第107話.闇に落ちていく
「やっぱり、何も見えないわね……」
血眼になって窓の外を見ていたリーナは、そう独りごちた。
残念ながらベランダには出られない。こうしている今も未知の病の影響を受けるリーナは、突拍子のない行動をするおそれがあるからと、護衛が何人もついているとき以外は外に出ることを禁じられているのだ。
ルイゼからの手紙にこの時間に外を見てほしいとかなんとか書かれていたから、言われた通りにしてやったリーナだっだが……それっぽい物は何も見えなかった。
もはや自分は騙されたのでは、という気までしてくる。が、大人しく従ったのは自分なので文句の捌け口がない。
しかも手紙の最後には、おそらくヤズス地方までは見えないので、今度機会があれば目の前で準備するようなことが書いてあった。つまり、やっぱりルイゼを責めるのはお門違いということになる。
もう、と文句を言いつつ、リーナは肩までばっさりと切った髪の毛をかき上げる。さらりと流れるその髪の感触は、最初は落ち着かないものだったが、今では慣れきっていた。
「いいわ、ケイトとアイザックが戻ってきたら話が聞けるだろうし。ねぇお父様!」
隣室に向かってリーナは呼びかける。ここに移されてきて以降、二人は一度も顔を合わせていない。それは魔道具が手元にない状態で暗黒魔法が発動する可能性を防ぐためだという。だから隣接する壁の上部をくり抜いて、声だけが届くようにされている。
慎重に慎重を期する扱い。当初覚悟していた人体実験のような真似はさっぱりだ。暗黒魔道具の情報が欲しくて仕方ない状況だろうに、今のところガーゴインもリーナも病人として丁重に扱われるばかり。
(こんなんで暗黒魔法の謎やらは解き明かせるわけ?)
とリーナは思うのだが、怖がりなリーナとしては現状にほっとしているのも事実である。
「そうだな。二人にルイゼの話をたくさん聞こうか」
笑みを含んだガーゴインの声が返ってくる。声の調子で、今日は体調が良いのだと分かりリーナは安堵する。
「ねぇお父様。お姉様が開発した魔道具って、空に光る花を咲かせるんですってよ。おかしいわよね、花は野原に咲くものなのに!」
もう何度も話したことだったが、他に大した娯楽がないので、手紙のことばかりを話してしまう。といってもリーナが話題にするのはフレッドからのそれではなく、ルイゼからの手紙ばかりである。
ベッドの上で両足をじたばたさせながら、何通も届いている手紙をリーナは読み返す。
「花は、野原に咲く……」
「ねぇねぇ。光る花ってどんなのかしら? どういう色で、どんな大きさなのかしら? 手折って花瓶の中に挿すこともできるのかしらね?……ああもうっ、お姉様ったらいやがらせのつもりなのかも。わたくしをやきもきさせて、きっと今頃楽しんでいるわよ!」
しかし、いつもなら不器用に言葉を返してくれるガーゴインから返事がない。
「お父様?」
リーナはむくりと起き上がる。
ベッドの上で膝を進めて、壁に耳を当てる。それでようやく、ガーゴインの呟きが聞き取れた。
「……どうして私は、忘れて…………ティアは……」
ブツブツと、何かを低く呟く声だけが聞こえる。
「お父様? ねぇっ、どうしたの? お母様がどうかしたの?」
不安になり、リーナは何度も父の名を呼ぶ。騒ぐ声に監視役が気がついたようで、ドアが開いた。
そのとき、はっきりとしたガーゴインの声が響いた。
「カーシィ卿を呼んでくれ。至急伝えたいことがあると」
◇◇◇
一方、魔道具研究所の三階にて。
「ふう……」
ルイゼは息を吐きながら、天井に向かって大きく伸びをしていた。
以前は、自室でならともかく、人前でこういった仕草をすることはなかった。
だがここでは、誰もルイゼが貴族の令嬢であることは気にしないのだ。
「ふわぁ……」
隣では検査管理課の課長であるアマリが、大きな口を開けて欠伸をしている。
普段から眠そうなアマリだが、いつも以上の角度で首が傾いでいる。彼女も展示スペースで監視係を務めてくれていたため、かなり疲れた様子だ。
忙しかった魔道具祭は無事に終わって。
既に一般来場客は全員が帰っており、研究所に残るのは所員のみとなっていた。
本格的な後片付けは明日に回すとして、『片目の梟』で借りている貴重な骨董魔道具の返送手続きをしていたり、『無限の灯台』の販売員たちを見送ったりしている内に、気がつけば辺りはすっかり暗くなっていた。
夜空を見事に彩る光の花――その最後のひとつが消えると同時、名残惜しげにしつつ、ルキウスもそっと姿を消していた。
