第109話.罪の自白

 


『……ルイゼ。話しておきたいことがある』



 蹲るノーラを見つめながら。

 そうルキウスが切り出した日のことを、ルイゼは思い返していた。


 カリラン公爵家の夜会に招待されたあの日。

 研究所に向かう帰りの馬車の中で、ルキウスは教えてくれたのだ。


『今夜、研究所に使いをやっていたんだ。だが、ここで君に会えて良かった』


 それは、彼が調べたシャロンの目的の件だった。


 イザックの調査で、夏頃からシャロンの体調が悪く、何度も医者を家に呼んでいることが分かったらしい。

 幼い頃からシャロンは病弱だったそうだが、近年はそうでもなかったことはイザックがカリラン家の侍女から確認済みだそうだ。


 そして体調が悪いとなると、今のルイゼたちに自ずと連想されるのはひとつの魔法で。


(暗黒魔法……)


 暗黒魔法を使用した張本人であるリーナは身体の不調を訴えている。

 魔法を使用されたガーゴインのほうも、記憶に混濁が見られ、ひどく衰弱してしまっている。


 このことから、シャロンは暗黒魔法に関わっている可能性があるとルキウスは判断した。

 彼女に持ち上がっているという婚約話の件も、その疑いを深める要因になったらしい。


 しかし確たる証拠はない。そのため今日の魔道具祭で、ルキウスは配下の騎士を密かに配備し、彼らひとりずつに【通信鏡】を持たせた。

 研究所内外の様子を映し出し、不審な人物の出入りを監視するためである。


(魔道具祭は一年で唯一、魔道具研究所が一般開放される日だから)


 研究所で大半の時間を過ごすことが多いルイゼだ。

 それに、ここではただの新入職員としての扱いを受けているため、もちろん護衛や侍女はついていない。

 ルイゼに敵意を抱いている様子のシャロンであれば、この日に仕掛けてくるとルキウスは読んだのだ。


 だが、公爵家の令嬢が自分自身で手を下そうとはしないだろう。

 ならば彼女の手の掛かった人間が、刺客として放たれるのではないかと彼は言った――。


(……そして、ルキウス様の仰った通りになった)


 人混みに紛れて研究所に忍び込んだノーラは、この時刻まで倉庫の一室で息を潜めていた。

 そんなノーラは、【もふもふ君】に似せたただの着ぐるみを着込んだイザックを、ひとりでルイゼが追いかけていると気づくなり慌てて追跡してきたのだ。


 高所から突き落とされたのが、つい数分前のこと。

 狙いが明らかである以上、自分が囮になれば話が早い、と提案したのはルイゼである。


(前回はタミニール様が一緒だったし、それに今回はルキウス様が待機してくださっていたから)


 研究所地下でハリーソンを騙したときは、イザックや護衛騎士のテルたちがついていてくれた。

 今回に至っては、ルキウス自身がルイゼのことを見守ってくれている中での行動だ。

 不安なことはひとつもなかった。だが今、震えるノーラを前にして、ルイゼは俄に緊張が増していくのを感じていた。


 全てを話すよう言い放ったルキウス。

 だがノーラが何も言わないと見て取ると、再び口を開き直す。


「動機はなんだ。お前はなんのためにルイゼを害そうと企てた?」

「――ルイゼ・レコット伯爵令嬢が、シャロンお嬢様の邪魔をするから!」


 くわっと目を見開いたノーラが、泣きながらルイゼを睨みつける。

 その視線から庇うように、ルキウスがルイゼの前に立った。


「お嬢様は幼少の頃よりずっと、ルキウス殿下を慕ってらっしゃったのです!」


 廊下の奥まで、ノーラの叫び声が反響する。


「お二人の婚約話が持ち上がったこともありました。十年前、ルキウス殿下がイスクァイ帝国に出立する際には、王族以外に唯一お見送りを許されたのがお嬢様で……っそれから十年間、ずっとお嬢様は殿下を健気にお待ちしていたのに! それなのに殿下は別の女性と親しげにされて、それがどんなにお嬢様を傷つけたことか!」


 喚くノーラの声を聞きながら、ルイゼとルキウスは目線を交わした。

 それは、ルキウスの推測から外れる主張だったからだ。


(カリラン様に持ち上がっているという婚約話を、ルキウス様を利用して白紙に戻すこと……)


 シャロンの目的はそこにあるのではないかと、ルキウスは考えていた。

 しかしノーラによれば、シャロンはルキウスのことを想っており、それ故にルイゼが邪魔だったということになる。


「つまりお前は、独断で事に及んだということか?」


 ルキウスが問えば、ノーラが何か答えようとする。

 その瞬間だった。



「お待ちください」



 軽やかな鈴の音を鳴らしたような、美しい声だった。


 ノーラを取り囲んでいた人間のほとんどが、反射的にそちらを振り向いた。ルイゼも同様である。


 そこに立っていたのは、エリオットに連れられたシャロンだった。

 淡い桃色の髪に、甘く蕩けるような蜂蜜色の瞳。

 雪の妖精のように白い肌は、いっそ頼りない光の下では青白く透き通るようにも見える。


 たおやかなる令嬢は、遠慮がちに面を伏せつつ現れた。

 その場に居る全員を必要以上に刺激しないよう、気を張っているかのように。


(カリラン様……?)


