第106話.花咲く空の下で
そこかしこから、歓声が上がった。
空に大輪の花がいくつも咲いては散り、さらにそこに重なるように、より大きな花が咲き誇る。
花の色は、主に赤、緑、黄、青の四色だ。
雲の流れは速く、風が焦げたような臭いを運ぶ。
しかしその臭いすらも、期待感を煽り、次なる大輪の予感に胸を高揚させる。
そして、一瞬たりとも奇跡の輝きを見逃さないようにと。
空を夢中で見上げるのは、何も魔道具祭の来場客だけではない。
「【
そう呟くユニの横で、白衣の所員たちがそれぞれ騒いでいる。
ほとんどの所員が、ルイゼの初めての魔道具造りに協力している。
だから彼らの目は、開発に携わった魔道具の出来への満足と、その設計図を両手に持ってきた少女への称賛で溢れている。
「本当にすごいっスね、レコットさん……」
「ね。綺麗な魔道具ねぇ……」
呆けたように笑うアルフの隣で、イネスも笑みを浮かべて空を見ている。
そんな、同僚である彼らのすぐ傍らで。
その魔道具の開発者本人である、ルイゼはといえば――せっせとメモを取っていた。
(やっぱり、完成にはほど遠いわ。花の形のレパートリーを増やしたほうが楽しめそう。それに、空に打ち上がるまでの間の数秒……期待感を高めるために、何か工夫があったほうが……)
完全に研究者の目をして、魔道具の観察に明け暮れるルイゼだったのだが。
「ルイゼ」
「っ?」
反射的にルイゼは振り返る。
しかし背後の森は鬱蒼と広がるばかりで、そこには誰の姿もなく。
(気のせい? でも……)
【光の路】でも、同じようなことがあった。
そのときと同様に、今、確かに彼の声が聞こえたような気がしたが。
ルイゼは自然と人波から外れ、吸い寄せられるようにして数歩を下がる。
誰もが空の景色に夢中で、ルイゼの動きには気がついていないようだ。
すると、また声が聞こえた。
「ルイゼ」
先ほどよりも、ずっと近く。
そう思った途端に、ルイゼの手は優しく引き寄せられていた。
目には見えなくとも、よく知っている腕だ。そう気づいて、そのまま身を委ねる。
「…………ルキウス様」
そっと囁くと、耳元でルキウスが「うん」と答えた。
【炎花】が次々と打ちあがり、爆発音のような音が響く中でも、その声は鮮明に聞き取れる。
「これは……魔道具、ですか?」
問いかけるルイゼに、彼女をすっぽりと包み込むように抱きしめたルキウスが頷く。
彼の片腕が、二人くらいは簡単に覆えるほどの大きな布を頭上で支えていた。
「この布で包んだ物は、透明になる。【認識阻害グラス】の仕組みを利用して俺が造った魔道具だ」
【認識阻害グラス】は、光の魔石とインビジブル鉱石を用いている魔道具だ。
つまり先ほどまでルキウスの姿が見えなかったように――今このときも、ルキウスとルイゼの姿は他の誰にも見えないということなのだろうか。
効き目に少々難ありの【認識阻害グラス】と比較すると、凄まじく優れた魔道具だ。
「すごいです、ルキウスさ――むぐっ」
しかし弾む声は、口元に当てられた大きな手に塞がれてしまった。
目を白黒とさせて見上げると、どこか申し訳なさそうにルキウスが囁く。
ひそひそと、小さな音量で。
「弱点としては、ぶつかるとさすがに気づかれるのと、音声は外に聞こえるという点だな」
(なるほど……!)
