの間にもいくつも部屋が並んでいて、ベッドのいくつかは埋まっていた。


 シャロンが運び込まれたのは、その中でも高位貴族用に用いられる個室のようだった。

 顔を覗かせると、ぐったりとベッドの上に横たわったシャロンの傍で、黄金色の光が散っているのが見える。


「カリラン様は……」


 ルイゼが問うと、顔見知りの騎士が答えてくれた。


「今、中で治療魔法をかけてもらっています。ただ、カリラン公爵令嬢は目覚める様子がなく、魔法の効果は出ていないようです」

「そうですか……」


 やはり神官の魔法でも、シャロンの容態は回復しないのだ。

 それでも祈るような気持ちで、部屋の様子を見守る。


 シャロンを囲んでいる三人の神官たちは、息切れしつつも懸命に魔法を使っていた。

 その内のひとり――他の神官に比べて、明らかに年老いた男性が、ふと気配に気がついたのかこちらを振り返る。


 ルイゼは慌てて頭を下げた。

 治療の邪魔をするわけにはいかないと、そのまま引き下がろうとするものの。


 老人は、それこそ幽霊でも見たような顔つきでもごもごと呟いた。



「…………ティア?」



(え?)


 目を見開く。

 その名前は、ルイゼが幼い頃に亡くなった母親のものだった。



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