 もう何度か彼女と会い、直接言葉も交わした。

 それなのにふいにルイゼは、シャロンと初めて会ったような気がしていた。


 同じように感じたのは、ルイゼだけではなかったのだろう。

 ノーラを囲むように気を張っていた騎士たちも、思わず道を譲る。シャロンは彼らに頭を下げて、ノーラの横へと立った。


「……下の階で発見しました」


 エリオットが暗い顔で報告する。

 エリオットは魔道具祭の責任者で、シャロンの友人でもある。彼女に話を通したからこそ、今回の作戦を決行することができたのだ。


 それにノーラとは別にシャロンも研究所に隠れていると聞いていたため、二人の登場自体には驚かなかった。

 だが続けてシャロンの言い放った言葉に、ルイゼは息を呑んだ。


「ノーラは、わたしの命令で動いていただけです。どうかわたしを罰してくださいませ、ルキウス殿下」

「お嬢様……!」


 何か言おうとするノーラに、シャロンが首を振る。


「わたしのためにありがとう、ノーラ。そしてごめんなさい。全部わたしの……」


 言いかけた途中に、シャロンがごほ、と咳き込んだ。

 ただの咳ではない、何かが詰まったような嫌な音だ。


「シャロン、お前……」

「罪を告白します」


 ルキウスの言葉を遮り、シャロンが掠れた声で言う。



「わたしが、暗黒魔法を使ってエリちゃんを――エリオット・エニマを、操っていました」



 誰も言葉を発さない。

 ただその場の全員が、沈黙してシャロンの言葉に耳を傾ける。


「わたしがエリオットに命令したことは、ひとつ。ルイゼ・レコット伯爵令嬢を害すようにと。その命令により、エリオットは一律調整課という新設の課にルイゼさんを追い込み、それからもルイゼさんを不当に虐げました。それは殿下もご存知のことかと思います」

「シャロン……」


 信じられないというように、エリオットが首を横に振る。

 だが、シャロンはそちらを見向きもしない。


「これが証拠です」


 そう言ってシャロンが懐から出してみせたのは、首飾り型の魔道具だった。

 見つめるイザックが鋭く表情を歪ませ、ルキウスの眼差しは険を帯びる。


 当然だった。それは暗黒魔法を使用するために使われている魔道具だったからだ。

 ぶら下がった水晶部分――輝石きせきに無残に亀裂が入っているのも、リーナが持っていた魔道具とまるきり同じで。


 シャロンが微笑む。

 緊迫するこの場に不釣り合いなほど、柔らかな微笑だった。


「わたしには魔力がありませんから」

「……誰がお前にそれを渡した」

「セオドリク・フォル公爵。……いえ、既に彼は公爵位は剥奪されていましたね」


 一部の者にしか知られていないセオドリクの名を、アッサリとシャロンが口にする。


 もはや疑いようはないことだった。


(カリラン様が暗黒魔法を使い、エニマ様を操っていた……)


 ――ふらり、と細い身体が傾いだ。


「シャロン!」


 慌ててエリオットが受け止めるものの、倒れたシャロンはぐったりとしていて意識のない様子だ。

 その顎を、赤黒い液体が伝い落ちていくのが見えた。


(リーナ…………)


 そう連想したのは、暗黒魔法の後遺症で何度も鼻血を噴いていたリーナの姿が浮かんだからだ。


「中央教会にシャロンを運べ!」


 ルキウスが指示を飛ばす。騎士たちが慌てて、一階の医務室から担架を運び込んできた。


 研究所からでは、王宮内の治療院は遠い。

 それならば中央教会のほうが、ここからなら馬車で三十分ほどの距離である。

 それに、教会には多数の治癒魔法の使い手が在籍している。ルキウスは彼らを頼ることにしたのだろう。


「ルイゼ。すまないが、シャロンと馬車に同乗して治癒魔法をかけてくれるか」


 申し訳なさそうなルキウスの言葉に、もちろんルイゼは頷いた。


 馬車にはイザックと、護衛として騎士であるテルが同乗する。

 本来であればシャロンの顔なじみであるルキウスやエリオットこそ、傍についていたかったことだろう。

 だが、シャロンが先ほど明かしたことが事実だとすれば、彼らが同じ馬車に乗るわけにはいかなかった。


「『ヒール』」


 ルイゼの手のひらから生み出された黄金色の光が、馬車の中を照らし出す。

 暗黒魔法に治癒魔法や既存の治療法は効果がないと、リーナやガーゴインが証明している。

 しかしそれでも一縷の望みをかけて、何度もルイゼは唱える。


 そうしながら、思う。


(どうしてだろう……何か、違和感がある……)


 シャロンは落ち着き払っていて、一種の覚悟を決めているかのようにルイゼには見えた。

 だとしたら、それはなんの覚悟なのだろうか。


(ルキウス様に全てを知られること……犯罪者として国に裁かれること。実家の立場を陥れてしまうこと。他に……?)


 何か釈然としない。

 ……しかし、今は彼女の真意について考えを巡らせている場合ではない。


『ヒール』を繰り返し使いながら、ルイゼは頬に浮き出る汗を拭ったのだった。



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