ルキウスの生み出した、布を被せた人や物の姿を他者から認識できなくする魔道具。
相も変わらずルキウスは名前をつけていなかったので、仮の呼び名としてルイゼは【透明布】と名づけたのだが……近い効果を持つ【認識阻害グラス】と比較すると、圧倒的に優れた魔道具だった。
もちろん、布を被って透明なまま人込みを歩き回ることはできないわけだから、単純な上位互換と評するべきではないかもしれないが。
最終的に、外で【炎花】を見物する間、二人の逢瀬に気がつく人物はひとりとして居なかった。
あの場に麗しき第一王子が居たなどと、ルイゼ以外は誰も知らないことなのだ。
そう思えば思うほど……つい先刻までの抱擁と口づけのことを鮮明に思い出してしまう。
濡れた目元を拭ってくれた、繊細な手つきと、その先の微笑みの柔らかさも。思い出すほどに、顔が熱くなっていった。
「……レコットちゃん。熱ある?」
「い、いえ! 平気です!」
赤面していたのか、隣のアマリにも気づかれてしまったようだ。
慌てて両手を振り否定すると、アマリはあっさり引き下がってくれた。
ちなみにそんなルキウスはルイゼにと、試作段階の【透明布】を一枚授けてくれた。君の好きにしてくれと言い残して。それは大事に畳んで、持ってきていた鞄の中にしっかりと入れておいた。
外見は薄い布地の魔道具である。布となればさすがに他に部品がないわけで、残念ながら解体する箇所はないわけだが。
それはそれとして。
(隠蔽術式を破って、中の魔術式をこっそりと覗きたい……!)
ルキウスが描いた式がどんなものなのか、早く知りたくて仕方がない。
頭の中で想像、推測しているいくつかの魔術式と照らし合わせて、ルキウスとも話し合ってみたい――などと、受け取った直後からウキウキ気分で考えているルイゼである。
隠蔽術式とは、本来、技術の漏洩を防ぐために施される最上級に難易度の高い魔法の一種なのだが……今までそれを打ち破れなかった経験がないために、まったく気にせず張り切るルイゼだった。
横の新人職員がそんなとんでもないことを考えているとは露知らず、アマリが欠伸をかみ殺しながら言う。
「レコットちゃん、どうする? 一緒に寮に帰る?」
「私は、食堂に少しだけ顔を出そうかと」
「そっか。若さだねー」
感心したような、呆れたような呟きをするアマリ。
二人以外に周囲に人気がないのも、ほとんどの所員が食堂での飲み会に向かったためだ。
「あら?」
そのとき、ルイゼの視線の隅を何かが横切った。
アマリも気がついたようで、目を瞬かせている。
「……あれ、【もふもふ君】だね。アルフ、回収し忘れたかなー」
今日は子どもたちに追いかけ回され、大変な人気者だった【もふもふ君】たち。
全部で十八体居る二足歩行のぬいぐるみの内の一体――子供向けの穏やかな顔つきをした笑顔のクマが、廊下をうろうろと歩き回っているのが見て取れた。
「私、見てきますね」
「んー。ひとりで平気?」
大丈夫です、という意味で頷いてから、ルイゼはひとり小走りに駆け出した。
廊下の奥に消えていったシルエットを追って角を曲がると、さらに【もふもふ君】は別の方向へと歩きだしていた。
鳶色の髪を闇に揺らし、ルイゼはそのあとを追う。
居残っていたのがルイゼとアマリだけだったため、このあたりは三分の一ほどの【光の洋燈】しか点灯されていない。
薄暗く、どこか不気味に伸びる廊下を、きょろきょろと探し回る。そしてそのたび、視界の隅で【もふもふ君】の影が蠢くので、慌ててそれを追う。
そんな追いかけっこが、数分続いた頃だろうか。
ようやく【もふもふ君】が立ち止まっていた。
手すりの前で直立不動のポーズをしたぬいぐるみが、黒いビーズの瞳で階下を見つめている。
ほっと息を吐いて、ルイゼは暗く長い影を踏んで近づいていった。
「もう、駄目よ。勝手にこんなところまで来ちゃって」
『…………』
お喋り機能なんて搭載されていないので、ルイゼが叱ってももちろん【もふもふ君】は無言である。
そんな【もふもふ君】を連れ帰るため、ルイゼは右手を伸ばした。
その瞬間だった。
――背中に、強い衝撃があった。
足先が宙に投げ出される。
気がつけば呆気なく、ルイゼの身体は手すりを乗り越えていた。
「、え――っ」
そのまま暗がりの中に。
細い身体は、吸い込まれるように落ちていった。
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