承知しました、とばかりに頷くと、ルキウスが苦笑しながら手を退かしてくれた。
どういう仕組みなのか、布の内側からは外の景色が見える。
ただし、ほんのりと視界は霞がかっているようで、一部の色は現実の見え方より薄暗いようだ。
何度か手を伸ばして、質感を確認してみる。
手触りはかなりザラザラしている。インビジブル鉱石を砕いて用いているためだろうか。
そうして目を輝かせて手探りを続けるルイゼは、背中に腕を回したルキウスが、どこか面白がるような表情で自分を見ていることにはまったく気づいていなかった。
(それにしても……)
「ルキウス様が造られた今までの魔道具とは、違うような……」
それはなんとなくの違和感だった。
今までのルキウスの魔道具は、例外なく、人々の利便性のために造られたものだった。
【眠りの指輪】は、不眠に悩む人のために。
【通信鏡】は、製作の事情はともかく、離れた距離にある人々のために。
公式発表は控えられているが、【
しかしこの姿を透明にする布は、どこか系統が違う。
そんな違和感を思わず口にしてみると、ルキウスが息を呑んだ気配がした。
「……君にはなんでもお見通しだな」
そう囁く声は、低く艶めいていた。
鼓膜を震わすようなその響きがくすぐったくて、ルイゼは肩を跳ねさせて、目線を動かす。
すると。
唇同士が触れ合いそうな距離に、ルキウスの整った顔があった。
(――ち、近いっ!)
今さらである。本当は数分前から、ずっとこの距離だったのだ。
地面に直接座ったルキウスに寄りかかるような体勢で、しかも布を確認するために前のめりになっていて……。
まるで自ら――ルキウスに甘えて、しなだれかかっていたような。
(私ったら……!)
なんてはしたない、と思わず真っ赤になってしまう。
しかしそんなルイゼを愛おしげに見つめると、ルキウスは呟いた。
「いつだったか、言っていただろう」
「え?」
「俺が本気でやれば、姿を消せる魔道具だって造れるだろうと」
その言葉に、思わず――ルイゼは目を見開いた。
「……覚えていて、くださったのですか?」
「いちばん大事だから」
二人で王都に出掛けたあの日。
再会して間もなかった数ヵ月前の日の景色が、脳裏に鮮やかに蘇る。
「大事だから、ひとつも忘れない」
(……私もです、ルキウス様)
ルイゼは、声にならない気持ちを込めてルキウスに抱きついた。
するとルキウスはルイゼの体重を受け止めて、髪を撫でてくれる。
彼との記憶は、何一つとして忘れたくはない。
彼の表情も。匂いも。指先の優しさも。低く掠れた声も。
今までも。そして、これからも――ひとつ残らず、覚えていたい。
ルキウスがルイゼの言葉を受けて、こうして開発してくれた魔道具のことだって、ずっと。
「【炎花】……か」
長い髪をゆっくりと梳きながら、ルキウスが微笑む。
「美しい魔道具だ。俺には思いつかないものだな」
ルイゼは恐る恐ると顔を上げた。
それから、ルキウスの瞳の中で咲く、いくつもの火の花を見つめる。
(リーナにも、見えている?)
――今は遠い、遠い、辺境の空の下。
双子の妹に、この花が届くようにと願って魔術式を描いた。
それは難しいと本当は理解している。
遮るもののない王都や近隣の街でなら見えるだろうが、さすがに辺境でまで同じ景色が見えることはないだろう。
それでも、祈ったのだ。
どうかあなたが、無事で居ますようにと。
「やっぱりルイゼは泣き虫だな」
ルキウスが眉を下げて笑った。
指先が、濡れた頬を拭ってくれる。
指摘通りだったので、ルイゼは赤面しつつも言い返せず――しかし苦し紛れに呟いた。
「……ルキウス様の前で、だけですから」
少しの間があった。
どうしたのだろう、と思った直後に。
頬からゆっくりと斜めに動いた指が、ルイゼの横髪を掻き分けた。
もどかしさに震える身体を解くように、彼が囁く。
「俺になら、いくらでも見せてくれていい」
「、ルキウスさ」
言葉の続きは、口づけの中に溶けて消える。
二人の背後で、いくつもの光の花が咲き誇っていた。
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