第97話.秘書官は歩く1
ルキウス・アルヴェイン第一王子の秘書官。
整った顔をした茶髪の青年――イザック・タミニールは、夜道をひとりで歩いていた。
カリラン公爵邸からの帰り道だ。
今夜は雲に隠れて月がほとんど見えないが、王都の街道はほぼすべての道に【光の洋燈】が使われているため、足元はほどよい明るさを保っている。
「はああああ……」
そして、何故イザックがデカい溜め息を吐きながらひとりでトボトボ歩いているのかというと、共に公爵邸にやって来たルキウスが、ルイゼを連れて一足先に馬車で帰ってしまったからである。
本当は代わりの馬車を呼んでも良かったのだが、まぁいいかと思い直し、王宮の中にある文官寮に向かって徒歩で移動しているというわけだった。
ここからなら一時間弱で王宮には着くだろう。
欠伸をかみ殺しながら、イザックはつい数十分前の出来事を思い返していた。
(ルイゼ嬢、大丈夫だったかなー)
夜会にはルイゼも招かれていたらしい。
しかし大広間に顔を見せた直後に、ルイゼは踵を返し、逃げるように走り去ってしまったのだ。
(たぶん、見ちゃったんだよな)
ちょうどあの瞬間、ルキウスはふらりとめまいを起こしたシャロンを抱き留めていたのだ。
離れて見ていたイザックの分析では、おそらく演技ではなかったと思うのだが、そのあと頬を赤らめるシャロンは完全に恋する乙女の顔でルキウスを見ていた。
あんなそれっぽい場面を見せられては、ルキウスと相思相愛であるルイゼにとっては大変なショックだったに違いない。
そして、そんなルイゼをまず追いかけたのがブルージュの髪をした青年だった。
格好からしても、どうやら夜会の招待客のひとりだったようだが。
誰だお前、と呆気に取られるイザックを置いて、続いてルキウスが大股で大広間を飛び出し、それにシャロンが慌てふためきながらついていき……主賓のひとりであるシャロンが突然出て行ったため、残された人々は何事かとざわめいていた。
そこでイザックはご令嬢はどうやら体調が悪いようです、なんて適当な事情をこしらえつつ、遅れて彼らのあとを追ったというわけだった。
シャロンが不審な動きを見せている以上、ルイゼが夜会に招待されたことをルキウスに報告していなかったのは少々気に掛かるが……そのあたりの事情はルキウスがきっと本人に確認していることだろう。
結果、ますますイチャついていそうだ。
あの二人、事件あるごとに絆が深まっていくばかりなので、そのあたりはイザックはあまり心配していない。
明日のルキウスの顔つきを見れば、何があったかはだいたい想像がつくし。
(しっかしあの子、オレにはすっげえ冷たかったなー)
ルキウスに冷淡な態度を取られたシャロンは、失意の底にあるように見えた。
そして宥めすかすためにエスコートを担当したイザックには素っ気なく、シャロンはさっさと自室に引き籠もってしまったのだった。
(オレ、最近こんなんばっかかも?)
先日はエリオットに送っていくと申し出て、バッサリと断られたばかりである。
おかしい。見た目も頭もそれなりに良いはずなのに……と首を捻りつつ、イザックはシャロンの情報を頭の中で整理する。
――シャロン・カリランについて調べろ、とルキウスより命じられてから。
イザックは秘書官としての仕事をこなしつつ、同時にシャロンについて探りを入れていた。
しかし相手は筆頭公爵家のご令嬢である。
どうしたもんかな、と考えた結果、イザックは王宮内を中心にあらゆる場所で女性たちに聞き込み調査を行った。
話した相手は大半がシャロンと同世代の貴族令嬢か、あるいは親世代の夫人たち。
サロンに集まる貴族たちの間にひょっこりと顔を出して、世間話に花を咲かせつつも、密かに情報収集に明け暮れて――。
その内容は既に、ルキウスにも報告を終えていた。
つい数日前、魔道具研究所での出来事だ。
自身の研究室で、新たな魔道具の開発に明け暮れるルキウスに向かって、イザックは調査の内容を報告した。
傍目から見れば、まるで報告を片手間に流しているように見えるかもしれないが――そんなわけはなく、ルキウスという人物の脳みそはあまりに優秀すぎて、二つのことを並行して思考するなんて芸当も呆気なく行ってしまうのだ。
「シャロン・カリランは夏頃から体調を崩しがちで、何度か家に高名な医者を呼んでたそうだ」
これはカリラン公爵家に奉公する侍女見習いからの情報だった。
「体調が悪いのを理由に、ルカが帰国したときの夜会への出席も両親に止められてたらしいぜ」
「そういえばあの日出席したのも、カリラン公爵と公爵夫人だったが。……シャロンが病弱だったのは子どもの頃の話だぞ」
【刻印筆】を動かしつつ、ルキウスが軽く首を傾げる。
「じゃあなんだろうな。夏バテ?」
おい、という顔でルキウスが見てくる。
イザックは咳払いをして続けた。
「それ以外は、しょっちゅうエリオット・エニマが訪ねに来てる、ってことくらいしか分からなかった」
あともうひとつ、とイザックは付け加える。
「シャロン・カリラン、婚約話が持ち上がってるな」
そこでルキウスが動きを止めた。
顔を上げた美丈夫は、少しだけ驚いている様子だった。
「いつ?」
「ちょうど今年の夏頃」
「……確かか?」
「おう。信用できる筋からの情報」
(でも、これで終わりじゃないんだぜルカ)
数秒後はもっと驚くだろうなと思いつつ、当然来るだろう問いかけを待つイザック。
「相手は誰だ?」
「エ・ラグナ公国の――――」
その先を聞いたルキウスが、しばし呆然とする。
「…………待て。何故そこまでの情報を俺が知らない?」
「意図的にカリラン公爵家が伏せてるみたいだな。さすが筆頭公爵家」
なんのために、とルキウスは言いかけたようだった。
だがその途中で、何かを思い直したように。
「――俺はシャロンに対して一切の興味がない」
(知ってる。……って、どうしたよ急に)
とある可憐な令嬢を除く異性に欠片も関心を示さない主人のことなら、イザックもよく分かっている。
とツッコもうとしたのだが、その前にルキウスがさらりと続けた。
「そして、シャロンも俺に対してまったく興味がない」
イザックは目を丸くする。
(そんな奇特な女性がこの世界に居るのか?)
しかしルキウスの瞳には、確信の色が濃く浮かんでいて。
「そんなシャロンが今まで強い執着を見せた相手を、俺はひとりしか知らない」
「誰だよそれ」
「口止めされている」
つまり十年以上前――シャロンがルキウスに口止めしたということか。
訊いてもどうやら答えは得られなさそうなので、イザックはその点には触れないことにする。
「ちょっと待て、よく分からなくなってきた。……シャロン・カリランの目的はなんなんだ?」
【刻印筆】を作業机の上に置いたルキウスが腕を組む。
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